あいくるしくて

“あいくるしい”とは実に残酷なものだ。

「ベックマン??」

愛くるしい素振りを見せる女は大抵無自覚で無意識で、それでいて変に敏感なところがある。それが本当のことなのか、それとも作り上げられたものなのか。こればかりは何度経験しても読み切れない。

「久しぶりだな」

ほんとうに久しぶり。と小さく笑った女は俺の隣に立つ。足を止めてなんとなく道の脇に寄るとそんないいよ、と女が手を振った。

「ごめんね。こんな風に引き留めるつもりはなかったんだけど」
「別に暇だからいいが」
「そうなの? あ……でも今は私の方が時間に追われてるからさ」

そんなに話していられないんだ。そう言って、久しぶりなのにごめん、と一言謝って。じゃあね、と早々に振り返って歩き出すその女の後ろ姿を呆然と見る。だったらなんで話しかけた。どうしてそんな顔をして俺を見る。

口寂しくなって、タバコに火をつけて深く煙を吸い込む。あぁ……と漏れた声と薄い煙の残響が脳内を取り巻き、煮えきらない、胸の中が濁ったような、そんな気持ちになった。でも、だからと言って、特に何かをする気にもならなかった。そんなのは今の俺には必要ないとはっきりと分かっている。

「あ、そうだ! ベックマン!!」

ふいに名を呼ばれるというのは悪くない。それが少しばかり気に入っている奴ならなおさら。今更なんだ、と口元のタバコを指で挟み、深く吸った息を、煙を、濁った何かと一緒に吐き出した。

「シャンクスのおつかい済ませたら船に行くから、そしたらゆっくり話そう!」
「は?」
「じゃ、また後でね」
「は?」

おい、待て。…………待て待て待て待て。

もうそこにはいない彼女、なまえが歩いて行った町の中心部とは逆方向、海の方へつま先を向けて地面を蹴り出す。一歩一歩強く、強く。だんだんと早く、大きくなっていった。そうして船の着く頃にははぁはぁと息を切らし、甲板で暢気に昼寝をしている船の責任者を見つけて掴みかかる。

「お頭ァ!!! またなまえを乗せる気かァ!!??」
「ん――……ちょ、うるさい……」

一体どうなってそうなったんだよ。やっとのことでなまえを説得して船から降ろしたっていうのに、この男は…………!! お頭の胸ぐらを掴む拳に力を入れるが、当然、お頭はそんなことを気にするような男じゃない。怒りで小刻みに震える腕。投げ飛ばしてやろうか。

…………はぁ。

投げ飛ばしたところで状況は変わらないことぐらい分かっている。後々ちくちく小言を言われるぐらいなら、やめておくのが賢明だろう。お頭の小言は面倒だ。あぁもう、一体どうなってんだよ。

甲板の上にお頭を置いて、一服する。考えろ。そう自分に言い聞かせた。数分もすれば頭に昇っていた血も、焦燥で乱れていた精神も元のように動きだし、思考回路はすっかり元通りになっていた。

……なまえのことだ。きっとまた、お頭にあぁだのこうだの、無理を言って押し切ったに違いない。お頭はお頭で、取りあえずおつかいに行かせることにしたんだろうが。その間に出航してしまおうという魂胆か?……ならこうして寝たりは。いや、待てよ。お頭ならそれも十分にあり得る。どうする? 他の船員は揃っているようだし、出航してもなんら問題はないだろう。この調子じゃお頭も起きないだろうし。…………好都合だ。

「おい、野郎ども。出航する準備をしろ」

副船長の俺が言えばそんなものはあっと言う間だった。数分すると完了しましたと報告が上がってくる。後は碇を上げて帆を広げるだけ。思ったよりも事は大事にならなかったらしい。ホッと息を吐き出しながら、報告に来た者に指示を出そうと振り返った。

「ごくろ……、」

やっほ~! なんてわけの分からないテンションで、ご機嫌な顔で、こっちに向かって手を振っているのはまぎれもない、今、俺を大混乱に陥れている女だった。

「ん? どうしたの、ベックマン?」
「なんでお前がここにいるんだよ」
「報告に来たんだけど?」
「は? なんでお前がそんなことしてるんだよ。おつかいはどうしたおつかいは」
「おつかい? それなら、ほら」

りんご2つって。それは簡単すぎるだろ、お頭。もっとこう……

「あぁ、くそ」

なまえに見つかってしまってはもう打つ手がない。額に手を当てて空を仰ぎ見て、声にならない叫び声を上げて、この島に来る前からやり直させてくれ、と願った。まぁそんなこと叶うわけないだろうが。

「ベックマン」
「…………んだよ」
「またよろしくね」
「…………チッ」

差し出された手とにっこりと笑うなまえの顔。その二つを流し見てきつく目を閉じる。…………なまえが好きだ。少なくともここ数年はそうだったと思う。

「まだ怒ってるの?」
「…………当然だ」

それは数年前のこと。海賊船に乗っている以上、もちろんなまえも戦闘要員として駆り出される。腕もいい。だがそれが逆にあだとなった。お頭が腕を片腕を失くして数日のうちにあった大規模な戦闘。にらみ合っていた他の海賊との間に小さないざこざがあり、それが大きなものへと発展した。俺はお頭なら問題ないだろうが、とそう思いつつも何かあったときのことを考えその隣をキープしていた。

当初の予想通り、敵船がこちらにつくまでもなく、船員たちによって戦闘は終了した。敵船の船長と副船長を縛り上げ、制裁を加えるためにレッドフォース号へ乗せた。そのときだ。とてもじゃないが、そんな度胸があるようには思えなかった、その敵の二人が船上で俺たちの目の前で自爆を計った。副船長の方はどうにかその前に俺の弾でしとめたが、船長の方は、いま一歩反応が遅れた。

とっさにお頭の服を引いて後ろに飛ばす。その上に覆い被さった。ドンッと短い爆発音が一つ。思ったよりも小さかった。その音を不審に思いながら顔を向けた。

「…………おい。嘘だろ、」

なまえの姿がなかった。

目に映ったその瞬間に理解したことは、爆弾を持っていた船長が船上から消えていて、その近くに立っていたなまえの姿がなくて。そして、あの短い爆発音。あれは。

なまえ!!!! 周囲の船員が海を覗き込んでいた。数人が海の中へ飛び込んでいく。嘘だろ。…………嘘だろ。……なまえッ!!!!!

先に救助に向かっていた奴らによって見つけ出されたなまえは瀕死の重傷。1ヶ月、死の淵にいた。賢明な医師の治療によって回復はしたが、あの時はとてもじゃないが生きた心地がしなかった。

すっかり回復して元気な笑顔を見せるなまえを両眼で鋭く見据える。

「もう二度とあんな想い、したくねぇ」
「何それ、いつからそんな腰抜けになったの? それでもこのレッドフォース号の副船長なの?」
「……うるせぇ」

なんとでも言えばいい。

「ベックマン。貴方が何を言って説得しようとしても、私はもうこの船を下りたりはしないから」
「…………」

ん! と強く差し出された右手。握手するまでは、乗船を認めるまでは降ろさないと真っ黒な瞳がこちらをジッと見つめる。

なまえ。頼むから、もう。

「条件がある」
「何?」
「お頭の命よりも。俺の命よりも。自分の命を大切にしろ」
「は? 何それ。私はこの船の一員なのよ? そんなこと考え……「頼む」……、っ!?」

頼むから。

「ベックマン?」

「頼むからもう、あんな気持ちにさせないでくれ」

「ど、どうしたの?」

頼むから。俺の目の前で、目の前から消えないでくれ。俺の傍にいるなら、もうあんな姿を……

「なまえ、絶対に死ぬな」
「そりゃ、死なないようにするけどさ、でも……」
「絶対だ…………!」

あんなに悲しくて、辛くて。狂ったように今自分が生きていることに後悔しか感じなくて。愛おしくて、会いたくて。その瞳の中に映りたくて。もどかしくて。あんなにも涙が止まらない日々はもう、嫌なんだ。

「ベックマン? …………ねぇ、どうしちゃったの?」

差し出された右手を握りしめ、細い腕をたぐり寄せて一回りも二回りも小さな体をきつく抱きしめる。そうして、ただただその感情を握り潰すことしかできなかった。

なまえは俺にとって残酷な選択を選ばせる。あいくるしい笑顔で無邪気に笑う彼女は俺の気持ちを知らない。言ったところで理解もできないだろう。これはそう簡単なものじゃない。ただ好きなんじゃない。これはもう、呪いにも似ているとさえ感じる。

懺悔だとか、後悔だとか。そういったものも含まれているんだから、まともじゃない。そう、俺はまともじゃない。ただただなまえが、

愛おしくて仕方がない。

161015 End.

1day1novel/20091010.

あいくるしくて

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