あなたは夜るの棘とげに刺されてしんでしまった

「ふぅ…………」

久々の自室だ。「掃除は軽くしておいたよ」と言ってくれた寮のおばちゃんに感謝しかない。大方は記憶のままの部屋だけれど、実際は五年もの月日が流れている。

あーたぶん、ここにお花を置いていた気がする……。窓際の机にある空っぽの花瓶が目に止まった。

君に似合うから――――そう言って、藍染隊長が贈ってくれた馬酔木あせびの花。「隊花を渡すなんて見え透いた勧誘ですね」そう言って笑うと、「こんなことで君が靡いてくれるならいくらでも贈ろう」藍染隊長は笑っていた。その時のことが蘇る。

私は、他の隊の視線があることも忘れて顔を真っ赤に染めた。

「それで……? どうかな。うちの隊に来る気になったかな?」

馬酔木の独特の甘い香りがまるで麻薬のようで。思考を鈍らせてくる。必死で頭を回した。

「私は……三番隊の副隊長ですので」
「あぁ……そうか。前例がないと思っているのか。ないのなら、うちが作ればいい。副隊長を二人にすれば解決だろう? 五番隊に来ないか」

優しい眼差しが私に語りかけてくる。君ともっと一緒にいたい。傍に居て欲しい。離れたくない。彼の双眸を通して、二人きりのときに言われる甘い台詞の数々が自然と脳裏に蘇ってくる。……本当に悪辣な人だと内心ごちる。それらは目眩がするくらい、私のことを追い詰めてくるのだ。恋人であるのだから、職務上まで共にする必要はないはず……両足を踏み締めて耐えた。一度は逸らした視線を戻す。両眼でしっかりと、藍染惣右介を見つめ返した。

彼は本当に熱心に私のことを口説いた。まるで、心から私が欲しいと周囲に見せつけるように。毎回困ったけれど、とても恥ずかしかったけれど、だからといって、嫌ではなかった。まぁ…………ちょっとした嬉しさを感じていたのは事実だ。……私も悪い女だよな、って時々思うし、よく彼に言われる。……し、市丸隊長にも、何故だか、京楽隊長にまで言われる。

その甲斐あってか、藍染隊長の努力は実り、私たちが恋人であると公にしていないにも関わらず、「なまえさんのことは藍染隊長が見張っている」と認識されることとなっている。これに関しては若干の怒りを覚えている。

見張っているって何よ。そこは別に、『目を掛けている』で良くない? と思う。こちらは監視されるようなことをした覚えが全くないのだ。……何なんだ、全く。まぁ気にしているのは私ぐらいで、隊長である市丸隊長はそんなこと、気けほども気にしていないし、他の幹部の方々も同じくだった。噂をするのは、藍染隊長のファンクラブの人達ぐらいで、いつか刺されるんじゃないかって、ハラハラしている。もしも私が五番隊に入ったら冗談抜きで殺されそうである。

そんな思い出に浸りながら、空っぽの花瓶を見つめる。とても昔のことなのに、つい先日のことのように感じられた。あの香りが懐かしい。

できるだけ早く、藍染隊長のところに顔を出しに行かないといけない。そう思うけれど、スケジュールを考えると、すぐには無理そうだ。他にやるべきことが山とある。

もう一週間もすれば、元三番隊隊長の鳳橋指南役が戻って来られる。流れ的には、市丸隊長が副隊長になって、私がお役御免になるのかなと思っていたけど、各隊の隊長は全員がそのまま維持されるらしい。元隊長の方々のために、指南役を目的とした教育指導の隊を新たに作るそうだ。強力な助っ人が増えるのは心強い。

ならば、私もそのままの役職で継続だろう。

藍染隊長……ごめんなさい。本当なら、私を起こして下さった貴方の所に向かうのが筋。でも、事は一刻を争うかもしれない。ここで行かないで後悔したくはないのです。

まずは、約束をしていた涅隊長の元に向かわなければ。

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話によると、現在の涅隊長は技術開発局の副局長を兼任しているそうだ。浦原局長と馬が合うようには思えないけれど……大丈夫、なのかな。

新しく誂あつらえられた技術開発局の扉の前に立つ。

「あぁ、なまえさん」

体ごと振り返る。少し離れた後ろから阿近が歩いて来ていた。阿近は十二番隊の三席だったと思うんだけど……今ってどうなっているんだろうか。ここに来ていると言うことは、技術開発局にも携わっているってことだと思うけど。

「阿近、久しぶり」

関係性的には彼の方が後輩だ。年も結構離れているので若いなぁと彼のことを見ている。彼はいつも涅隊長に振り回されている苦労人である。心情をお察しする。

「お元気そうで良かったです」

阿近は無愛想ながらもそう言って扉を開けてくれた。

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「涅隊長、なまえさんをお連れしました」

案内されたのはコンピュータ画面の立ち並ぶ部屋。騒然としていた室内が一気に静かになった。部屋の中央にある、二段ほど高くなったところに二人の人物が並んで立っていた。一人は涅隊長、もう一人は……。

「なまえさん、お元気そうでなりよりっス」

飄々とした物言いは局長になっても変えないらしい。かつて局長だったときはもう少し堅苦しかった気もするけど、こっちの彼の方が好きなので何も言うまい。

「浦原局長。お気遣い痛み入ります」

深く頭を下げる。

「あーかしこまらなくっていいっスよ。どうせならこの機会に砕けて呼んでもらっていいです。アタシはその方が楽なんで」
「え? あ、はい。えーと、じゃあ、浦原……さん?」
「いいっスね!」

けたけた楽しそうに笑う浦原さんの隣、……うわぁ。鬼の形相してるじゃん、涅隊長。浦原さんのことを酷く睨みつけている。

「みょうじ副隊長、ようやく来たか。待ちかねたよ」
「遅くなって申し訳ございません、涅隊長」

卯ノ花隊長のGOサインが出るや否や、すぐに身を移動させて、やらないといけないことをこなした。自室に帰ってゆっくり休む暇を惜しんですぐにここに参上した。これでも出来る限りの最速で来たのだからどうか許して欲しい。

「涅隊長。あんたなら分かっているでしょう。嫌みばっかり言っていると、嫌われますよ」

浦原さんのグサリ刺さる一言に唖然とする。当然、涅隊長は拳を握ってわなわなと震わせている。うわぁ……。恐る恐る隣に立つ阿近を見たら、顔色一つ変えていなかった。ぜんっぜん、顔が読めない。場慣れし過ぎて驚きを隠しているのか、それともこれが日常で慣れきっているのか。まったく分からない。

え~と、え~と? どうしよう。気まず過ぎる。

「……ふん。そんなことはどうだっていいのだよ。時間が惜しい。早速本題に入らないかね」

何故だろう。ここでの立場は浦原局長が上のはずなのに、涅隊長の態度がすごくでかい。……いいんでしょうか。

「そうっすね。それに関しては同意します」

どうやらいいらしい。そういや浦原さんはかなり寛容な人だった。二人は思っていたよりも上手くやっている……? ようで安心した。

「では、あちらの部屋に」

二人の顔を確認した阿近が、先だって歩き出す。すると静まっていた部屋に賑わいが戻って、少し肩の荷が下りた。ずんずん進んでいく長い廊下。何枚もの厳重な扉をくぐり抜けていく。折角解けていた緊張も、歩みが進む度に再び張詰めていった。距離が伸びていく程に、この先にいるお方の身がどれ程に不安定なのかが証明されているようで、とても怖くなった。

「なまえさん」

隣を見たら、浦原さんが立っていた。首を傾げたら、困ったように笑みを浮かべられて。

「さっさと歩かないかね」

随分先に立ってこちらを見ている涅隊長に小言を言われた。涅隊長の横には阿近が居て、同じく困惑した顔でこちらを見ていた。

「大丈夫っスか?」

私の手の平を掬い上げるようにして拾い上げた浦原さんが、軽く腰を折って視線を合わせてくる。そこでようやく、己の足が止まっていたことに気が付いた。

「…………」

返す言葉が見つからない。だって、大丈夫なんかじゃなかったから。視線を落とす。浦原さんが握ってくれている手が震えている。……私が、震えているのだ。

「少し、時間を空けますか?」
「い、……いえ。行きます」

…………怖い。記憶の中にある、浮竹隊長の姿が何度も何度もフラッシュバックしてくる。泥のように崩れ落ちていく大好きな人の顔が、頭から離れない。あの瞬間に感じた絶望が、失ってしまうという焦燥が消えてなくならない。

「アタシがいますから大丈夫っスよ」

顔を上げると、浦原さんが笑っていた。なんてことはないですからと、手を握りしめて、抱き締めて、背中をトントンとしてくれた。そして、耳元で「アタシの力、信じて下さいよ」と。

「…………はい」

ゆっくりと離れていく、浦原さんの双眸が柔らかい曲線を描いていく。閉じきらない瞼の下、そこにある透き通る瞳が私のことをジッと見ている。

「アタシは、なまえさんのことを信じています」

そうだ。彼のことを完全に治せるのは、現在は私だけだ。この浦原さんでさえ、彼を元に戻すことは出来ない。……私が、しっかりしないと。

「全く、今更怖じ気づいたっていうのかね。君は変なところで繊細だ。能力を持ち得ているのだから、堂々としていればいいのさ」

それは貶しているように聞えて、その実、賞賛しているようにも聞えて。私はカラカラと笑った。そして、きょとんとした男連中に目を向けて言う。「ありがとうございます。もう大丈夫です」と。同じく笑った浦原さんが、握っていた手を離して歩き出す。

「なら、お早く行きましょう」

力強く頷いた私は歩き出す。隣に並ぶまで待ってくれた涅隊長に「素直じゃないですよね、隊長って」と皮肉のお礼を言って、舌打ちを浴びせられたけれど、それも何処か嬉しくて。あぁ、私はこんな凄い人達にこの人達に認めてもらって、頼りにされているんだなって――今更、それを理解した。それは、今まで曖昧だった自分の能力に、はっきりとした自信を持つことができた瞬間だった。たったそれだけの事だったのに、己の中に僅かに存在していた鴻鵠こうこくの輪郭が今まで以上に明確に、はっきりと感じられ、彼女が私と強く融合していくのを感じた。

――力が完全に、いや……それ以上に戻ってきたのである。

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