どうか傍にいて

この病院は私立だ。大きな総合病院で、いろいろなお店が併設されている。おかげで朝昼晩のご飯には困らない。食堂とは別におしゃれな飲食店が並んでいて、飽きることなく食事を楽しむことができた。

「スタミナが落ちているからしっかりとしたものを食べておかないと……」

ルフィの看病をしている私が倒れたら元も子もない。ルフィの傍に寄り添うなら、毎日の食事は欠かせない。スポーツマン3兄弟の食育をした身として、食事の重要性は心得ていた。

手っ取り早くタンパク質を取るなら、やっぱり肉でしょ。目に止まったカツ丼店。外に出された看板メニューに目を通して、頷きをひとつ。うん、美味しそう!

カウンター席に腰掛ける。注文はどうやらタッチパネルらしい。最近よく見る形式だった。

「よし、これで……」

 

注文を受け付けました――

なんだか少し、疲れたな。軽く店内を見回して、周りに人がいないことを確認してぐぐぐ、と背伸びをした。

「こんばんは。お隣、いいですか?」

ふいにかけられた言葉にびっくりして飛び上がった。

「っ、!?」
「あ、ごめんなさい。驚かせるつもりは……」

隣に立っていたのは、見覚えのある人物だった。赤い髪が強く印象に残っている。

「えっと……確か、シャンクス、先生?」
「はい、シャンクスです。覚えてもらえていたようで良かったです」
「えぇ。兄弟がお世話になっているものですから……」

そう言いながら、隣の席を流し見る。どうぞと軽く頷くと、シャンクス先生は軽く会釈をして腰を下ろした。
先生がタッチパネルで注文をする間、私は考えていた。なぜ、この人がここにいるのだろうか、と。時間はもう8時近い。

注文を受け付けました――

ガタン、と音がした。

シャンクス先生が、私に向き合うように椅子を引き出して、両膝に両手を置いて、深く頭を下げていた。状況が掴めなくて、ぱちぱちと瞬く。

「俺の監督不行届です。大変申し訳ないことをしてしまいました」

その声は小さく静かなものだったけれど、重く、はっきりと耳に届いた。謝罪されていることは分かったけれど、なぜそんなにも謝られているのかが分からなかった。

「あの、話がよく……」
「ルフィくんの事故です。俺がもっときちんと早く帰るように言っていればこんなことにはならなかった」
「いえ、そんな! 先生のせいでは……!」
「いいえ。俺は、大事なお子さんを預かっている立場です。それなのに……」
「先生……どうか、顔を上げて下さい」

それでも、シャンクス先生は顔を上げなかった。
手術室の前で見た、あの思い詰めた先生の顔の理由がよく分かった。先生は強い責任を感じて自分を責めている。確かに、今回の事故は夜道で暗がりだったから起こってしまったのかもしれない。けれど、それがすべて先生のせいであるわけがない。そんなこと、端からみれば当然のことだった。

「…………シャンクス先生」

項垂れるように下げられた赤い頭。その横の肩にそっと手を置いた。

「先生、どうか、頭を上げて下さいませんか?」

肩が震えていた。

「私たちは誰も先生のことを責めたいとは思っていません。今回の事故は、車側の不注意だったそうです。ルフィがしっかりと治療ができる環境も整っていますし、現に、ルフィは生きています」
「……っ、でも!」

先生が何を言いたいのか、それは分かっている。
ルフィの未来のことだ。先生はルフィのことをよく考えてくれている。

「先生、どうか」

頑なに上げようとしない、先生の頬を包み込むために両手を差し入れる。ゆっくりと誘導するように力を込めると、先生の顔が自然と前を向いて、視線が混じり合った。

先生の両頬はやつれてしまっていて、目は血走り、目元にははっきりとした隈ができていた。

「ルフィが目を覚ましたとき、先生がそんな格好じゃルフィが悲しみます」

「…………」

「どうか、気を確かに持ってください」

「…………はい」

ね? と今できる精一杯の笑みを浮かべて見せた。もしかしたら、私も先生と同じような顔をしているかもしれない。鏡を見る間もなかったから、きっと見るも無惨な顔をしていることだろう。でも……だからこそ、先生には伝わるんじゃないかと思った。先生以外にも、同じようにルフィのことを考えて、追い詰められている人がいる、という事実。それだけでもきっと、先生の救いになるんじゃないかと思った。だって、現に今私がそうだから。

先生はくしゃくしゃになりながら、溢れんばかりの涙を、大粒の涙を両目から零した。まるでバケツの水が溢れるようだった。私は昨日の夜に散々泣きはらしてしまったから、今日はもう涙は出ないと思っていたけれど、じんわりと浮かんでくる衝動に慌てて蓋をする。

泣きじゃくるように鼻を啜っている先生に鞄に入れていたルフィのタオルを渡した。

「お待たせしました、ご注文の……、お客様、大丈夫ですか?」

「あ……えっと、はい。すみません。大丈夫ですので……」
「そう、ですか? では、こちらに置いておきます」

何かトラブルでもあったのか、とカツ丼を持ってきた店員さんが気遣うように声をかけてくれる。

泣いているのが私だったらもっと色々と聞かれるんだろうけど……泣いているのが先生の方だから、不思議に思っているんだろうな。

「先生。先生のカツ丼も来ましたよ。まずは腹ごしらえをしましょう」
「はい……」

弱々しい返事の後、揃って箸を手にした私たちは湯気の立ち上るカツ丼をゆっくりと堪能した。

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「えー大変お見苦しい姿をお見せしまして……」
「いえ、大丈夫です。どうかお気になさらずに」

カツ丼店で腹ごしらえを済ませた私たちはお店を出て病院内を歩いていた。
申し訳なさそうにしているシャンクス先生の顔は、目がパンパンの腫れている。失礼ながらあまりにパンパンなもので、少し笑ってしまった。恥ずかしそうに目元を隠す様子を見ながら、大人になってからあんな風に泣いている人は見たことがなかったな、と思う。きっと先生はとても真っ直ぐな人なんだろう。

「この後はルフィのところへ?」
「いえ、帰ります」
「……え? あの……でも、会いに来たのでは?」
「いいえ、エースくんを送りにきただけなので」

エースのやつ、先生をアッシーにするとは。後で絶対に言い聞かせてやらないと!

「せっかくですし、顔を見て行きませんか?」
「……是非」

にっこりと嬉しそうに笑った先生が、ありがとうございます、と言う。あぁ――なんだか私まで救われた気がした。

 

:
:

ルフィの病室に入ると、エースがベッドの横で週間漫画を読んでいた。

「エース、お待たせ」
「ん~」

こちらを流し見たエースが私の後ろに続く人を捉えた瞬間、カッと目が見開いた。態度の差が凄いんですけど、エース。

「わっ!! シャンクス先生!」
「し! エース。静かに」
「あ、わりぃ。先生来ないって言ってたからつい、な」
「そこでばったり会ったから、せっかくだし、来て頂いたの」

それは良かった! エースが嬉しそうに笑う。先生は、ベッドに横たわるルフィをじっと見つめていた。

「先生。ルフィに話しかけてやってくれよ」
「……え?」

困惑げに眉を寄せるシャンクス先生。

「……良かったら声を聞かせてやって下さいませんか? ルフィの耳には聞こえているそうなので、もしかしたら反応するかもしれません」

深い意味はなかった。……ただ、先生の声を聞いたらルフィが喜ぶだろうなと思ったから。

先生は緊張した面持ちで、ベッド脇にあった丸椅子に腰を下ろした。そして、額に両拳を押しつけて、祈るように目を閉じた。先生はまだ思い詰めているように見えた。そう簡単に懺悔が消えることはないのだろう。

きっと、周りが何度大丈夫と言ったところで真にこの方の耳には届かないだろう。この人を救えるのは、”ルフィ” 本人しかいない。だったら、なおさら話しかけて欲しい。そう思った。ルフィのためにも、この人のためにも。

懺悔で身を包む先生の背中を押すように、私は、ルフィの右手をシャンクス先生の手にそっと乗せた。

「…………」

憔悴しきった先生の両眼を覗き込み、その瞳に確かに私が映り込んだのを確認してゆっくりと頷く。

「ルフィと話して下さい」

 

すぅ――――

静かな息使いが聞こえる。エースも私も、固唾を飲んで先生の様子を見つめた。

「ルフィ。お前が1年生で唯一の先発に選ばれた。ポジションはフォワード」

「なっ!!?」

エースがガタン、と音を立てて立ち上がる。なぜエースがそこまで驚いているのか、私は分からなかった。先発で選ばれたというのはもうみんな知っているはずなのに。

「…………実はまだ皆にはポジションは言っていないんだ」

先生が小さく言う。

「お前が来たら、みんなの前で堂々と言うつもりだった。だから、まだ公表していない」

「ルフィ、お前やったな!」

エースがまるで自分のことのように喜んでいる。

「俺がアシストしてやるから、ぜぇってぇ決めろよ? いいか、絶対だ!」
「エースがアシストしてルフィが打てば入るに決まってるだろ」

淡々と当然だと先生が言った。

私はなんとなく、もしもまだサボがこのチームに居たとしたら……と考えた。

「それでサボがキーパーなら完璧だね。鉄壁の司令塔が二人を導いてくれるもの」

つい出た言葉に、バッとその場の二人の顔がこちらに向く。

「お、おう! 最高じゃねぇかそんなの!」

エースが張り上げた言葉に病室が揺れた。「声が大きすぎる!」という間もなく、先生が声を上げた。

「っ、今……手が……!!」

先生が握り締めているルフィの手が動いたと言うのだ。

「えっ、目を覚まして……?」
「いや、目はまだ……」

3人して見つめたルフィの顔は、穏やかなものだった。でも、少し……少しだけ。

「なんだか少しだけ眉が寄っている気がする……」

ふふっと思わず声が漏れる。首を傾げたエースに「五月蠅かったんじゃない?」と続けると、エースがふくれっ面になった。

「仕方がねぇだろ! なまえがあんなこと言うから悪いんだ!」
「何よそれ、結構良いこと言ったと思ったんだけど!」
「あぁ、だからだろ!」
「意味分かんない!」

ガラガラガラ――

「「お前らうるせぇ!!」 ここは病院だって、言って…………」

病室の扉がすごい勢いで開いて、現れたサボが声を張り上げた。でもなぜか尻窄みに小さくなっていく声に、3人とも首を傾げた。サボは、……サボは口を開けたまま、目を点にしていて、ますます私たちは首を傾げた。

「お……い、おいおいおい。ルフィ、ルフィ、ルフィ! 目、覚ましたのか!!」

は、い?

当然の如く、勢いよく振り返る三人。

そこには、体を起こしてポカン――と口を開けているルフィの姿。

「お前ら何してんだ? うるせぇぞ?」

「っ、ルフィ!!!!」

私は駆け寄ってルフィを抱き締めた。エースも先生もサボも、みんな、ルフィをもみくちゃになって抱き締めた。

ルフィが無事、目を覚ました。

「いてててててぇ……」

「ご、ごめ……」
「ナースコール押して先生呼ばないと」

「その必要はありません! 五月蠅いので来てみたら、もう! 今回は見逃しますけど、病室では静かにして下さいね! すぐに先生呼んできます。くれぐれも、ルフィくんは安静に!」

あまりの五月蠅さに駆けつけたナースさんに怒られた私たちは、揃って肩を窄めて、静かに肩を揺らして笑った。

 

「腹へった!」

そしてルフィがいつもの一言で皆の心を笑顔にしてくれた。

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