Three
:
「なまえ!!」
ガヤガヤと込み合った人混みの向こうでかすかだが私の名を呼ぶ声が聞こえた。ピクリ、耳が反応する。私の様子が変わったことにすぐに気がついたベックが来たか……と声を漏らした。
「なまえならここだ!」
「っ!?」
なんで!? と目の前の男を見た。
「さぁどうする? このままじゃ見られるな」
クククッ。心底楽しそうに笑うこの男はあわよくば私の居場所がなくなり、戻ってくることを狙っていると考えられる。絶対そんなことにはならないと分かっていても、あの人にこんなところを見られたくなんかなかった。
「や、やめっ、やめて!!」
「そんなに声を上げたら来ちまうぞ」
「っ……」
「なまえ!!」
もう遅かった。路地裏に駆け込んで来たその人は私たちを見て足を止めた。
「中将……」
中将は私と目を合わせようとしなかった。
「お前、赤髪のところの奴か……」
代わりに私に覆い被さるようにしているベックに向かって鋭い視線を向ける。
「そうだ」
「なまえを離せ」
「いいだろう。だが、あと少しだ、少し待っていろ」
は? と首を傾げた中将に向かってベックがニヤリと笑う。焦った私が待って! と手を伸ばす間もなく、ベックが再び動き出した。
「ん、やめっ……あっ……」
「お前、何やって!?」
「何って、やってんだよ。水を差すな」
ハッと息を荒げたベックが更にスピードを上げると先ほどまでは服で隠れていた接合部分が見えるようになり、やめろ!! と中将が叫んだ。そんなことは一切無視したベックが果てるとドロリとしたものが抜かれたところから出てきた。あまりの刺激に意識が飛びかけていた私は起きろよというベックのキスで戻ってきた。
先ほどまであった中の感覚はなくなり、上げられていた足も下がって元に戻っていた。代わりに太股を伝うドロリとした感覚。あぁ、やってしまったのだと理解する。ふわふわする頭でベックを見ると横を見るように促される。後ろの壁のせいで完全に横を見ることはできなかったが、そこには確かに中将が立っていて、私たちを見ていた。
「い、や……いや、いや……」
「イヤもなにも、もう終わった」
「いや、いや……見ないで……ちゅう、しょ……」
バタバタという足音が聞こえる。だんだん近づいてくるおれはおそらく私の部下達だろう。形勢が不利になったせいか、ベックがその場を去ろうとする。
「なまえ、来いよ」
「……いや」
「なまえ」
「いや、絶対にいや!」
「なまえ!」
「おい……手を離せ」
「なんだと?」
ずっと沈黙を守っていた中将がベックの手を掴んだ。
「嫌がってるだろうが、やめろ」
握りしめられた手には青筋が浮かんでいた。すぐそこまできた足音、いよいよ囲まれるという状態になってあきらめたようにベックが言う。
「また来る」
「もう、来ないでベック。私はもうあなたのものじゃない」
「じゃあな、なまえ」
「ベック!!」
あなたはいつも、いつも私の言うことを聞いてくれない。なんで、愛して欲しいって言ったときに愛してくれなかった癖になんで今更……
「っ……」
ベックの気配が消えて、部下達が合流する。力が抜けた私はその場に崩れるようにしゃがみ込んだ。背中を壁にぶつけてしまわないようにと中将が支えてくれた。嬉しいことなのに、今それが逆に辛かった。私の代わりに集まった部下にベックを追いかけるように指示を出してくれる。きっと気を遣って人払いをしてくれたんだろう。
「手、大丈夫か?」
そう言われて目の前にある手首に目を向ける。擦過傷があった。真っ赤に腫れている。興奮していた時は分からなかった痛みが今更ながら、じわじわと蝕んできた。
「……痛い、です」
「外す、こっちに貸せ」
「だめです」
「……」
額に皺を寄せる中将にこれは海楼石の手錠ですと続けた。ふざけんな……と苛ついた様子で中将は傍にある壁を殴った。
「すまねぇ」
「……え?」
「お前があんな目に合っていたのに、俺は動けなかった」
「……相手が悪かったんです。仕方ないですから、自分を攻めないで下さい」
相手は四皇、赤髪のシャンクスの右腕だ。その力は大将レベル。そうたやすく勝てないのは分かっている。
「私なら大丈夫ですから。もう救護班も来ますし、先に帰っていて下さい。ね?」
「できるわけねぇだろ」
「……なんでですか?」
「強がるな。今にも泣きそうな女を置いていけるほど落ちぶれちゃいねぇ」
「……泣きません」
「……いいから、泣け」
背中を丸めて小さくなる私を中将が抱きしめてくれた。そっと背中に伸びてきた手が暖かくて、必要以上に触ってしまうことがないようにと気を遣って適度な距離を保とうとしてくれている、そんな優しさが嬉しくて。あぁ、今私、部下としてじゃなくて、女として扱って貰えていると思うと嬉しかった。
それと同時にある身を少し動かすと下腹部に走る痛みによってわき起こってくる感情。なんと言えばいいのか分からなかった。ただ、涙がこぼれた。泣けと言われたせいかもしれない。でも、そのおかげでどうしようもなかったこの感情が涙と共に流れていく気がして安心した。
「なぁ、なまえ」
「はい……」
「いいかげん、中将って呼ぶのやめろよ」
「……でも、中将は中将です」
「じゃあせめて、名前を前につけるぐらいしろ」
「……」
「なんで首を横に振る」
「……」
「理由は?」
「……」
「おい、聞いてんのか」
「聞いています」
好きだから呼べないとか言えるわけがない。
「中将は中将でいいじゃないですか」
「好きにしろ」
「はい、そうします」
素直じゃない私はほんと可愛くないなと思う。
「俺はこんなこと気にしねぇからな。むしろ、奴の首は俺が取る」
「……はい?」
「いや、いい。こっちの話だ」
カチャン――
葉巻に火がついて煙が立ちこめる。
「ん、あぁ。悪いな」
つい癖でな、と言ってすぐに握りつぶそうとする中将の手をとっさに握る。
「いいえ、いいんです」
その煙なら、今の私にこびり付いたすべてを包み込んで飽和してくれそうな気がした。
「……どうした?」
「私にたくさん煙をかけて下さい」
「……は?」
まん丸になった目が私を見ていた。

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