建物の影に陽が吸い込まれるように沈んでいく。まだ少し明るい空の下――私は市丸隊長と並んで歩いていた。ついさっきまで、見回りのお仕事をやっていて、ちょうど終わったところだった。見回りの後は、直帰してもよいことになっている。だから私は、いつも寄り道せずに、まっすぐ寮へ戻る。でも、今日は違った。流魂街の商店街まで来ていたので、隊のみんなへの差し入れに、おまんじゅうでも買って帰ろうと思い立ったのだ。この近くに、みんなの好きな和菓子屋さんがある。もちろん、私のお気に入りだ。
「ちょっと寄り道して戻ります。先に戻ってもらったらいいので、」
「えーもう、しょうがないなァ」
踵を返した私が軽く手を振ったら、小言を言いながら、市丸隊長が付いて来た。「頼んでないんですけど……」と苦笑する。
「ええから、ええから。店が閉まる前に早うせな。ほら、行くよ」
「あっ、ちょ……!」
片腕を取られて、あれよあれよと引きずられていく。そうだった……。例の店のおまんじゅうは市丸隊長も大好きなのだった。
「ほら、急ぎー!」
「分かりましたってば! 自分で歩けますから!」
クスクスと笑いながら腕を解放してくれた市丸隊長は今日は特に楽し気だ。
「今日はなんの餡子にしよーかなー」
なんだか私も楽しくなってきた。何味がありましたっけ?――二人でおまんじゅうに思いを馳せながらお店に向かった。
目的地についた。辺りはもう真っ暗だ。閉店間際のお店には、まだ薄明かりがついている。どうやら――間に合ったらしい。店の方に歩いていくと、暖簾の向こう側に、護廷十三番隊の羽織が見て取れた。こんな時間に誰だろう?――自分たちのことは棚に上げて首を傾げる。どうやら、向こうもこちらの気配に気づいたらしい。その人は、静かに暖簾をくぐり、店の外に出てきた。その様子がスローモーションで流れていく。現れた人物は、大きな背に、茶色の癖ッ毛で――あぁ……もう。……極めつけは彼のトレードマークである黒縁眼鏡。……見覚えがあり過ぎる。私は息を呑んでその場に固まった。
「やぁ、奇遇だね。こんばんは。二人とも」
「どうもー、藍染隊長」
「こ……、こんばんは……藍染隊長」
予想外の遭遇に口の端がヒクつく。怪しいことは、何もしていない――なのに、どうしてこんなに後ろめたいんだろう……。慌てて取り繕ったけれど、見定めるような鋭い視線に、肩がビクつく。『私と市丸隊長はお仕事帰りであって、デートをしているわけじゃない。だから大丈夫。問題ない』両目を閉じて、自己暗示をかけた。……うん、問題ない。よしっ! ――と目を開いたその瞬間。藍染隊長とかっちり目が合った。背筋が――凍ったように寒かった。藍染隊長は、両手を羽織にしまい込んで腕を組んでいた。そして、にこやかな微笑を浮かべて続けて言う。もちろん、目だけは一切笑っていなかった。
「君たちは何をしているのかな」
「ぼくらは夜食を買いにきたんですよ。藍染隊長」
市丸隊長が飄々と返した。隊長の視線は和菓子屋の店主に向いていた。「残り物を頂きたいんやけどさ」そう言って間髪入れずに値切りを始める。…………流石は隊長。抜け目ない。おかげでさっきまでピリついていた空気が緩んだ。なんかドッと疲れた……。肩を落とした私が「今日は見回り当番だったんです」と言い訳とも取れることを俯きがちに言う。
「…………そうか」
こういうとき、藍染隊長はどうしようもない。そりゃァ、私たちは仕事をしているだけだし。それでも、彼は、私が誰かと二人きりになることを嫌う。それが信頼している市丸隊長だとしても。だから彼は私を五番隊に入れたがる。……が、入ったら人生そこで終わりだと思っているので、私は絶対に入らない。誰であれ、囲われて生きるのはごめんである。
……藍染隊長って、私と市丸隊長の関係を知っているのだろうか。ときどき、そんなことを思う。知っているんじゃないかと思うような視線を感じることは多いけれど、気のせいのような気もするし。……はっきりとしない。
「せっかくですし。藍染隊長も一緒に戻りますか?」
私にできるのはそのくらい。
「いいね」
思ったよりも軽やかに返ってきた返答に心臓が飛び跳ねる。
「君と一緒にいられるなら、喜んで」
まーたそういうことを言う。そう思うのに、どうしようもなく嬉しくなってしまうのは、…………深く考えるのはよそう。私は今の関係で十分満足している。
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無事におまんじゅうを買うことができた私たちは、隊舎へ戻る道を歩いている。右に市丸隊長。左に藍染隊長。その真ん中を半歩下がって歩いていた。
「やだ、うそ……本物……?」
耳についた黄色い声。彼等といるときに特によく聞く声色だ。どうせいつものファンクラブの子だろう。彼女たちは目の保養をしているだけらしく、特に話しかけてくることもないので、困ることはなかった。市丸隊長も、藍染隊長も、無能な人は嫌いで、意味もなく話しかけられることを嫌う。今までそういった子達に話しかけられたときはかなり冷たい対応をしていた。それも相まって、最近じゃ話しかけられることはなくなった。
そう思って気にも留めていなかった。
「ほんとうにいるなんて。…………やば。どうしよ」
変なことを言う人だな。気になって声の主を探す。
「ってことは、これから……? これから始まるのかな」
始まる……? 何が……?
足が止まる。向けた視線の先は細い路地裏だった。夜半の暗さではそこに人がいるのかもはっきりしない。……けど、そこから声が聞こえる。
「じゃあ……まだ、間に合う……」
クスリ、と笑う声が――――「どないしたん?」
右隣を歩いていたはずの市丸隊長が先で足を止めて振り返っていた。返す言葉が出てこない。……何か、嫌なものを聞いてしまった気がするんだけど、うまく言葉にして説明できそうにない。開いた口を静かに噤む。
それが気に止まったのだろうか。私のことを待つことなく、市丸隊長が目の前まで戻ってくる。不思議そうに首を傾げながら「聞いてるん?」と言った。
「……いえ、すみません。少し、考え事をしておりました」
深く頭を下げたあと、気を取り直して顔を上げ…………
「――――っ、!?」
背筋に悪寒が走った。
慌てて振り返る……けれど、そこには何もない。辺りを見回しても、先ほどの路地を見つめても、何もなかった。……すごく気持ち悪い。ぞわりと肌の上を何かが這っているような、気持ちの悪さを感じた。死覇装の下の腕を確かめるように触ったけれど、なんともなってなかった。私の左隣を歩いていた藍染隊長も少し先で足を止めて振り返っていた。眼鏡の下の両眼が真ん丸になって、不思議そうにこちらを見ている。
「ほら、行くよ」
市丸隊長の後ろに続いて、藍染隊長の隣に並んだ。こちらを見つめる視線を感じながらも目は合わせない。ただ一言、「失礼致しました」とだけ言って、頭を深く下げた。そんな私の適度な距離感を完全に無視した藍染隊長が耳元までグッと顔を寄せてくる。
「みょうじ副隊長、気分が優れないようなら私が抱いてあげようか」
「っ、」
この人は公共の場でまたそんなことを……! 慌てて距離を取るよりも早く、藍染隊長の手の平が私の左手を掬い取る。流れるような動作に反応できなかった。
女性なら誰もが頬染める甘い笑みを浮かべている。もう何十と経験しているのに、まだ慣れない。五月蠅く打ち付ける心臓を落ち着けるために胸に手を当て、深呼吸を三回。目を閉じる。クスリ、笑う声にぐっと口を引き結んで耐えた。頬が染まるのは仕方がないと諦めた。目を開くと、市丸隊長の呆れ顔が、藍染隊長の後ろに見えた。またやってるわ~と素知らぬ振りを決め込んでいるらしい。助けてくれたらいいのに。
「揶揄わないで……」
彼だけ聞こえるように囁いた――ぞくり、全身を、何かが覆った。急いで視線を動かしたが目には見えない。体を膜のような何かが覆っている。
「っ、」
考えるよりも早く、私は藍染隊長の手を振り払い、愛刀に手をかけていた。藍染隊長が傍にいるのだから絶対に大丈夫なのに、そんなことを考える余裕もなく、ただ本能に従って戦闘態勢に入っていた。
なんだ……このねっとりとした感覚は。全身から汗が一気に噴き出す。気持ちが悪いなんてものじゃない。何かが皮膚の上を刺し歩いているようだった。ちりちりとした痛みが、恐怖が駆け巡る。
「なまえ……? どうしたんだい」
ひっそりと顔を寄せた藍染隊長が耳元で囁く。藍染隊長も市丸隊長も、変わらずそこに立っていた。まるで警戒をしていない。…………どうして? この霊圧が分からないというの? …………私だけ? どうして? 額から汗が落ちていく。刀を握る手にはべっとりと汗がにじんでいた。
視線が――――
誰かに見られている。……それも、私だけ、だ。私だけに強い殺気が向けられているのだ。背筋をせり上がっていく混沌に塗れた誰かの視線が私を震わせた。後ろに誰か、いる。…………怖い。咄嗟に藍染隊長の手を握った。カタカタと歯が音を立てた。…………嫌だ。…………怖い。
どこか様子がおかしい、彼はすぐに気づいてくれた。が、その顔は私を心配しているだけで、殺気には気付いていないようだった。
「まったく……ギン。君のところの副隊長はしょうがない子だ」
待って――そう言うよりも早く、体が浮いた。有言実行、本当に私の体を抱え上げた藍染隊長が、市丸隊長に小言を言う。その瞬間、憎悪の塊のような黒い靄が全身を覆うように包んだような気がした。
「っ、はッ……!?」
「……なまえ?」
「……くる、し……」
何か……いや、誰かに、まるで首を絞められているようだった。

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