「お前が今感じたものを大切にしておけ」
フッフッフッ、と地鳴りのような低音の笑い声。その後にまた言葉が続いた。
「今は俺がお前の代わりにやってやる。だがな、いつかはお前がお前自身でやることだ…………いいな、」
一体何の話なんだろうか、そう思いつつも内心、心のどこかではその意味を分かっていたのかもしれない。現に、その後に起こったできごとによって私は変わったのだから、おそらく私は理解していたのだと思う。
バ――――ンッ
爽快な音がした。胸につっかえていたものが一瞬にして消え去った。あぁそうだ、私は悔しかったのだ。あの歯を思い切り噛みしめた瞬間、あの瞬間に感じていたものは恐怖や悲しみなんかじゃない。私が感じていたのは悔しさだったのだ。悔しいと思ったことなど、今まであっただろうか。いや、少なくとも理解出来ているということは知っていたということだろう。
ゆっくりと顔を上げると人々が逃げまどう姿が見えた。何百メートルも下の世界は血で真っ赤に染まっていた。
「…………やれ」
それだけ。たったそれだけの言葉でそこにいた者達の運命は決まった。逃げまどう人々が次々と打ちのめされていく。一体どうして何がどうなってそうなっているのか。全然理解できなかった。どこからか聞こえてくる声の主が何かをしているということしか分からなかった。そもそもこの声は人のものなのだろうか。もしかしたら話のできる鳥なのでは。そうかもしれない。こんな羽毛きっと人にはない。……でも、私は世界を知らなさすぎる。そういう人もこの世界のどこかにいるのかもしれない。
とても興味を引かれた。この声の主の正体が堪らなく気になってしまって。恐る恐る、ゆっくりと、隙間から顔を出して声のした方へと視線を向ける。恐怖もあった。でも、それよりも強く惹かれたのだ。その強さに。もはや人じゃなくたっていい。
見上げた顔はサングラス越しの瞳を細めてこう言った。
「一緒に来るか?」と。
ドロドロとした赤いものが地面を覆いつくし、鼻は鉄の臭い以外何も感じなくなる。その染まった大地の上を靴を赤く染めながら歩く男。その誰かもよく知らないとても背の高い大きな男の手によってピンクの羽毛に包み込まれた私は連れ去られた。……いいや、むしろ今まで誘拐され、監禁されていたのだから、これは助けられたというべきなのかもしれない。
急な眠気に襲われた。ここ何年もこうして暖かく柔らかいものに包まれたことがなかったからかもしれない。とにかく暖かくて、ゆらゆらと揺れる振動が心地よくて、瞼が落ちていく。コートから香るのは知らない人の匂いなのに。なぜかとても安心できた。
…………なぜだろう。
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「名は?」
「さァな。何もしゃべらなかったからな、この娘」
その声でぱっちりと目が開いた。不思議なくらいクリアな視界でとらえたのはとても仰々しい装飾をされたもの。それは淡い光を発しており、その明かりが周りにつけられたガラスに反射してきらきらと光って見えた。次に見えたのは真っ白な天井。ひりひりと喉が痛んだ。
「う”……」と雑な音を出すと、それまで続いていた誰かと誰かの会話が途切れて、2つの視線を感じた。もう抵抗する気力もない。ただされるがまま、すべてを受け入れるようにして、そのまま動くことなく待った。
そうしたら、視界に2人の男が入り込んできた。どちらもサングラスをかけていた。スラリと細く長い背の高い方の男が言った。
「調子はどうだ?」
その声を聞いてようやくこの人が私を連れ去ったあのピンクの人なんだと気が付く。目を見開くと、緩く口角を上げていたその人が言った。
「…………ヴェルゴ」
「あぁ、分かってる」
「悪いな、少し我慢しろ」
もう1人の男の人が私の眠るベッド脇に来て体を折った。その動作をゆっくりと目で追う。その頭に何か物が乗ったような……キノコ? のような髪型の男がサングラスをかけた顔を傾けながら言った。伸びてきた手に目を閉じる。ひやりとした。おでこに重ねられた大きな掌、それは確認するように両頬を軽く撫で、その男の人が眉間に皺を寄せた。
「…………熱があるな」
「病気か?」
「いいや、たぶん体が弱っているだけだろう。まぁあんなところにいたら誰だってそうなる。すぐに看病の準備をしてくる」
「あァ」
颯爽と部屋から出ていく大きな掌の人の後ろ姿を目で追った。すごく優しい手つきだった。でもかさかさしていて少しくすぐったくもあった。それにしても……
「…………なんでハンバーグ?」
「そりゃあアイツの癖だ」
未だ不安は消えないままだった。まだ私は自分の運命を呪っていた。でも。
「ははっ、おかしな人」
浮かび上がってきた涙が集まり、一筋の滴となって落ちていく。自然と湧き上がってきた笑い声は生きていることを実感できて悪くなかった。なんだかすごくほっとした。
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いつも何かしら口元につけて現れるとてもおかしな人はヴェルゴさんと言うらしい。私の身の回りの世話はその人がしてくれた。
そして……
コンコン、とすでに開かれていた扉に軽くノックした人。その人こそ、私をあそこから連れ去って、助け出してくれた人。ドンキホーテ・ドフラミンゴ。私はその人を知っていた。私たち一族よりも何年か前に惨殺された家族、ドンキホーテ一族。その生き残りはもういないと聞いていた。それなのに。
「調子は?」
「だいぶいい」
「そうか、それは良かったな」
「…………うん」
日に何度かこうして部屋を訪れては「調子は?」と聞いてくる。それ以外は特に話すこともなく、ただ刻々と時間が過ぎていっていた。その間、彼は窓際にある赤いソファに腰掛けて小難しい本を開いて読みふけっていた。
「あの」
「ん、……なんだ?」
ペラッとページをめくる音。
「その…………助けて下さり、本当にありがとうございます。でももう大丈夫です。何か恩返しをさせて下さい。なんでもします。なんでもしますから」
少し体を起こして、ぎゅ、とシーツを握りしめながらそう言った。そうしたら、その人はパタンと本を閉じて、サングラスを頭の上に上げた。そうしてゆっくりと立ち上がって、こっちに向かって歩いてきた。大股でゆっくりと。
私の枕のすぐ隣、そこに立って右手をベッドの木枠に置いて、鋭い目で私の両眼を見ながら言った。
「自分を安売りするもんじゃねェ。お前はもっと自分の価値を知るべきだ」
「……か、ち?」
「名は?」
「なまえ……」
「一族はまだいるらしいな」
「え……?」
「お前を残して他の家族はマリージョアにいる」
「え? え、っでも!!」
「そしてこれから先もずっと、お前の一族はマリージョアで生きていく」
「わっ、わたし、そんな! え、…………なん、で?」
「決まってるだろ。お前は売られたんだよ」
「…………え?」
物心ついたときからずっとあの監獄にいて。監獄の看守達にはお前の家族はもう死んでいると聞かされていた。でもお前はまだ生かされている。ご慈悲に感謝しな、と。でもそれは嘘だった? なんで、どうして? 私…………、捨てられたの?
その人は言った。天竜人として売られた私はまだちゃんとその籍は彼ら天竜人の元にあるらしい。だから私はこれでも一応天竜人なのだそうだ。
「じゃあ貴方と同じ?」
「……俺?」
「うん。だって私貴方のこと知ってる。名前だけだけど。私の前に惨殺されたって聞いた」
「…………いや、俺はその籍を外されたから違う。……元だ」
「でもっ!! でも私にとっては貴方は同じで、だから!!」
「……だから?」
「だから、私も貴方も同じ!! 価値も同じ!!」
必死に思いつく言葉を並べて。どうにかして、今目の前で泣きそうにしているこの人を励ましてあげたいと思った。泣かないで。私貴方のおかげでこうして生きているんです。だから、そんな風に私に価値があって自分には価値がないだなんて、そんな風な言い方をしないで。貴方は私を助けてくれた。貴方は私の命の恩人。ただその事実だけでいいんじゃないの?
目を見開いたその人は、すぐに目を細めてサングラスをつけた。
「俺はドンキホーテ・ドフラミンゴ。いつかファミリーを作る。お前も入るか?」
「うんっ」
「交渉成立だな」
彼は満足そうに口角をつり上げてそう言うと元いたソファへ戻ろうと足を踏み出した。手を伸ばしてその腕を掴んで言った。
「私、なまえ」
「あぁ、知っている。さっき聞いた」
「なんて呼べばいい?」
「…………好きに呼べばいい」
「じゃあドフィ!」
クルリと体を回した彼はそれでいい、と言った。そうしてくしゃりくしゃりと何度か私の頭を撫でて、大人しく寝ていろよとそう言って部屋から出て行った。
ヴェルゴさん、成功したよ。ドフィって呼んでもいいって!! 残された私はひとり小さく笑いながら次にヴェルゴさんが入ってきたらその時はこの出来事を話すんだと胸を躍らせながら目を閉じた。どうしよう。こんなにも楽しい思いをして大丈夫なのかな。そう不安を抱えながらも確実に私の日常は変わっていった。

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