それから私は長い眠りについた。
鴻鵠の力は、ある一定の量を超えて乱用した場合に限り、代償を必要とする。それは、斬魄刀の持ち主である私と、力を使われた側、両方に課せられる。代償は、深い眠りに入ることによる刻だ。だから、私はひたすら眠る必要があった。その眠りの期間は様々で、私自身も詳しくは知らなかった。
眠りの狭間、少しだけ意識が浮上するときがある。半分眠ったまま、時にぼんやりと寝ぼけ眼の頭で、時に鮮明にはっきりと、会話をすることができるのだ。
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「交代の時間や」
「はい。……ではよろしくお願いします」
「あぁ、これ。イヅルからみんなに言っておいて欲しいこと書いてるから」
「分かりました。……では」
ぼんやりと聞こえてきた慣れ親しんだ声に胸がほっとする。酷い鈍痛に頭が侵されていることに気が付くとともに、私の意識はゆっくりと浮上した。あぁ――懐かしい感覚だ。若い頃はよく頭痛に悩まされていたのだったな。
「う…………」
ゆるりと上体を起こす。不思議なことに記憶は鮮明にあった。そして、自身が置かれている状況にも、何となく予想がついていた。
「おはよう、なまえちゃん」
どうやらここは……、三番隊の救護室のようだ。
「市丸隊長。おはようございます」
へらりと笑うくらいしか、今の私に罪滅ぼしができなかった。市丸隊長は私の笑顔に弱いらしいから、少しでも、気持ちの足しになれば……と思ってのことだ。
「君は本当に抜け目のない女やね」
「それは褒めて頂いているということで?」
「うん? まぁ、褒めつつ、けなしつつ、やな。……それより、体調はどうなん?」
「えぇ、まぁ……そこそこ」
ふぅん――これは納得のいっていないときの、隊長の返事だ。……気まずくて視線を逸らす。実際は、少し顔を動かしただけで、頭に激痛が走っている。
「じゃあ、僕がこのままここでお仕置きしてもええんやね?」
「…………それはちょっと、どうかと思います」
「なんでや? 隊長命令を無視する副隊長の意見なんて聞いてあげる謂れはないやろう」
「えぇと……はい。…………すみませんでしたっ!!!!」
こうなったらもう全力で謝るしかない。実際、私が悪かったから謝って当然だ。あのまま、卯ノ花隊長を押し切って浮竹隊長のところへかけこんで鴻鵠を乱用していたら、私の身が持たなかった可能性が高い。そうなってしまったら、回復を担える貴重な能力を持つ斬魄刀を失うという損失を尸魂界に与えてしまうことになるのだ。それがいかに愚かなことか。
「毎度毎度それや。いい加減、今回はしっかりお仕置きするから覚悟しとき。ええな?」
「……はい」
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目覚めるまでもはいなくても、時折、意識が浮上するときがあった。その時にはいつも手の平にわずかな温もりを感じていた。恐らく誰かが握ってくれているのだろう。たったそれだけだったけれど、悠久の時の中で、確かに時間が進んでいるということが感じられて、随分救われたことを覚えている。
次の目覚めの時間。意識だけじゃなく身体も目覚めることができた。ゆっくりと目を開くと前回と変わらない天井がそこにはあった。あ――まだここにいるってことは、順調ってことかな。でもまだ思考は鈍いままで、身体も重い。この分だと、まだまだかかりそうだ。
「起きたん?」
「市丸、たいちょう……?」
「そうや。まだ眠いん?」
「えぇまぁ、そこそこ……どのくらいが経ちましたか……」
「……こっちのことは気にせんで、もう少しだけ眠りや。おやすみ……なまえ」
「あ…………うん。ギン。ごめんね」
「ええから。謝罪はもう十分聞いたて」
「副隊長が抜けたら隊が大変だって言うのに」
「ええから。…………早く、戻ってきてや」
「……うん」
目が霞む。ぼんやりとしか見えない。白い髪の毛がすぐ傍にあることは分かったけれど、彼の顔は見えなかった。握り締められた手の平を握り返して、笑えているかもどうか分からない笑みを返す。
「あと半分……かな。分かんないけど、もう少し、……もう少しだから」
そう言って、私は再び眠りについた。
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「…………」
なまえが目を閉じた後、救護室に残された市丸はその胸にある不安を握り潰すように、彼女の手を再び握った。だが、彼女はもう目を覚まさなかった。
ここまで来てようやく反応があった。毎日、握り締めていて、ようやく。今回で三回目。取り敢えずは、回復が進んでいるということでそこは良かった。……ただ、彼女の言葉を信じるのなら、まだあと残り半分はあるということだ。
浮竹からミミハギ様を引き剥がす神事を行ってから丸五年が経っている。なまえはその間、ずっと眠り続けていた。今の今、ようやく目を覚まして、真っ白だった頬に生気が戻るのを見ることが出来た。…………本当に良かった。
あの騒動の後、隊長格にはミミハギ様と浮竹についての情報が共有された。そうでもしないと、浮竹となまえが姿を消していることへの説明が難しかったからだ。
そして、なまえが療養していることも皆に知らされている。ここにいることは隊長格は知っているので、代わる代わる見舞いに来ては彼女の寝顔を眺めてその復帰を願っていた。その誰もの表情は暗い。
「……だから言ったやろう。戻ってきたら覚えておきや。きっと、みんなそう思ってるで。覚悟しといてなまえちゃん。まぁ……ぼくよりもおっかない人がおるから、そっちの方の心配をした方がええかもやけど」
でも、それに関しては理解しかねている。問題のなまえちゃんの彼氏は、最初の一年を過ぎた辺りから、ここに来なくなっていた。それがなぜなのか、ぼくは知らない。もうなまえちゃんに興味がなくなったのか、とも思えるし、または別の意図があるのかもしれない。
端からみたら、普段通りの様子やし。……あの腹黒の考えていることは全く分からない。怖いわァ…………。
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ぶくぶくぶく――
泡の音がする。波紋がぶつかり合って新しい波紋を産んで、それを泡がかき消して言った。その様子を深い水の底から見上げていたら、下から暖かな流れを感じた。暖流がくねっている。いつからそこにあったのかは分からない。水の底にいると思っていた私よりも更に深いところに突如として現れた。暗い、底の見えないところからゆっくりと流れ出てくる暖流は私をゆっくりと押し上げていく。身体を覆う、温もりに目を閉じる。……これは何だろう。
――と、誰かに頬を撫でられた気がした。
「早く戻って来なさい」
でも、瞼はまだ開かない。
「君がいない世界で私が生きていけないのを知っていて、君はほんとうに酷い女だな……」
藍染……隊長……?
「…………はやく、帰っておいで」
藍染隊長。
「例え君が他の誰かの為に身を捧げたとしても、私は君を愛している……」
ふわりと鼻先をかすめた桃の香り。藍染隊長に贈った、私の好きなお香の香り。
「私も…………でも、私たちは……」
色んなことが絡み合っていて、私たちは純粋にただ愛し合うことが難しい。例え、私が振り向いて彼に抱きついたとしても、運命は私たちを引き剥がす。それが鴻鵠が敷いた強力な縛りなのだ。そうなるくらいなら、今の方がずっといいと思いませんか。
「…………君に、涙は似合わない」
頬に触れた柔らかな感覚。意識がゆっくりと覚醒していく。
指先が、足先が、瞼が、動く。世界は美しい――目の前にある貴方の瞳を間近に捉えて、私は微笑む。
「惣右介――」
残像が重なる。大好きな、かつての貴方が、そこにいる気がした。
胸に宿り続けている恋心が熱く燃える。――会いたい。会いたい。会いたい。まるでその悲鳴が神様に届いたかのように、目覚めるために用意されたかのように、私は、目の前の男に初恋の相手を重ねていた。
「惣右介……わたし、貴方をあいし……」
:
ガラリ――
扉が開く。目前の、瞠目していた瞳がスゥ――細くなる。数度瞬いたのちに、彼は身を起こして離れていく。
「っ、なまえさん!!!」
駆け込んで来た愛しい部下。
「イ……ヅル……」
枯れた喉が刺すように痛かった。でも今はそんなことよりも大事な人達がいる。
「遅すぎるお目覚めやったな……」
できない部下を憐れむように、悲壮感たっぷりの呆れ顔を浮かべながら入っていた私の上役。
「市丸隊長……」
「この阿呆、遅すぎや」
「ははっ……すみません」
ベッド脇に立つ男をもう一度見定める。そこにいるのは確かに藍染隊長で、彼は今の彼の姿をしていた。私はこの人に勝手にかつての彼を重ねてしまっていた。危うく、言いかけてしまった。
上体を起こした後に指先に触れたのは、私の愛刀だった。
……鴻鵠。これは貴方がしたことなの? それとも、私の妄想……?
沈黙を貫く藍染隊長を見つめながら言う。
「藍染隊長。ありがとうございます。おかげで戻ってこられました」
よくは分からない、けど。きっと、彼が何かしてくれたんだと思う。
「君は瀞霊廷に欠かせない存在だからね。これに懲りたら、次はないようにしなさい」
「…………はい」
踵を返して去っていく背中に、私は深く頭を下げた。

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