まだ深くは眠れない夜

けほ、けほっ――

見上げるとそこにはいつもの天井。生きている。――でも、引き上げられたときの記憶がなかった。どうやらそのときにはもう仮眠状態に入っていたらしい。両手と両足を動かしてみたが痛みはなかった。体は特に問題ないようす。ただ……寒い海中にずっといたせいだろうか、風邪を引いてしまったらしい。

「……起きたか」
「……ロー」

ベッド脇から聞こえた声に目を向けるとそこにローがいた。分厚い医学書を読んでいる。彼が本を閉じると古本独特のカビた香りが鼻先をかすめた。「調子は?」と医者お決まりの台詞にわざとらしく首を背けるが、彼はそれに構うことなく、手の平を額に乗せた。

「38,5℃」

体温計を使うこともなく、額に手を置いただけで温度を言ってのける彼は、悔しいことに控えめに言っても名医だ。

「嘘、そんなにあるわけない」
「あ? 俺の診察にケチつけんのか」
「つける」

舌打ちが一つ聞こえた。悪態を付きながらも、もう一度額に手を置いて確認してくれる彼はとても優しい。

「……これだけ熱があれば自覚あるだろ。ケチつけるな」

熱があることは分かっていた。ただ、反抗したかっただけ。優しい彼に構って欲しかった、だけ。

「風邪だな。薬持ってくる」
「……お願いします」

「…………」

呆れた顔で笑うローの横顔はいつもよりほんの少し元気がないように見える。愛想のない私に怒ることもなく、彼は部屋から出て行った。

一昨日のことがあったせいか、なんとなくお礼を言う気になれなかった。かといって、無視をするような度胸もない。彼はなかなか起きてこない私を心配して、こうして見に来てくれる程優しい男なのだから、無視しても何事もなかったようにしてくれるだろうけど、それはこっちの良心が痛むので、膨れっ面を返したのだった。

意地っ張りだな、お前――

そう言えば、ローに出会ってすぐにそんなことを言われたっけ。

目を閉じればそのときのことが蘇る。ペンギンとシャチと私と。いつも一緒にいた。貧しい生活をおくる身寄りのない私たちをローは拾いあげてくれて、居場所をくれた。

そりゃ初対面でいきなり話しかけられてすんなり受け入れろっていうのが無理な話だ。だからあれは意地を張っているというよりは、警戒していると言うべきだと思う。いくら、ペンギンとシャチに信用できるからと言われても、怪しいものは怪しい。しかも、ペンギンとシャチが彼と出会ったのは酒場で二人とも結構できあがっていたし。

だから頑なに断り続けた。海賊なんかになれるわけがないと。船上生活の経験もなければ、航海の知恵もない。しかも、私は女だ。そりゃ陸上の戦闘においてはそこそこかもしれないけれど、……海は私にとっては未知の領域だったから。

それからときどき一緒に飲むようになった。そのときのローが何をしていたのかは知らない。

私たちの故郷のような小さな島に来る用事なんてあるのだろうか、もしかして……、”彼は私たちに会いに来てくれているのではないか”それに気づいたときにはもう、ペンギンもシャチも……私も、彼に落ちていた、と思う。

ローの粘り勝ちだった。
出会ったときはすごく不器用な笑顔だった彼が、素敵な笑顔で手を振ってくれるのだ。落ちない方がおかしいと思う。それから私たちはずっと一緒にいる。
 
 
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ひやりとおでこに乗せられた濡れ布巾。心地よい刺激で瞼を開くと、手首で脈を取っているローの姿が目に映った。熱のせいだろうか。ローが二人いるように見える。……それともこれは夢なのか。

「ロー……」

「…………」
 
「ロー……、ロー……、ロー……」
「…………」

「らりるれロー……」
「うるせェ、黙ってろ病人」

「ふふふ、なーに? 怒ったの?」
「いいから静かにしてろ」

「ロー」
「…………」
「ロー」
「…………」

「ロ~~」
「あーもううるせぇ!「暴力反対病人大切にしろぉ~」…………」

チッと舌打ちを打ちながら、文句を言いながら、それでもローは隣に居てくれた。私の瞼が落ちて、意識が離れるその瞬間までローは居てくれた。

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