17:心が甘くて苦しくて

 

――みょうじ、

 

そんな風に私のことを呼ぶ人は誰もいない。だけど自分のことだから体が反応する。いまこの場にいる『みょうじ』は私だけのはずだ。振り返った先には死覇装を身に纏ったオレンジ髪の青年が立っていた。彼は私のことを真っ直ぐに見ていた。

――黒崎一護。

彼は根は優しい男だが、ここではいつも小難しい顔をしていて眉間に皺を寄せている。真剣なのだとは思うが、もう少し笑えばいいのに、と常々思っていた。笑うときっと素敵な好青年だろうな、と。それくらい、一護の心から笑った顔を見たことがなかった。

そんな私に対して、一護が柔和な笑みを見せている。ひときわ優しく、目尻はとろんと落ちていて、まるで恋人に向けられる、愛おしさで包み込むような眼差しだった。私は不意打ちを喰らって惚けてしまった。ここ最近はこんな風に誰かに見つめられたことがなかったからだろうか。

私のことをそんな目で見つめる人はもう――

「なまえ。君は今日も魅力的で美しい。あぁ……そんなに頬を染めて。僕のことを誘っているのかい。……可愛いな。食べてしまいたいくらいだ」

一護の瞳の向こう側、刹那に浮かんできた声は藍染隊長のものだった。あぁ――どうしよう、泣きそうだ。

「…………ば、か」

小さく返した声が彼に届いたのかは分からない。あの時の隊長は、にっこりとただ静かに笑うだけだった。触れそうで触れない距離に立ったまま、彼は視線だけで私の全身を熱くさせた。

その時の記憶のせいだろう。相手が一護だと分かっていたのに、私は、……つい――愛しい人に接するように返事をして見つめ返していた。その異様さに気付いたのは、互いにほぼ同時で、ハッ――と我に返る。

「あ……」と言ったのはどちらか分からなかった。気が付いた時にはもう……一護の手が肩に触れていた。驚いて何度も瞬きながら見上げていたらようやく手を放してくれる。まだ夢を見ているような心地だった。それは一護もそうなのか、緩慢な動きで額を押さえている。

「……わり、間違えた」

誰と間違えたなんて聞かずとも分かっていた。そして同時に、やっぱり二人はそういう仲だったんだと理解した。――と、急に人の気配が現れた。私も一護も、気配に向かって顔を振る。現れたのは浦原さんと織姫だった。どうやら交代の時間が来たらしい。

「……気にしないで。大丈夫だから」

中途半端にならないように謝罪を受け入れる。私は笑みを作って見せた。対して、一護は罰が悪そうにしていた。申し訳なさそうな顔で私のことを見ている。別に気にしなくてもいいのに。そう思ったけれど、一護は勘のいい子だから気付いてしまったのかもしれない。知らなくてもいいことだったのに、余計な気を遣わせてしまったとしたら、むしろこっちが申し訳ないくらいだ。……本当に優しい子。

 

「交代の時間っす~!」
「はーい。お疲れ様ですー!」

軽く片手を上げると、浦原さんと織姫がこちらに向かって歩いて来た。最近の一護は尸魂界に入り浸って訓練をしている。特に浦原さんのところ、技術開発局の一角を彼専用に改造して、みっちりと戦力強化に取り組んでいた。今はちょうどお昼休憩のところで、斬月を使いこなすために限界まで力を使ってへとへとの状態だ。きっとそのせいで頭が回っていなかったに違いない。織姫と私は背格好がよく似ている。でも話し方は全然違うから、知っている人なら分かるんだけれど、黙っていたらよく似ているからなぁ。他人であれば、他人の空似だよって、そんな冗談を言えるんだけどさ。実際のところは事実だから。

「……それに間違ってないし」

そろそろ、言うべき……なのかもね。

恐る恐る、織姫の方に顔を向ける。私たちは一護の回復担当として交代で付き添っている。主に私が霊圧を回復して、織姫は訓練も兼ねて傷の回復を行っている。

「?」

首を傾げた一護の身体はもう限界なのか、目が虚ろだ。

「あー、ごめん。倒れる」

その場に背中からバタンと倒れた。カランカラン――斬魄刀が解かれると共に床に転がり大きな音を立てた。

「――っ、黒崎くん!」

慌てて駆け寄った織姫が盾舜六花しゅんしゅんりっかで傷の回復を行う。最近じゃ疲労の回復も出来るようになってきたらしく、一護の訓練もより長時間できるようになっていた。

その間に浦原さんが私の隣に並んだ。一護を治す織姫を見ながら、「ようやく踏ん切りがつきましたか」浦原さんが言う。きっと先ほどのやり取りを見ていたのだろう。……あぁ、なんだか恥ずかしいな。返す言葉が浮かばなかったので、困った風に笑い返す。「早く言わないと、尾を引けば引くほどに言い難くなりますよ」そう忠告を繰り返してくれていた浦原さんだったので、仕方のない子を見るような目で見つめ返された。……分かってるんだよ、私だって。

回復が終わり次第、一護が上体を起こす。けれどまだ体は万全ではない。その場に胡坐をかいて小休止を挟むのだ。さて、私はお昼ご飯を……と、いつもなら一緒にご飯の準備に向かう織姫が、一護の隣に腰を下ろす。そして、一護が言った。

「なまえさん。さっきの、どういう意味っすか」

一護と織姫、二人の純粋な眼差しが並んで私を見ている。責めるものではない、ただ知りたいという探求心が今の私には一番恐ろしい。知った後、彼らが知らなければ良かったと思わないか、その先を想像することが怖くて堪らなかった。

しかしながら、こうなってしまったら、もう言うしかない。意を決して口を開くと、唇が震えた。織姫に嫌われたくない、見限られたくない、と強く思うが故に、私は怖くて堪らなくなる。それと同時に、織姫はそんなことで人を嫌いになる子じゃない――そう思い、自身を奮い立たせた。ゆっくりと息を吐いて、吸って、淡々とした口調で言う。

「私の名前は、みょうじなまえ。だから、みょうじって、呼ぶことは間違ってないよ」
「……へぇ、そうかい。それは初耳だ」

一護の視線がゆっくりと逸れていく。その先にいるのは織姫で、しばらくするとまた私の方に戻る。織姫の視線はずっと私のことを見ていた。目を見開いた真剣な眼差しに心臓がグッと掴まれたような錯覚に陥る。

「この際、教えてくれないか。みょうじとなまえさんがよく似ているのはただの偶然なのか……。俺はずっと他人の空似だと思ってたんだ。…………もしかして違うのか」
「…………そう、ね」

一護の視線が織姫に向く。

「みょうじ。お前は知っているのか?」
「ううん。私は……私に似ている人だなって思っていたけれど……」
「……確かに、私たちってよく似ているよね」

彼らは私のことをどう思っているのだろうか。

「なまえさん。俺たちに隠していたのは、わざとなのか?」

嫌われていなければいいな……。

「わざと…………うん、まぁ。そうなる、よね。いや……聞かれたら答えるつもりだったんだけど。なかなか言うタイミングがなくて。――ごめん、結果的に隠すことになってしまった。もっと早く言うべきだったのに」

……お願い、……どうか、

「それは、何か理由があってのことなのか。今の俺たちには教えてくれるのか」
「……うん。もちろん。むしろ…………聞いてくれると嬉しい、よ」

力なく笑う。

「実は、私は織姫の姉、なんだ」

どうか、お願い――私のことを嫌いにならないで。

「「…………え?」」

二人にとって、私の答えはどんな意味を持ったのだろうか。彼らの頭の中では私は一体どんな悪者になっていたのだろうか。そんな最悪なことばかりを考えてしまう。真ん丸に目を見開いた二人を前にして、私は視線を落としたまま笑みを作る。これ以上は怖くて見れそうにない。

「でもみょうじの家族は兄貴だけで」
「そうだよ。現世ではね。……本当は昊そらの後に私がいたんだ。って言っても、生まれることもできなかった、未熟な魂だったんだけど」

それでも、ほんの一時だけだったけど、私は織姫の姉だった。

「……ってことは、つまり」

――おねぇ、ちゃん…………?

空耳かと、思った。

顔を上げたら、織姫が立ち上がっていた。目が合うと、織姫が目を細めてきゅっと唇を引き結んでいた。

「おねぇちゃん、なの……?」

私はたじろぐ。あまりに純粋な織姫の瞳が、きらきらと輝いていて。それが眩しくて。

「あ……うん。一応、……そうなる、かな」

貴方に認めてもらえるのなら、私は――、

「っ、」

織姫が駆け出す。私に向かって一直線に。とん、とんっ――と勢いよく飛びついてきた。その衝撃で倒れそうになるも、姉の矜持で踏ん張って、私の身体を強く抱きしめてくれる愛おしい存在を、全力で抱き締めた。

「ねぇ……私が姉って嫌じゃない?」
「なんでっ!? そんなわけないじゃん!」
「ほんとに?」
「むしろ、嬉しいよ! 私にお姉ちゃんがいたなんて!」
「じゃあ……織姫さえよければ、なんだけど……織姫の姉ってことで、これからは名乗ってもいい、……かな」
「もちろんっ!」
「っ、ほんとにいいの?」
「いいよ!」
「私、生まれることもできなかった半端者だけど、それでも、いいの?」
「当たり前だよ。だって私たちこんなに求め合ってるでしょう?」
「っ、うん…………」

貴方に認めてもらえるのなら――――私はこの世で最強のお姉ちゃんになれる。自信を持ってそう言える。

「……ありがとう、織姫」

:
:

それから私は自分の過去について隠さなくなった。ずっと半端者である自分が嫌いだったけれど、それも含めて大切だと言ってくれた織姫のお陰でまた一つ抱えていた問題が解かれた。そのせいだろうか、織姫のお姉ちゃんになってからは随分調子が良かった。

織姫との関係は良好で、本当の姉妹のように仲良くしている。これがどんなに幸せなことか――唯一の心配事は、一護と織姫の関係だ。一護が見せたあの顔、絶対に二人はいい関係だ。最近じゃ、一護は織姫のことを名前で呼ぶようになった。私と被るからって言ってたけど、本当のところはどうなのか、……すごく気になる。

「一護って、織姫のことをどう思ってるの?」
「どうって、普通にいい子だと思ってるけど?」
「いい子ってなに」
「は? いい子はいい子だろ?」
「顔が可愛いなぁとか、おっぱいが大きいなぁ、とか。なんかそういうのないの」
「はぁっ!? ちょ、何言ってんだ!」
「え、だって、あの子のおっぱいやばいでしょ」
「いや、それを言ったらなまえさんだって」
「え、なに。一護ってそういう目で見ているの」
「っ、おいちょっと待て。自分からその話題振っておきながらそれはないだろ!」
「ふふ、ごめんごめん」
「ったく…………」

傷だらけになった一護に鴻鵠を使う。

「はい、これで完了」
「おー、いつもながらすげぇ。さんきゅ、助かった」
「どういたしまして。一護には強くなってもらわないといけないからね」
「おう!」

この後――しばしの休憩のち、隊長らとの手合わせが入ることになっている。それまで少し時間があった。空いた時間を適当な話題で潰そう。そう思っていた時だった。

「なまえさんには大切な人がいるんだろ」
「え?」
「藍染って隊長だったやつ」
「それ、誰から聞いたの」
「いろんな人から」
「…………へぇ」

やっぱり一護は勘のいい子だ。

「つっても、ほぼほぼ噂話みたいな感じだったけど」

そりゃ、確実なことを知っているのは、市丸隊長ぐらいだったからね。

「俺がなまえさんと織姫を間違えた時、俺――ちょっと、……その『あれ』だったろ」
「……あ、あぁ。うん、そうね。ちょっと、『あれ』だったね」

あの眼差しは今でも忘れない。織姫はきっといつもああいう目で見つめられているのだろう。優しくて甘くて。君のことが大好きだっていう、そういう目。

「一瞬だったけど、なまえさんも『あれ』だった。そして、俺の後ろにいる誰かを見ている感じだった」
「…………へぇ、それで?」

一護って、本当に目がいいんだから。見なくてもいいところに気付いちゃう。

「なまえさんは、「ごめん、一護。それ以上はやめて」…………でも、このままじゃ」
「うん、分かってる。けど、お願い」
「……分かったよ」

私だって分かっている。このままじゃ駄目だということぐらい。一護と織姫を見る度に、ルキアと恋次を見る度に。誰かと誰かが思い合う姿を目にする度に、心に亀裂が走る。ピシリ、と薄っすらと、でも確実に、線が入っていく。その線がどんなに薄くとも、幾重も重なればいずれ壊れてしまう。私の精神はそんな危なげな状態でなんとか保たれている。それに気づいている人はどのくらいいるのだろうか。付き合いの長い人たちは気づいているのかもしれない。だから、ここ最近はみんなが優しくしてくれるのかも。でも、だからって傷が埋まることはないだろう。私のこの傷を埋められるのは世界でたった一人だけ。その人は手の届かない向こう側にいってしまった。

 

一護の訓練が再開すると、私の出番はしばらく来ない。空いた時間、私は現世に足を運ぶ。どうしてかは自分でも分からないけれど、もしかしたら……尸魂界の空気から逃れたいのかもしれない。現世の空気は尸魂界よりも軽い。それだけで気持ちが楽になるような気がする。

門を抜けた先、今日は生憎の雨だった。

ザ――と音を立てる激しい雨音。全身がびっしょりと濡れた。豪雨だ。ふと、思う。今なら、いいのかもしれない。ここじゃ誰もいない。誰も聞いていない。ずっと溜め込んでいる気持ちを吐き出してしまいたい。

 

私は吐き出した。何度も何度も。

「――――会いたいです。どうしていなくなったのですか。どうして連れて行ってくれなかったのですか。どうして背負わせてくれなかったのですか」

その原因は自分にあると分かっている癖に、まるで全て彼が悪いように言ってのける自分が憎い。

「馬鹿、阿呆。自己中、だいっきらい!」

一際、大きな声で天に向かって叫んでやった。

 

貴方が恋しくてたまりません。

貴方の微笑みが頭から離れてくれません。

貴方のぬくもりが忘れられません。

貴方に会いたくて、会いたくて、気が狂いそうです。

 

「………………だいきらい」

 

大好きって、ちゃんと言えば良かった。逃げるんじゃなかった。ちゃんと向き合えば良かった。あのとき振り返って、私も愛していますって、言えばよかった。

 

「…………ばか」

失ってから気付いても遅いって分かっていた、……のに。

 

 

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!