ボガードのお話は、サカズキさんの連載の『諸恋ひ』と同じ世界線のお話です。
妻帯者のサカズキさんが出てきます。愛妻家な彼等のお話。
ボガードは本部の一室で大きなため息をついていた。
彼は最近、何かに悩んでいるらしい。
「ボガードよ。そんなに大きなため息ばかりつかれたら、気になってしょーがないわい」
「あ……、失礼しました。すみません。ガープさん」
そこに彼の上官がいることを忘れるくらいに、彼の思考は悩みごとで埋め尽くされているらしい。そして、誰だってすぐ傍でため息が繰り返されたら気になるものだ。当然のことながら、ガープもそうだった。
「……ったく。聞いてやる。ほれ、何をそんなに悩んでいるのか言ってみろ」
煩わしい書類整理から逃れられる良い機会だと思ったガープがこれ幸いと視線を上げる。そのまま手元にある紙の束を置いて立ち上がる。そして振り返り、傍で仁王立ちしていたボガードを見た。
「……え? いえ別にそれほど大事ではありませんので……」
「気にしないでください」そういう癖に、その顔は未だ曇ったまま。
「じゃから、そういう顔をしたやつが傍にいたら鬱陶しいという話じゃって」
ガープが「座れ」と圧をかける。歩き出しを少し渋ったボガードだったが、腰の刀を抜いて素直にソファに座った。ドスンと向かいにガープが座ると、沈黙が流れる。
「……もしや、喧嘩でもしたのか」
誰、とは言わなかったが、誰のことかはすぐに分かる。いいえ――ゆっくりと頭を振るったボガードが両手で自身の顔を覆った。長息が部屋に残る。
――これは喧嘩にも満たない言い合いか。どうせこやつの方に一方的に非があって、言い返せなかったとか、そう言うことじゃろう。……わしにも覚えがある。こういうときは、どうやって反省するかが大事なんじゃが……。
目の前の男は反省とかそういうレベルを超えている。なんだか気の毒な気分になってくる。ガープはどうしたものかと気を揉んでいた。
――と、扉をノックする音が、
「なんじゃ、今取り込み中じゃ。あとにしてくれ」
カチャン――
その音は静かな室内でよく響く。ガープの命令を無視した存在が遠慮なく不躾に足を踏み入れようとしていた。「……誰じゃ」威圧が込められた声が響く。ゆっくりと顔を動かしたガープ――その瞳に映った男に、続くはずだった言葉を止めた。
「わしも暇ではないんでのぅ。出直すなんて面倒なことはさせるな、ガープ」
「――それはすまんかった。まさか、お前とはの」
ガープの威圧が霧散する。
そこに現れたのは真っ赤なスーツに身を包んだ大男――海軍大将サカズキであった。彼はガープの上官に当たるが、その実、ちょうどよい話し相手とくらいに、互いにそう捉えていた。
「いいところに来たの!」
サカズキのその顔を見るまでは曇っていたガープの表情も、一気に晴れやかになる――そうなれば当然。
誰がガープのその言葉を嬉しがるものか。サカズキが思い切り顔を顰める。
「おどれのその言葉、悪い予感しかせん……出直す」
「いやいやいや。さっき自分で言っておったじゃろう? 出直すなんて真似させるわけがない。ほぉーれ。座れ座れ」
この厳つい男にそんな軽口を叩く者はそう多くない。であるからして、サカズキもその対応には慣れていない。結果、嫌でも逃げ出すという選択肢は彼にはなかった。「じゃからここに来るのは好かんのだ」小言を言いながら、彼はしな垂れているボガードの隣ひとつを開けたソファに座った。
「見ての通り、わしの部下がちぃーっとばかし悩んでおるそうなんじゃ」
「……それで?」
「そっち方面じゃと、わしよりもサカズキの方が年の功じゃからの。ひとつ言ってやってくれ」
「…………え?」
聞いていないようで聞いていたらしい、ボガードがハッと顔を上げる。真正面にいるガープの方に目を向けた後、急いで隣に座る男に視線を向けた。どっしりと腰を置いた大男が不機嫌そうに帽子の下から睨んでくる。
「どうしてわしが……」
「お前が、海軍きっての愛妻家というのは知る人ぞ知ることじゃからの。この際だ、こやつにも教えておこうと思ってな」
「チッ――余計なことをしよって……」
この人たちは一体何の話をしているのか、ボガードは間抜け顔で瞬く。ガープの方に顔を向けると彼は茶目っ気たっぷりのウインクを返してくるだけでまったく宛にならなかった。恐る恐る視線をずらしていく。仕方がなく、もう一度、真隣に顔を向けた。
ハァ――――深い深いため息。心底嫌そうな顔。でも、なんだかいつもよりその身に纏う空気は柔らかい気がする。ボガードは首を傾げた。
「具体的に話せ……」
え、あの鳴かぬなら殺してしまえ――その言葉がぴったりの男が一介の少将の相談に乗ってくれる? ボガードは再び間抜け顔になっていた。
具体的に話せと言われても……ボガードの心中は複雑だった。悩みと言うほどの悩みではない。単純に、自分の気持ちが消化しきれていないだけの話なのだ。それをここまで……殻に籠もっているうちにすっかり大事になってしまっていた。
「……早うせい。こう見えてわしは忙しい」
腕と足を組みながらサカズキが目を閉じる。まさかのあの赤犬がこうして隣で相談事に乗ってくれる日が来るとは、未だに信じられない。……これは現実か。
「おい、ボガード……聞いておるんか?」
ガープがそう言って、そこでようやく自分が何も話していなかったことに気付いたボガードが慌てて声を絞り出す。
「あ……その……、本当に、それほどのことではなく……」
言い難い。ひじょーに、言い難い。
「『それ程』のことではない? それは本気でいっておるんか、おどれの上官がわざわざ時間を割いておるというのに? 見損なったぞ、ボガード」
ボガードがう……と喉を詰まらせる。もっともな意見だ。上官としてガープさんのことはとても尊敬している。義父としても信頼している……が、この人はいろいろと悪い癖を持っているのも事実。その中のひとつに、『人の話は聞かない』ということがあった。
あぁ――もう知るか。ボガードは、恥を捨てることにした。
「妻があまりに可愛いのですが、この気持ちをどのように消化したらよいと思いますか。毎朝毎朝、可愛すぎて気持ちを切り替えるのが辛く……正直、離れたくなく」
「…………ん?」
ガープが聞き返す。
「ふとしたときに、顔が思い浮かんできて、仕事にならないときがありまして」
「…………んん? ありゃ、喧嘩したんじゃなかったのか?」
「そんなこと一言もいっていません、ガープさん」
「悪いがそりゃァ、力になれん。わしも知りたいくらいじゃけんのう……」
「………え?」
「………えぇ?」
この後、サカズキの愛妻っぷりをガープから聞かされたボガードは『人って見かけによらないんだな』と思ったのだった。そういう彼も人のことは言えない――ガープは娘婿のことをによによと楽しく見守ったのだった。

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます