わたしは遺体をあいのことばでぬりたくる術をわすれた

浮竹隊長――大きな扉を潜った先、へたり込んだ私は、部屋の中央にある球体を見上げた。青白い液体の中に、色の薄い浮竹隊長の体が細々と浮いている。

「うっ…………」

嘔吐く。何度も。ここに来る直前に何も食べていなくって良かった。胃をひっくり返す勢いでその場で嘔吐く。頭の中にあるのは、浮竹隊長の死の瞬間。

「君は死神の癖に、どうしてそんなに弱いのかネ」

涅隊長が言う。

「さ……さぁ……。どうして、でしょうか」

貴方たち二人が逸脱しているだけだったらよかったのに。そう思いながら、かつての海燕隊長が亡くなったときのことを思い出す。…………あのときは、こんなことはなかった。もちろん悲しかったけれど、辛かったし、しばらくは毎晩泣いていたけれど、だけど……こんなことはなかった。…………苦しい。

「所謂、PTSDってやつですよ」

浦原さんが言う。

「ぴぃーてぃー?」
「……なまえさん、深く考えてはいけません。そういうものなんだと、思っておいてください。それだけ、このことがなまえさんにショックを与えたというわけですから。出来るだけ離れるように、考えないようにしないと」

彼が言うのなら、そうなのだろう。

「あーぁー、まったく。本当にだらしがない。さっさと直・せばいいだろう。そうしたら、そんなものは消えてしまうさ」

あぁ……分からない。自分のことなのに、何にも分からない。でも――。

涅隊長はそうやって私のことを蔑む癖に、みっともなく這いつくばる私の腕を引っ張り上げて、何なら横抱きにして運んでくれた。球体の真下、そこにあるのは何も入っていない透明なガラスの箱。

「君の力は近ければ近い方が良いらしいじゃないか」
「え……えぇ、はい」

ガラスの箱、縁に座らされる。そして、手渡されたのは一粒の薬。

「それはワタシが開発したものです。あの液体の中でも呼吸が可能になるので呑んでください」
「あ……はい」

薬にしては結構デカい。親指の第一関節くらいあった。飲み込めるだろうか……と、噛めば良いと言われてほっとする。ガリッ――甘いレモン……? 不思議な味がした。刹那――ザババババッ、ふっと背中を押されて落ちてきた液体の中に落ちるように飛び込んだ。

「ごぼぼぼぼ……う……うぅ……」

分かっていても、体は拒否をするものだ。反射的に溺れてしまうとバタつく。ガラスを叩く音がして藻掻いていた手が止まった。目を開く。ガラスの向こう側に、呆れたように首を振る涅隊長と優しく笑む浦原さんがいる。浦原さんが手を振って「大丈夫」とパクついた。そして、彼の人差し指が私の隣を示す。私は、ゆっくりと顔を動かす。不思議と液体の中でも目を開くことが出来た。浦原さんの技術はほんとうに凄い。そう思って、視線を巡らせる。影が、上から……。

顔を上げたら、そこに、浮竹隊長がいた。正確には、浮竹隊長の上半身。それ以外は、液体の中に散らばっている。私は恐る恐る手を伸ばした。さらけ出された、胸板にそっと触れる。いつかに肌を重ね合った彼の肌は、ほんのりと温かかった。

「っ、」

ほろり、零れる涙が液体の中に消えていく。手を、胸の中心に置く。浮竹隊長の左側の胸の上、手の平を置いて目を閉じる。

とくん、とくん――

動いている。動いている。

彼の鼓動がある。

あぁ、彼はちゃんと生きている。彼はきちんと、生きようとしている。なら、今度は私がそれに答える番だ。彼から貰った愛を、返す番だ。

刀の持ち手に手を掛ける。縁をなぞりながら目を閉じた。液体の中で浮遊する。目の前にある浮竹隊長に意識を集中させた。

律せよ、鴻鵠こうこく――

刀身が光を放つ。なまえの全身も、浮竹の体も、ガラスの箱すべてが光の中に消えていった。

浦原も涅も光の中で目を閉じるしかなかった。ほんの一瞬のできごと、瞬いた次の瞬間、そこにあったのは体が戻った浮竹とそんな彼に縋り付いて涙しているなまえの姿。この女はやり遂げた。半信半疑、力のすべてを信じていなかった涅はその現実を受け入れるのに時間を要する。僅かな瞠目ののち、このような力、早々出会うことはできないと結論付く。……と、同時に。女の力を隠し、現世で利用していた浦原という浅ましき男に嫉妬する。自分が先に出会ってさえいれば……立場は逆転していただろう。……それが何よりも悔しい。

だが、今更そんなことを言って何になる。……何もなりはしない。そんなことよりも、この先、この女をどのように活かすか、それを考える方が重要だ。何より、楽しくそそられる。

涅はにんまりと笑う。そんな男を横目に、浦原は息を吐く。「嫌な男に目をつけられましたね、なまえサン」そう言いつつ、その男の中には自分も含まれていることに思い至り、自嘲の薄ら笑いを浮かべた。

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『強くなりましたね、なまえ。前よりも随分強い。貴方の力は”自信”が貌造かたちづくるもの。…………信じなさい。貴方を、貴方を信じる、愛する人達を。私は、貴方を信じています』

鴻鵠の言葉が聞こえた。久々に会えた彼女はかつての姿よりも綺麗になっていた。「お姫様みたい……」そう言うと、彼女はにっこりと笑う。切りそろえられた黒髪の前髪が揺れて、飾り付けられた金色の紐が美しく光る。紅色が緩やかに弧を描き、青い瞳が優しく目尻を落とした。白く陶器を思わせる肌、その容姿はまるで人形のようで、美しく人間離れしている。彼女が首を傾けると、高く一点で結んだ黒髪が、腰よりも下で先っぽを揺らす。その髪は色は違えど、なまえと同じで、なまえはまるで自分を見てるようだと、思った。

「信じる力が私の力になるのです。そして、果てはなまえ、貴方のものに」
「……はい」
「人を信じなさい。貴方の愛したい人を、愛しなさい」
「…………」
「力は不変ではないもの。だから人は強くあろうとし続ける。そうしないと、いつか消えてしまうから。力とは、いつかは消える不安定なもの。それは私の力とて同じ。綻びは綻びを産む。完璧なものなどない。…………分かっているはずです、貴方はとうに」

鴻鵠が笑う。その笑みはまるで母のような穏やかさで私のことを包み込む。

「…………ごめんなさい、なまえ。私はあの男がどうしても許せなかったのです。でも、貴方にとっては……。もう今更かもしれない。私は若い貴方のことを決めつけてしまった。もう少し待った方が良かったのかもしれない。でも、あのまま、みすみす貴方のことを、…………私は見ていられなかった。貴方が大切だったから。だから、…………ごめんなさい、なまえ。すべて、私が悪かったのです」

消えていく。その体を追いかける。腕を伸ばす。でも、彼女は掴めない。苦しそうに、片方の目から涙を落とす、彼女は、まるで私のようで。伸ばした腕はすり抜けていく。私はまだ彼女を顕現させることができないのだ。

「鴻鵠。私は貴方だ。貴方は、私だ。だから、謝る必要なんてない。貴方の罪は私の罪。そして、私の罪は貴方の罪。私たちは、二人で一つ。斬魄刀は、私の霊力そのもの。”鴻鵠”と、私が名前を呼んだ瞬間から、貴方は私。私は貴方。だから、どうか……謝らないで。そんな寂しいことは言わないで」

フッ――姿を消した鴻鵠の後、手元に残ったのは愛刀。手に馴染む、私の刀は今日も美しい。黒と青い刀身。真っ赤な柄が毒々しい。そんな彼女のことが私は大好きだ。

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水の音がした。

「ぼっ、ごぼっ……」

「ゆっくり、息をしてください」

浦原さんがいた。額に手を置いて、首の脈を取って、顔を覗き込んでくる。ふぅ――長いため息の後、彼は笑う。

「もう、大丈夫ッスよ」
「…………?」

瞬いた私はまだ理解が追いついていない。首を傾げて苦笑した浦原さんが体を持ち上げてくれる。今までとは違って、意識がはっきりあったけれど、体はだるくて動かなかった。だから運んでくれたのだろう。

連れて行かれたところは小さな部屋。白いベッドがあって、そこに、一人の人が横たわっていた。真っ白な髪をしている大好きな人だ。

「っ、~~~~!」

思わず、体を起こす。腕の中にいても、体を起こさせてくれた浦原さんが「ハハッ」笑う。私も笑った。ベッド脇には涅隊長が居て、その横には卯ノ花隊長がいた。私に気付いた彼女は優しげに微笑む。「もう大丈夫ですよ」彼女の一言を皮切りに、私は泣いた。何事かと部屋に入ってきた阿近が目をぱちくりさせていた。

「っ、うぅ、ふっ、うわぁんっ――」

嬉しくって、嬉しくって。浦原さんに縋り付いて、なりふり構わずに泣いた。

「……人知を超えた力だネ、君の力は」

呆れ顔の涅隊長に言ってやる。

「いいじゃないですか……。それで浮竹隊長が生きているのなら。私は人知を超えてみせますよ」

真ん丸に目を見開いた涅隊長に笑う。みんなが肩を落として、息を吐き出す。ほっと、笑みを浮かべて、ハハハッ――って、私たちはしばらく笑い合った。

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それから一週間後、浮竹隊長は目を覚ました。

「まるで長い眠りについていたようだ」

開口一番にそう言った隊長は、まるで人形が目を覚ましたようだった。いつにも増して青白い肌、血が通っているかも怪しい白い唇。その姿を見た私とルキアは一瞬、理解が追いついていなかった。

でも、体を起こして、私たちを見据える”勿忘草わすれなぐさ”色の美しい瞳がにっこりと弧を描いたら、途端に理解した。

「う、浮竹隊長ッ!!!!」

二人して飛びつく。

「おっ、とっと。どうした、どうしたんだ、二人とも……?」

いつものように優しく微笑む浮竹隊長に私とルキアは顔を見合わせる。ルキアの目には涙が浮かんでいた。もちろん、私の目にも。

「卯ノ花隊長を呼んで参ります!」

「待って」と言うよりも早く、ルキアが部屋を飛び出した。残された私は、浮竹隊長の膝の上にいたことに思い至って慌てて身を引く。病人なのに、と。でも、背中に腕が回ってきて、ぐぃっと引き寄せられる。

「…………温かい、な」

うるり、引きかけていた涙がまた溢れていく。浮竹隊長が生きている、生きて、……いる。それが何よりも嬉しい。真っ白な唇が私の唇を食はむ。熱を、私の命を移すように、私は彼に身を委ねていく。色づいていく唇。その頬にも朱色が広がっていく。

「なまえ」
「……はい」
「私は、生きているのだな」
「えぇ……そうですよ。生きて、いるのです」
「…………ありがとう」

ぎゅぅっと彼を抱き締める。絶対に無理だって分かっていても、その身を余すことなく抱き締めきれるように、この胸の愛しさの全てが彼に伝わるように、精一杯腕を伸ばして、彼の事を抱き締める。

「……おかえりなさい、十四郎さん」

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