「――さん……」
「なまえ……さ、ん……」
真横から声がした。誰かが私の名前を呼んでいる。……けど、どうしてか身体が動かない。
「サカ……キ……ん、どう…………」
「少し……ゆ……ったら……じゃ……」
「……はい、…………」
声は近いのに、会話が頭に入ってこない。一体誰だろう。誰がこんなところに来る……かな? ガープさん……? それにしては声が可愛らしいような……。
「なまえさん……! なまえさん……!」
何度も何度も肩を揺さぶられてようやく身体が反応する。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。倦怠感が酷かった。のろのろと頭を動かすと、全身の節々が酷く痛む。痛みに顔を歪めながら身体を起こした。辺りを見回す。薄暗い部屋の中――どうやら私は丸椅子に座ったままベッドに突っ伏して寝ていたらしい。
薄らとした明かりに目を向ける。最早聞き慣れすぎて耳に入ってこない電子音を現すモニター、その隣に人が立っていた。一人は小柄、もう一人は大きすぎて頭まで見えなかった。首を逸らす気力もなく、私は小柄な人に視線を向けた。
「……なまえさん。大丈夫ですか?」
「小春……さん?」
どうして貴方がここに……?
小さな返事と共に、彼女が傍に寄る。手を握られて、その温かさを感じて、ようやく自分の現状を思い出した。
私は、ボガードがこの病室に来てからずっとここにいる。もうずっと……。はじめの頃はガープさんが家に帰るようにとしつこく言って来ていたけれど、それもなくなっていて、看護師や医者以外と話をするのは久々な気がした。
「酷い顔をしています。ちゃんと眠っていますか? ご飯は、食べられていますか?」
目の前にある小春さんの顔が泣きそうに歪んでいる。え……わたし、そんなに酷い顔をしているのかな。ぼんやりとした頭で小首を傾げた。
「少し休め。おどれが倒れでもしたら、この男がどう思うか分からんのか」
重く厳つい声。重圧が身体にかかったような感じがした。視線を大きく上に向ける。そこにいたのは真っ赤なスーツを着た大男で、あぁ……彼が小春さんの旦那様かと理解した。
「どうぞ放っておいてください……」
ぎゅ、と小春さんが手を握る力が強くなる。
「放っておけるわけがありません。なまえさんは私の大切な人なんですから」
まるで獲物を睨むが如く、小春さんの後ろの男から視線が突き刺さってくる。なんだか責められている気分にさせられた。
「…………わたしが離れたらボガードが死んでしまうかもしれない」
それが何の根拠もない、妄想だとしても、もう数週間も目を覚まさずに眠り続けているというだけで、そうなる気がして、その場を離れることができなかった。
「…………なまえさん。どうか、私を怒らないでくださいね」
そう言うと、小春さんは手を離してゆっくりと後ろに下がる。――と、代わりに大男が前に出てきて、私の身体をひょいっと持ち上げてしまった。
「なっ、何をするん……ですかっ!?」
「…………おどれはまず寝ろ。飯を食え!」
「っ、だから余計なお世話だって!!」
「情報がある。ボガードと同じ病を患っていた男の一人が目を覚ましたそうじゃ……」
「……え?」
「じゃが。今のおどれには教えられん」
「……なっ!? なんでですか!!」
「小春を悲しませるような奴に教えることなど何もない!」
そう言うと、男は私を肩に担いだまま歩き出す。私がわめき散らしても全部無視だ。そのうちにもともと疲れていたせいか、私は眠ってしまっていた。次に目を覚ましたところは以前に招待していただいた小春さんの家で、そこで有無を言わさず、ご飯を食べさせられた。情報が欲しいのなら、数日間はしっかりここで休むことです――そう言われてしまったら、素直に従うしかなかった。
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「すっかり顔色がよくなりましたね」
「……おかげさまで」
じとりとした目を向ける。少しだけ皮肉を込めて言ってみたのだけれども、彼女には通じない。小春さんは嬉しそうに笑っている。
「そんな目で見ないでください。これでもなまえさんのこと、とても心配していたんですよ?」
「…………分かっています」
その件については、一晩しっかりと寝て、三食の食事をしっかりと食べた辺りから、いかに自分が愚かなことをしていたのか、そのときになってようやく気が付いた。
首を傾げる小春さんに続けて言う。「なんだか納得いかないだけです。お気になさらずに」と――それを聞いた小春さんは珍しく声を上げて笑った。
「あははっ! 我慢せずに文句を言って下さっていいんですよ。その方が嬉しいです」
優しい視線が私を見ている。気恥ずかしくて顔を逸らした。
「では、約束ですから、情報をお話ししますね」
深い頷きを返す。ようやく……ようやくだ。お預けにされていた情報を聞くことが出来る。
:
:
知っている香りがした。桜の香り――どこかで…………記憶を辿っていく。浮かんできたのは大切な人の顔だった。
記憶の中の彼女がくるりくるりとはしゃいで笑っている。両の手を伸ばして、遠慮がちな俺の手を取って、俺の名前を呼んでいる。
「ボガード」
俺は、返事を返そうとしたけれど、何故か声が出なかった。
「ボガード」
再び彼女が呼ぶ。……でも、どうしても声が出ない。俺はその場でぱくぱくと口を開けることしか出来なかった。そんな俺のことをなまえは悲しい顔で見ていた。それが、苦しかった。せめて抱き締めるくらい……そう思って腕を伸ばしたとき、真っ白だった世界が暗転した。
次に目を開いたとき、そこに彼女はいなかった。呆然としていた。
「ボガード! よせ!! 離れろっ!!」
後ろからガープさんの声? ハッ――となった次にはもう腰の刀を抜いて、黒髭海賊団の連中と鍔迫り合いをしていた。
これは一体なんだ…………?
この状況を俺は……知って、いる?
まるで追体験をしているような感覚だった。鍔迫り合いに勝ち、足を前に踏み込む。居合いの構えをして横に一線――辺り一帯の海賊を薙ぎ払ったその直後、俺たちの目前にリンゴが降ってきた。
幾多のリンゴ。戦場に似合わないそれら。一体どこから。天空を見上げた。そこにいたのは、羽根を生やした馬……と、その背中には黒髭海賊団の幹部が乗っていた。あの男は確か……悪魔の実の能力者。その能力は――いけない!!
「ガープさんっ!! 今すぐ離れてください!!」
ガープさんの付近一帯を衝撃波で弾き飛ばす。出来るだけ遠くへ飛ばさなければならなかった。一帯が吹き飛んだのを確認すると同時に、リンゴが地面に落ちて爆発する。まるで地雷原が爆発するように、付近の敵も味方も巻き込んで爆発が続いた。
「がはっ……がはっ……」
身体の力が抜けていく。酷い眠気を感じた。あの男の使う能力は「伝染病」。このリンゴに一体どんな病気が納められているのか。それは誰にも分からない。……一番に頭に浮かんだのはなまえのことだった。
どうかご無事で――
そう言っていつもの笑顔を浮かべてくれた。でも、その身体は震えていて、抱き締めると、縋り付いてきた。口には出さなかったけれど、彼女はとても不安だったんだと思う。それを、我慢して送り出してくれた。…………俺が、不安にならないように、と。
「すまない……なまえ……」
俺は、たった一つの願いも叶えてやれそうにない。
「…………なまえに、…………」
会いたい。――なまえに会いたい。

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