いつからだろう、気づいたときにはもうザ――と音が鳴っていて、見えもしないブラインドの向こう側を見つめた。誰かが「すごい雨だな」と言うと、「今日は一日雨らしいですよ」と丁寧な返事が返った。
なんとなく聞き覚えのある声で、気まぐれで視線を向けた。窓際に立っていたのは長い髪を後ろでひとつ結びにしている女子社員だった。ここからでは横顔も見えはしなかったが、背格好から自然と記憶が辿られていき、あぁそうだ少し前にあった忘年会で隣にいた女だ、と思い出すことができた。
それで、誰だったかともやもやしていたものもすっきりと解消され、興味もそこで薄れた。話をするにはしたが、特別盛り上がったわけでもなく、あれから接点という接点はなかった。
未だ降り続け、鳴りやまぬ雨音に耳を傾けながら、またキーボードを打ち付け始める。あぁ億劫だとため息が零れ落ちた。
「雨、すごいですね」
「あぁ、だなぁ~。今から出かけるっていうのに最悪だよ」
「営業ですか?」
「そうそう」
「それはちょっと面倒ですね」
「ほんとに」
今日はどうも集中できない日らしい。普段ならなんてことはない周りの些細な会話が耳に入り込んでくる。きつく目を閉じて頭を切り替えようとしても、自分の世界に入ることは叶わなかった。
「のう、ルッチ」
加えて同僚のカクに話しかけられるという始末。
「……なんだ」
それでもキーボードを打つ手は止めない。
「今から……」
「イヤだ」
「いやいやいや待て待て待て。わしまだ何にも言っておらんのにイヤだとはなんじゃ」
「どうせ、”工場に行くから付いてこい”だろう」
「…………そうじゃ。えぇではないか! 部品届けに行くついでに、ちょ~~っと、新しく導入する機器の説明してくれるだけでいいんじゃ。それで事務仕事はおさらばなんじゃから!」
「ちっともよくない」
え”ぇ~~、と不満を露わにしているカクの方を一度も見ることもなく淡々と答えた。毎回このパターンだ。営業なら説明できるようになれと何度言ったことか。その度に「ルッチの説明は定評があるんじゃ!」と押し切られる。はじめは悪い気もしなかったが、こうも頻繁に連れ出されていたらこっちの仕事が溜まる一方だ。
眉間に皺を寄せたまま睨みつけているパソコン画面。そこに映っているのはようやく半分書き上げた報告書。それの締め切りが明日に迫っているのも後押しして、余計に行きたくなかった。
「のう~」
「今忙しいのが見て分からないのか」
「分からんの~どうせこの前の企画会議の報告書じゃろう? そんなものに時間かけすぎじゃ」
「ちっ。これだから営業は。どうせ自分でせずに事務の子にやってもらっているんだろう」
「そりゃァ毎日頑張って外に出とるからの。特権じゃ、特権」
タンッ、とエンターキーを一回。手を止める。
「お?」と期待の眼差しを向けられて深いため息を吐き出した。カクと話をしながら打った数十行を見返す。やはり、ながら作業はよくないらしい。誤字脱字がやたら目立つ。
額の皺をより深くして、またキーボードを叩こうとした時だった。
「分かった。じゃあわしの秘密兵器を貸しだすことにする」
「…………」
この男の辞書には遠慮って言葉はないのか。
結局、一通り打ち終わった荒めの文書をカク専属の営業事務の人に渡して代わりにやってもらうことになった。……で、そこで初めて知った。
「なまえちゃん、お願いじゃ」
「お任せ下さい、カクさん」
「頼もしいのう。わしらは工場に出向いてくるから後は頼むの」
「はい。お気をつけて」
カクと話をしていたのは、少し前に記憶を辿って思い出したあの女子社員だった。書類を受け取ってにこにこと笑いながら「いってらっしゃい」と手を振られ、軽く頭を下げる。慣れないことに、ぎこちなくなってしまったかもしれない。
「さぁて。じゃ、行くかの!」
「…………本当によかったのか?」
「あぁ、大丈夫じゃて。なまえちゃんに任しておけば帰ってくるころにはちょうど終わっておるじゃろ」
こんな適当な男の専属とは、なんとも可哀想な話だ。廊下の曲がり角を曲がるときに気になってつい――と流し目で後ろを見る。そこにはすでにあの子の姿はなかったが、さっそく取りかかってくれているのだろうな、と不思議と彼女のことを信頼している自分がいた。

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