One
:
漂ってきた香り。ふと懐かしさがこみ上げてきた。なんだっけ、この香り。なんか……懐かしい気がする。頭の隅に追いやっていた記憶。徐々に記憶が蘇ってくれば眉間に皺が寄る。しまった。この記憶は忘れたくて追いやったものだったのに。また、蘇らせてしまった。
漂う香りはだんだん濃く、深く。私の脳を刺激した。一旦離れよう。早く中将と合流すべきだと自然と足が急ぎ足になる。
「よぉ」
建物の間と間、その狭い隙間。奥は暗くよく見えない。その奥の方から声がして、パタリと私の足は止まった。そんな声無視すればいい。誰もがそう思う。その声に危険な臭いを感じているならなおさらだ。でも、私はできない。どうしてもだ。
「……」
コツコツコツと靴を鳴らして男がこちらへ歩いてくれば差し込んだ光により顔がはっきりと見えるようになる。もちろん顔を見なくても誰なのかは分かっていたので動じることはなかった。
「ベック」
「久しいな、なまえ」
フゥ――と煙を吐き出す仕草。
「変わってないね」
「変わったのはお前だけだ」
「……」
この男から絶対に目を逸らしてはいけない。それを知っていた私は終始睨み続けた。対して、その警戒しきった私の様子を見てベックはにやにやと笑みをもらしていた。気に入らない。
「たまたまって感じじゃなさそうだけど」
「……あぁ、相変わらず頭はキレるようだな」
さすが俺が選んだだけはあるとベックが続ける。スッと目を細めた私はその言葉を無視して両腕を組み、より強く睨みつける。
「それで用件は?」
「勧誘だ」
「……また?」
「あぁ、まただ」
「何度来ても私は戻らない」
「……なぜだ」
「自分の胸に手を当てて聞いてみて」
ハッと息を吐き出すとベックはクククッと喉で笑う。酷く機嫌の良さそうなその笑い声は私を困らせる。
「お頭が望んでいる」
「そう……お頭、元気?」
「あぁ、相変わらず飲んだくれているさ」
「フフフッ、そう」
「戻って来い」
先ほど浮かんでいた笑みが一瞬で消える。
「絶対に嫌」
「なんでだ」
「……これ以上、ガープさんを悲しませたくない」
「……血は繋がってないんだろう」
「でも、家族! 私の育ての親。息子は革命軍、実の孫は海賊。義理の孫達もみんな……みんな敵対するグループにいる。私だって、数年前まではそうだった」
「そうだ。お前は赤髪海賊団の航海士だ」
「今は違う」
「違わない」
「今は海軍本部の中尉が私の肩書き」
「……なまえ」
「なんと言われようと、私は決めたの。……それに」
「それに?」
「もう過去のことは過去のこと。私はもう前に向いて歩きだしている。ベック、私達の関係はもう過去のこと」
そうでしょう? と懐かしい香りに戻りそうになる気持ちをグッと押し込めて告げるように言う。
「好きな奴でもできたか」
「……」
「無言は肯定の意と受け取るぞ」
「……好きにして」
「チッ――」
舌打ちをしたベックがくわえていた煙草を口から外し、右手で握り潰す。分かってくれたのだろうか。警戒しつつ様子を伺う。再度こちらを見たベックの顔は理解とはほど遠く、怒りがにじみ出ていた。軽く肩が上がってしまった。そりゃそうか……私がこの男に抵抗して勝てる訳がない。一刻も早く中将の元へ行くべきだ。危険を感じ動こうとしない足を無理矢理動かす。でも走り出す前に早々に右手を捕まれてあっという間に拘束されてしまった。
「誰だ」
「ッ誰だっていい、でしょッ」
後ろ手に組まれた両手。間接を捻られれば痛みで堪えきれない悲鳴が上がる。
「うっ……」
「なまえ」
耳元でベックが囁くように名前を呼んでくる。
「やめ、て……」
「どっちをだ? 拘束か? それとも……」
「ん……」
ねとり。耳を生暖かいものが撫でる。何度か行き来するそれはピチャピチャと私の脳へ音を届けた。
「ベック、やめて」
「なまえ、戻ってこい」
「い、や……」

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