ようやく、着いた。
山本元柳斎重國の目の前に、藍染となまえが並んで立つ。
市丸と東仙は、他の隊長らと同じように、二人の背後へ離れて並んだ。山本含め、尸魂界側は怪訝そうに四人を見つめる。 シン――と静まり返った中、口火を切ったのは山本だった。
「……そちらは?」
藍染は、にっこりと張り付けた笑みを浮かべて答える。
「聞かずとも、分かっているだろう?」
無意味な押し問答は不要――そう言わんばかりの、横柄にも見える態度。この男は、本当に和平を結ぶ気があるのだろうか。何名かの隊長は、そう思った。
「……」
だが、ここへ来たということは、少なくとも和平を結ぶ意思があるということだ。現在の尸魂界には、虚圏を相手にする余裕はない。ならば、多少納得はいかなくとも、和平を結ぶべきなのだろう。
「……ふむ」
隊長たちの視線が、藍染惣右介へと集まった。
ひとつ、藍染が咳払いをした。
その視線が、隣へと動く。
「…………」
――と、藍染の腕を握っていたなまえの手が、ゆるりと離れた。
藍染が視線を落とす。
そして、大きな傘を閉じた。
刹那――封じ込められていた霊圧が、堰を切ったように膨れ上がる。
思いもよらぬ事態に、
「「「――――っ!?!?!?」」」
空気が震える。その場の全員が肌を痺れさせるほどの強い霊圧。誰もが息を呑み、狼狽えた。
――――この者は一体、誰だ。
知っているはずの霊圧。
なのに、知らない。
なまえの霊圧。
けれど。
こんなものではない。
これまで知っていたなまえとは、まるで別人のような圧倒的な霊圧が、その場に満ちていく。
誰もが言葉を失った。まるで藍染惣右介がもう一人いるようだ。そう勘ぐった者が、一斉に藍染へ目を向ける。
――だが。
次の瞬間、その目を疑った。
傘を腰元へ下げた藍染が、一歩後ろへ下がる。そして藍染を筆頭に、市丸、東仙――その三人が、その場で腰を折り、恭しく頭を下げたのだ。にわかには信じられない光景だった。まるで、目の前に立つ人物こそが、彼らの主であるかのように。その姿は、忠誠を誓う臣下そのものだった。
その姿を、尸魂界の誰もが理解できずに見つめていた。
藍染が傘を外したことで、なまえの姿が露わになる。
だが、なまえ自身が被っている広い笠に遮られ、顔だけはまだ見えない。
霊圧と佇まいから、そこに立っているのがなまえだと分かる。けれど、あまりにも以前の姿とかけ離れている。分かっているのに、どうしても確信が持てない。そんな奇妙な感覚が、そこにいる誰もの胸にあった。
綺麗な着物を着ている。振袖だ。桜色の生地に、藍の花が散っている。藍染家の家紋だろう。金の刺繍が陽の光を受け、きらきらと輝いている。あまりにも豪華で、過剰なまでの装飾。そう思うと同時に、その姿にはどこか神々しさすらあり、皆、一瞬言葉を失った。
――だが。
隊長たちの意識は、すぐに別の違和感へと移った。
斬魄刀は――どこだ?
誰もが、なまえの腰へ視線を落とす。
そこに、斬魄刀はなかった。
「……本当に、なまえなのか?」
浮竹十四郎が、ぽつりと漏らす。
その疑問は、誰もが抱いていたものだった。
「山本元柳斎重國様。お久しぶりです」
「……なまえか」
「この場で、地に頭をつけることができない無礼を、お許しください」
「……よい。我らは同じ位置に立ったのだ」
「……お気遣い、痛み入ります」
透き通った声に、隊長たちは耳を澄ませた。なまえの声――一言一句、聞き漏らしてはならない気がして、誰もが息を呑む。そして、二人のやり取りを固唾を呑んで見守った。
「本日はこのような場を設けてくださり、ありがとうございます。今回は、和平を締結するために参りました」
「……よく来られた」
「和平締結は、この場の握手で交わすということでお間違いないでしょうか」
「あぁ、そうじゃ。書面での締結は終えておる。今日は、お披露目の式典じゃ」
「では、代表者の握手に先立ちまして、条件のひとつとして、こちらから申し上げておりました損害の回復を行いたいと思っております。よろしいでしょうか」
「……損害、とは?」
「……この藍染惣右介によって、大規模な実験が行われたことは、ご存じのことと思います。その実験によって、多くの魂魄が吸収されました。現在の死神の中にも、魂魄を失っている者は多くいるでしょう。……ご本人は、気づいていないかもしれませんが」
「…………ほう?」
「起こってしまったことを、なかったことにはできません。我々は、今後一生をもって、それを償わなければならないでしょう」
一拍の間――
「まずは、その第一歩として――今回、この場でひとつ提案をしたいと思っております」
「どのような提案か」
「えぇ……例えば――」
なまえは、静かに言葉を続けた。
「失った魂魄の、復元……とか、ですね」
市丸ギン、日番谷冬獅郎の視線がバッとなまえへ向いた。なまえは二人へ、一人ずつ視線を返す。そして、静かに頷いた。この話を、ギンには事前に伝えていなかった。
「えぇ、そうです。例えば――松本乱菊の消失した魂魄、記憶の完全なる回復、ですね」
「なっ!?!?!?」
ギンが思わず声を上げた。深く下げていた頭が跳ね上がり、反射的に片膝を立てる。目の前に立つなまえを、揺れる瞳で見上げた。なまえは、そんなギンに静かに微笑み返す。ギンの本気の動揺を目の当たりにして、残りの隊長たちにも動揺が広がった。――そして、なまえはさらに続ける。
「実験で集まった魂魄の中には、どこからか紛れ込んだのか……百年も前に保管されたものもありました。彼らはすでになくなっておりますが、……恐らく、そちらの魂魄も復元可能かと」
「ふんっ…………魂魄を復元するだと? そんなことをしたところで、形のないものをどうすると? レムのような人形を作るのが、どれだけ難しいか」
「えぇ、そうですね。涅隊長」
伏せていた顔を上げた藍染がなまえに視線を送る。なまえが頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
「ですが――我々には崩玉があります」
なまえの言葉を合図に、空間に黒い亀裂が走った。ぼと……ぼと……。亀裂の向こうから、人型をした白い塊が次々と落ちてくる。魂のない、人形。それらが床へ、ぼとぼとと転がった。
「これは、破面になる前のもの」
藍染は足元の一体へ視線を落とす。
「こちらに、魂魄を収めるのです」
「……なるほど」
涅が人形へ視線を向け、瞬時に思考を巡らせる。
「確かに……親和性は高いか」
その呟きになまえは視線を移すことなく、話を続ける。
「……要。朽木隊長。ずいぶん、待たせてしまいましたね。本当なら、もっと早くにできたのですが……ここまで大事になってしまったので、収拾をつけるために時間がかかってしまいました。申し訳ないです」
「「…………?」」
二人は、何のことだかまるで分からない。ただ、ぽかんとなまえを見つめている。
「お二人とも、保管されていた魂魄は半分でした。ですから、おそらく復元される記憶も半分です」
そこで、なまえは二人を交互に見る。
「ですが、お二人の力添えがあれば、問題はないでしょう。お二人なら、支えられると思います」
「…………一体なんの話を?」
「要」
なまえは、静かに東仙へ視線を向けた。
「貴方は、歌匡の復活を望みますか」
「……は?」
なまえは静かに続ける。
「朽木隊長。貴方は、緋真の復活を望みますか」
グッと息を呑んだ朽木白哉が、誰も見たことがないほどに瞠目していた。震える手で顔を覆うその姿は、抑えきれない感情の揺れを物語っている。表情を崩すことなど滅多にない白哉が、あまりのことにその場に膝を落とした。
「……望まぬことは、致しません。ですが……お二人が望むのであれば」
なまえが静かにそう告げる。
「…………」
要も、白哉も、すぐには言葉を返せなかった。あまりにも突然のことだった。失った人が、もう一度戻ってくる。そんなことが、本当にあるのか。夢なのではないか。そう思ってしまうほど、二人にとっては遠い昔に諦めた願いだった。
けれど、目の前にいるなまえは、冗談を言っているようには見えない。それどころか、その瞳には確かな意思があった。
ならば――。もし、本当に。もし、もう一度だけ会えるというのなら。
「……望む」
掠れた声で、要が答えた。
「歌匡に……もう一度、会いたい」
その言葉に、白哉もゆっくりと顔を上げた。
「……私も望む」
掠れた声が、震える。
「緋真に……もう一度、会いたい」
二人とも、何度も強く頷いた。その姿を見つめていたなまえは、思わず泣きそうになった。失った大切な人に、もう一度会いたい。その切なる願いが、ひしひしと伝わってくる。私にも、大切な人がいる。だからこそ――彼らの気持ちは、痛いほど分かるのだ。
「……分かりました」
なまえは静かに息を吸い込むと、そっと顔を上げた。これでようやく、恩返しをすることができる。なまえは胸の奥に力を込めるように、ゆっくりと山本へ向き直った。
「山本元柳斎重國様」
「なまえ。山本でよい。我らは対等じゃろう?」
「……では、総隊長と呼ばせてください。私は総隊長のことを心から尊敬しておりますから」
驚いた顔をした山本が、ほんの少し笑みを作った。なまえが変わっていないことに彼は安堵していた。
「では、さっそく。……ここで行ってもよいですか」
「……あぁ、頼む」
ゆるりと頷いたなまえの隣に藍染が並ぶ。藍染は、なまえの顔を隠していた帽子を丁寧に取った。現れた姿を隊長等は凝視する。
栗色の髪は綺麗に編み込まれ、横顔がはっきりと見て取れた。今までのなまえとは違うすっきりとした印象だった。きゅっと結ばれた唇から、緊張が見て取れる。なまえは挨拶をするように、ひとりひとり、隊長等に視線を合わせていく。藍染はその隣に立ち、片手を添えてなまえを支えた。
涅の前でもなまえが堂々と立てるように――藍染なりの心遣いであった。なまえの心の傷はまだ癒えていない。気丈に振る舞うなまえに愛おしさを込めて、藍染はフッと笑みを零しながら彼女を見守った。
なまえが一通りの挨拶を終えると、藍染が腰元の傘をなまえに渡す。先ほどからなまえの愛刀が見当たらない――そう思っていた隊長たちが、そこでようやく気づいた。
なまえは、刀を持っていないはず、ならばあの傘は――。
「アタシに改造なんてと言っていた癖に……」浦原が興奮のあまりにひとりごとを呟いた。その目は燦爛と輝いて一点を見つめている。
女一人には大きすぎる傘を受け取ったなまえが、柄を掴んでゆっくりと、引き抜く。きらりと光る刃が傘の中から抜き出る。その瞬間からなまえの周囲に金色の粉が舞った。まるで千本桜のような金色の花びら……いや、これは羽だ。ふわり、ふわりと彼女の周りを取り囲んでいた。
「衝撃にお気を付け下さい」――なまえの一言と同時に、鴻鵠は解放された。
「律せよ、鴻鵠」
金色の羽波が、なまえを中心にして広がっていく。空間に入った亀裂から白い靄が入って来て、羽に包まれていった。大きく、丸く、膨らんでいく。そして、その下に散らばる二つの人形の中へそれぞれが入って消えた。
その他、複数の塊は空に浮き上がって、一気に霧散していった。細い金色の線を描いて飛んでいく様子から、本来の持ち主の元へと向かったのだと、なんとなくわかった。
「……これで、大丈夫だと思います」
鞘に刀を収めたなまえの顔色が良くない。あっけにとられていた隊長らがそれに気づき、浮竹が思わず半歩足を踏み出したときには、藍染がなまえの肩を抱いていた。
「……ありがとう、惣右介」
「……ひとつずつと話したはずだが」
「……小言は後で。いっぺんに済ませた方が早く話ができるでしょ?」
「……」
それに関してはその通りなので、藍染は口を閉ざす。その胸には『二人のこれからのことを急ぎたい』となまえが思ってくれていたということなので、歓喜がかなり混じっており、心配を押しのけた。
「君はまったく…………」
なまえは藍染の扱いを心得ているようだ。周囲の隊長等は彼らのやり取りを見ながら思った。――と。金色の光が入り込んだ人形が徐々に形を変えていく。
「要、朽木隊長。服はないから、羽織を…………」
二人がパッと動き出す。それでまで床に寝そべっていた人形は、二人の記憶にある愛しい人へと徐々に姿を変えていく。
「嘘だろ…………ほんとうに、歌匡?」
要が自身の羽織をかけ、体を抱え上げる。その腕には、生前、彼の親友であった歌匡の姿があった。目は見えずとも、東仙には彼女の気配が分かるようだ。
その傍になまえが近付いていく。
「運が良かったんだと思う。歌匡の魂魄がなくなるそのタイミングで惣右介の実験に回収されていたみたい。……でもね。さっきも言ったけど、残っている記憶は半分くらいだと思う。死ぬ前の記憶は曖昧だろうし……」
「いや、それでいい。彼女には…………俺がまた、一から伝えていく」
「…………そう」
あわよくば、綱彌代時灘というクソみたいな四大貴族に嫁いだという記憶も、その夫に殺された記憶も、すべてが消えていればいい、と東仙はぼろぼろと涙を落としながら、願っていた。そんな東仙の姿に頬をゆるませながら、なまえは足を進める。
その隣、すでに朽木白哉の衣に包まれた朽木緋真の姿に目を向けた。
「朽木隊長……彼女も……」
「あぁ、……私と共に過ごしたことを忘れていようとも、妻としての記憶がなかろうとも、構わない……生きてさえいてくれれば…………」
彼の愛が深いことをなまえは知っていた。だから、朽木隊長は大丈夫だと分かっていた。
「朗報がありますよ。緋真さんの病気は、体由来のものでした。ですので、今回作った人形には影響がありません」
朽木白哉がなまえのことを見上げる。
「目を覚ました彼女はこれから先、健やかに過ごせますよ」
「っ、――――」
白哉の両目からポロポロと涙が零れ落ちていく。それは、緋真の葬式の日と同じだった。あの日の姿が重なる。なまえと同じく知っている京楽と浮竹が胸をいっぱいにして目頭に涙を浮かべている。
「総隊長。ここで発表があります。最後まで続けてよろしいですか」
「……あ、あぁ」
情報過多の場ではあるが、やることはすべてやりきりたい。なまえは意地でも続けるつもりであった。そんななまえの覚悟を微笑ましく思いながら、藍染が隣にならんだ。なまえが、隊長等の方に振り向くと、振袖が大きく翻る。
隊長等の視線が二人を捕らえるのを待った藍染が言った。
「虚圏に住まう我々は、今後『破面の国』と名乗り、藍染家が統治する。そして、こちらのみょうじなまえ、改め――」
スッ――――と、藍染が腰にある刀を抜いた。
砕けろ、鏡花水月――
解号と共に、皆の目の前でなまえの姿が変わる。その身を包んでいた衣が一変し、振袖が上質な留袖となっていた。薄墨色の生地に、金糸で五つの紋が入っている。いずれも藍の花だった。
「藍染なまえが、我らが主となった」
突然の発表に空気がざわつく。あまりに多い情報に皆が頭をフル回転させた。名字が変わったと言うことはつまり……誰もがその先が気になった。乱れた空気を正すように、なまえが口を開く。
「……私は、藍染惣右介の求婚を受け入れ、彼の要望により、彼を婿養子とすることになりました。ですが、藍染家の家柄を絶やすわけにはいきませんので、私が当主として、新たに藍染家を継ぐこととなります」
「つまり、主人はあくまでなまえだということをご理解いただきたい。僕は一度、井上惣右介となり、当主を下りているのでね」
なまえが藍染家の当主であり、実権を握っているということは、簡単には婚姻をやり直すことができないということでもある。二人を引き離すには、暴力で無理やりねじ伏せるしかない。それを、暗に示している。ましてや、この二人を相手にできる者はそう多くない。つまり、実質的には不可能に近い。同時にそれは、藍染惣右介がなまえを操っているわけではないという、何よりの証明にもなった。
「では、破面の国の代表者として、私、藍染なまえが、総隊長と握手をさせていただきます」
「あぁ、そうじゃったの」
圧倒されながらも、軽い調子で笑ってのけた山本が、手を差し出す。
「流石、総隊長です」
なまえは嬉しそうに微笑みながら、その手を握りった。
「どうか、末永くお願いいたします」
「こちらこそ」
きっと、二人が代表である限り――尸魂界と破面の国は、うまくいくであろう。周囲の人々は、なんとなくそう思った。
「では、そろそろ失礼を」
時間切れと言わんばかりに、藍染がそう告げると、なまえが困ったように微笑んだ。いささか不躾ではないかと思ってのことだろう。申し訳なさそうに、総隊長に目を向けながら、なまえは言った。
「今後の交流については後日また、ということで。本日は、少々疲れましたので失礼いたします」
「あい、わかった。力添えに感謝する」
総隊長の視線は、愛しい人を抱きしめる朽木隊長に向かう。
「……要。ギン。貴方たちはどうしますか? 我らに付き従う理由はもうないでしょう? 今の尸魂界であれば、受け入れてくれるはずです。残るのであれば…………」
パッと顔を上げた、ギン、要が再び頭を下げて言う。
「「忠誠を貴方に」」
僅かに目を見開いたなまえは、どこかホッとした顔で頭を下げる二人を見つめていた。
「……なまえ」
藍染の合図に頷く。
「では、また…………」
藍染惣右介、藍染なまえ、市丸ギン。そして歌匡を抱えた東仙要が、亀裂の中へと消えていった。

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