「…………」
「…………」
私は、レイリーに抱き締められていた。
「君はいつもそうやって、俺のことをかき乱す」
「…………」
耳元でレイリーの吐息が聞こえる。押し当てられた胸板が、彼の呼吸と共にゆっくりと上下している。レイリーの体温が私に染み渡っていくのを感じた。レイリーが息を詰まらせているのに、私は彼の体温を感じて、目を閉じて……そこに心地よさを感じていた。
:
……一体、いつからだろうか。
ずっとあった頭痛がなりを潜めていて、二日酔いなんて下手な嘘をついて騙し騙しやり過ごしてきていた私の不治の病がすっかり消え失せていた。私はその事実にはっとした。
私を襲い続けていた頭痛は、姉が亡くなった後に少しずつ慢性化していった。シャンクスと再会した頃、私は痛みと共に生きていた。それはまるで地獄の中を歩いているようだった。
彼の船に乗った後、少しずつだけど痛みが和らいでいった。彼らと笑い合えば笑い合う程に痛みは影を潜めていった。それでも、なくなりはしなかった。いつかなくなることは来るのだろうか――漠然と思った。
そんな頭痛が消えた。あれ程私を苦しめて苦しめて、まるで罪の重さを分からせるかのように、私に降り注いでいたそれが消えたのだ。時間が止まった気がした。灰色に塗りつぶされていた世界が嘘のよう――空が……海が……キラキラと色付いて見えた。
白黒の世界で、レイリーはいつも白かった。色が……とかそういうのではない。あまりに光を放つから彼だけが白く抜けて見えたのだ。眩しくて仕方がなかった。その光が恋しくて仕方がなかった。
:
私を抱き締める腕がまた一段と強く締まる。
「……もう会わないつもりなのか」
彼の言葉が私の耳に入ってくる度に私の体は震えた。彼が恋しくて仕方がなかった。その気になればその背中に腕を回して抱き締めることができるのに。私はそうしなかった。
「…………」
返事は返せない。もう、口は開きたくない。少しでも開いてしまったら……言いたくない、伝えたくない、知って欲しくないことを言ってしまう気がするから、開きたくなかった。私はそれくらいに我慢の限界を迎えていたのだ。少しでも気を抜いたら彼に寄り掛かってしまうのだ。
……でも、彼から離れたくもなかった。この微睡みが幸せで。ずっと続いて欲しいと願った。矛盾していることは分かっているけれど、少しでも長くこうしていたかった。彼の事を振り払うのが辛くて堪らなかった。レイリーのことが大好き。ずっとずっと、会いたかった。ずっとこうして抱き締めて欲しかった。本当は会いたくって会いたくって、堪らなかった。ようやくこうしてまた会えたっていうのに、私はこの腕を振り払わなければならない。こんなにも大好きで、愛おしい貴方を……。
:
能力を発動した。
――でも、彼が私から離れることはなかった。
:
「っ!?!?」
今まで一度たりとも、彼が私の能力を押さえ込んだことはなかった。だから酷く驚いた。今思えば……能力者の力であったとしても、レイリーほどの強さがあればいつでも打ち消すことができたのかもしれない。今まで彼は一度もそんなことはしなかったから知らなかった。
彼はずっと、それをしなかったのだ。
「レイリー」
抗議の意味を込めて、いつもより少しだけ強い口調で彼の名を呼んだ。
「なまえ」
彼も、同じように強い口調で私の名を呼んだ。私を窘めるように。
「逃げないでくれ」
「……いやです。離して下さい」
「では、逃げてみなさい」
「……できません、そんなこと。これでも力をいっぱい使っているんです」
「力ではなくていい。人には、言葉というものがある。私を退けるのはそれで十分だ」
「…………」
つまりこの人は、私に言えというのか。
最後に、きちんと罵倒していけとというのか。
じゃあ……つまりそれって、レイリーは私のことを知っていたということなのか。
……分からない。全然、分からない。
精一杯発動した能力は、冥王レイリーの前では刃も立たず、私は抱き締められたまま逃げないように捕まえられていた。これほど大きな体の中にあるのだから、隙間からするりと抜け出せそうなのに。どうしてか、できなかった。
「なまえ、私は……君にこれ以上重荷を背負わせたくないと思っている……だが、もうそろそろ人生も終盤に差し掛かったと自覚したときに思ったのだ……」
レイリーが息を吸い込む音がした。……が、彼から言葉の続きは出てこなかった。私は続きが気になった。レイリーが何を思ったのか、とても気になった。彼が言葉を詰まらせることはあまりない。だから、今、彼がどんな顔をしているのか、とても気になった。だから、顔を上げてレイリーのことを見上げた。
「…………あ、」
見上げた先にあったレイリーは今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。なんとなく見てはいけない気がして、直ぐに視線を逸らした。――と同時に、今までは静かだった心臓が、早鐘を打ち出した。あの顔を私は知っている。レイリーが、私の『初めて』の相手をしたときに見た顔だ。シャンクスが、私に『好きだ』って言った時の顔だ。あの顔は報われない恋に焦がれる……人の顔だ。
「見なかったふりをするのか、」
「っ、あ、いえ……ちが……」
気が動転していて、訳が分からなくなっていた。今彼がどうしてそんな顔をしているのか。胸に一瞬沸いた期待をひねり潰す。……だめだ。期待したらその分だけ後に痛い目に遭うから。考えたら駄目だ。そう思っているのに、私の胸は高鳴りをやめない。全身に熱が回っていって、顔が熱くてたまらなくなっていた。
「やけに顔が赤いな……」
「……気のせいです」
ふいっと顔を下に向ける。あぁ、心臓が今にも爆発してしまいそうだ。
「なまえ、君に背負って欲しいものがある」
レイリーはそう言うと、私の体を解放した。
:
そして、目の前に跪いた。
レイリーの手の平の上に、小さな箱があった。彼はそれを開いて見せてくれて、そして――
「私と、結婚してくれないか」
「…………え?」
:
頭がパンクしてしまいそうだった。目前には片足を折り、頭を下げたレイリーがいる。そして私はその目の前に立っていて、指輪なるものが入った箱を差し出され、……なぜか求婚? されている。…………駄目だ。冷静にならないと……落ち着いて整理しなければ。いついかなる時でも冷静に、これは『師匠』であるレイリーに教えてもらったことだ。
「考えないでくれ、自分に正直になってくれ。君が考えると碌な方向にいかない」
「……ちょっとそれは酷くないですか。これって、プロポーズってやつですよね。雰囲気台無しですけど」
先ほどまであれ程高ぶっていた感情が嘘のように消えたんですが。
「…………砂浜で、君が私を見ていたように、私は君の懸想を感じていた」
「……はい? え、待って下さい。レイリー、知っていたんですか!」
「当然、私はそんなに鈍くはない」
「っ、酷いです! なんか、なんか……弄ばれた気がしてなりません!」
「いや、なぜそうなる」
そこでレイリーはその場に立ち上がって、一歩、私の方に近づいた。一歩、私は後ろに下がる。すると、彼が片眉を上げて、コミカルに笑った。……あぁ、まずい。この顔は上等だと思っているときの顔だ。一体何が彼を刺激してしまったのか。
「あのとき、もしも私から君に言い寄れば君は私を受け入れたか? いいや、絶対に受け入れなかった。君はあのとき、そういう状況だったんだ」
「…………」
確かに。あの時の私は、レイリーに想いを寄せてはいたけれど……どうしたらいいのか分からなかった。それよりも、他にたくさんの問題を抱えていて。そっちに押しつぶされてしまっていたと思う。もしもそこに恋情まで入ってきていたら、耐えられなくなってしまって壊れていたかもしれない。…………だから、私は。シャンクスに本気になってしまわないように、ずっと一線を引いていたのか。……今更そんなことに気が付くなんて。
「今は違う。互いに縛るものはない」
また一歩、レイリーが近づいた。
私は……、一歩後ろに下がった。そして――くるりと彼に背を向けた。
――と、いうのも……落ち着いて冷静になって考えてみたせいで、この状況がとんでもないことだということにようやく気がついたのだ。また体に熱が帯び始めてしまっていて、胸の鼓動も激しく打ち始めてしまった。あぁ、もう――こんなの恥ずかしすぎて、この場にいられない。……どうしよう。一旦、考えさせてくださいって言うべき? ちょっともう顔すら見れそうにない。……だめだ、私。
よし、じゃあ一旦……
「はい、逃げない」
「っ!?!?!?」
振り返ると共に、目の前まで迫っていたレイリーに腕をがっしりと捕まえられて、逃げられないようにされた。
「本当に君は……まったく、」
そう言いながら、再び目の前に腰を折ったレイリーが、にっこりと笑う。
「可愛いな、そういうところも大好きだよ」
ひゅっ――と喉が鳴って、思わず両腕で胸を抱いた。この胸に湧き上がる感情をなんと呼べばいいのか、見当も付かない。彼は考える隙も与えてくれなかった。箱に入っていた指輪を取り出して、「嫌なら振り払いなさい」と言って、私の左手の薬指に通したのだ。レイリーの指先が視界に入ったとき、彼の左指にはもうすでに指輪がはまっていることに気付いてしまった。そうしたらもう止められなくなってしまった。
両目から、ぽろぽろと涙がこぼれていく。
:
「……レイリー。……レイリー、大好き。大々大好き。ずっと逃げてごめん。プロポーズ台無しにして、本当にごめん。…………本当に、大好き」
――やっと言えた。
安堵したせいか、私の涙腺はすっかり馬鹿になってしまったようで、拭っても拭っても涙は止まらなかった。
「……ようやく、聞けた。ずっと待っていたこの時を。私の方こそ、君をたくさん悲しませてしまった。……謝るよ。本当にすまない。今までのことを許してくれとは言わない。……ただこれからはそんなことがないように、君を愛するよ」
「っ、うん!」
涙でぐちゃぐちゃになった顔だったけれど、くすくすと笑いながら、レイリーは優しい口づけをしてくれた。啄むように、何度も。微睡むように、何度も。
私は彼にしがみついた。
彼は私を抱き締めてくれた。
私たちは、ようやく出会うことが出来た。

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