40:召使いの積読

カーン、カーン――

船が海の中に沈んでいく。鉄の階段は特有の音を立てた。耳に感じる違和感は海の奥深くに潜ったときの現象と同じらしい。

「耳抜き、出来るか?」
「…………?」

この人は何を言っているのだろう、首を傾げていたらいきなり鼻を摘ままれた。

「ちょ、」
「口閉じて息を吐け」
「……?」

口を閉じているのにどうやって息を吐くの?

一拍を置いた後、私の正面に立っていたハートの船長がぐしゃりと顔を歪ませる。私も負けずに両眉を寄せて眉間に深い皺を作ってやった。近頃はよく喧嘩を売っている連中を目にしていたせいか、私までも喧嘩っ早くなってしまった気がする。海賊の騒々しさにこなれてしまったのかもしれない。不本意ながら。まぁ最後のゾロの性格に引っ張られているところも大きいのだろう。彼もまた喧嘩っ早い人だったし。

摘まんでいた鼻が解放される。深い長息のあと、彼が言った。

「唾、飲んでみろ」

こくり――少しだけ唾を溜めて嚥下えんげする。耳の中で不思議な音がしたあと、感じていた違和感が綺麗に消えた。

「おぉ……すごい。はっきりした」

ぼやぁああんと聞こえていた不快な感じがなくなっていつもの感覚に戻った。

「耳抜きも知らねェとは……お前はどこの箱入り娘だ」
「えっと、クライガナ島で箱入り娘をしていましたけど……?」
「…………」

返事はない。こちらを一瞥した船長がゆるく首を振っている。なんだか居たたまれないのですが、何ですかその態度は。

「……まぁいい。先に部屋に案内する。その後、飯を食ってこい。俺はやること済ませたら部屋に行くから、それまでは本でも読んでいろ。…………お前、文字は読める、……よな?」
「……失礼な! 読めます」
「…………ならいいが」

踵を返して歩き出した船長の後ろに続いて歩く。船の中は複雑に入り組んでいた。普通の船より狭い。色んな管が足下を通っているので歩きにくく、足を引っかけないように気をつけていたら置いて行かれそうになったので、それはもう必死で後を追う羽目になった。…………気遣いって言葉を知らないのか、この男は……!

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可愛くってちょっと抜けている乗組員のクマさん。それが私のお世話係らしい。これは比喩ではない、彼は本当にクマなのである。これには私も驚いて腰を抜かしそうになった。先にチョッパーと出会っていたとは言え、こんなに大きなクマが目の前に立っているのである、島にいた凶暴なヒヒを連想してしまって吃驚した。そのせいで、クマさん――、名前はベポという彼をしょげさせてしまった。大変申し訳ない。

「なまえ! これ、キャプテンから!」

食事を終えて部屋に戻った私に届けられた本。

「えぇ…………」

ドサッと机の上に置かれたタワー×2。20冊くらいはあるように見えるんだけど、私の気のせいかな……。

「ベポ……この量はちょっと多いのではないでしょうか」
「キャプテンが多い方が暇にならないだろって」
「…………うん。まぁ……そうだね」

ベポに罪はない。彼は厚意で思ってきてくれただけだ。

「どうしたの?」
「ううん。何でもない。ありがとう。早速読むね!」
「アイアイ!」

もう一度言おう。ベポは悪くない。悪いのは、この物凄く難しそうな本ばかりをチョイスしたハートの海賊団の船長なのである。

:
:

「あ~もうだめ。頭が破裂しそう……」

あまり気は進まなかったけれど、他にやることもないし……ということで、素直に本を読むことにした私は、一番上にあった一冊を手に取った。題名は『偉大なる航路グランドライン』だった。

本の内容は、偉大なる航路の説明だった。海図がついていて、島がどこにあるか、どのような島なのか、それが手書きで丁寧に記されている。時々空白のページが続いて、その後にまた説明が始まる。

一つ一つの説明文は堅苦しいの一言。小難しい言葉が並んでいて、「あーこれ何だっけ。どういう意味だっけ。聞いたことあるんだけど……」と頭を悩ます事態に。おかげで頭が沸騰しそうだ。

前半の途中で足踏みをしていた頃、コンコン――とノックが鳴る。

「はーい」

「俺だ」

おぉ……ようやくだ!

栞を挟んで本を閉じる。部屋の扉を開けると、気怠そうにしながら船長が入ってきた。掴んでいた刀を壁に立てかけて、先ほど私が座っていた椅子の向かいに彼は座る。

「ずいぶんお疲れのようですね」
「……ん? あぁ…………」

はぁ――深いため息。ここに来て一体何度この男のため息を聞いただろうか、もう数え切れないくらいだと思う。それくらいに、彼は私の前で息をつく。…………わたし、何かしましたかね。

「……楽にしてくれ。俺に敬語はいらない、というか、気持ち悪りぃ」
「あ……はい。りょーかい」

椅子に座る。机の上には先ほど船長が差し入れた本が積まれている。一冊だけ、さっき読んでいた本には栞を挟んで閉じていた。それを目で見定めて、船長が手に取る。

「読んでんのか」
「うん、一応は……けど、私には難しすぎた」
「読めるには読めたか?」
「文字くらい読めます……!」

揶揄われているんだと思って、顔を上げたら、船長が笑っていた。急な笑顔に少し面食らう。

「俺が書いたからな。癖が強すぎるって、あいつらにはよく言われる」

あぁ……なるほど! それで手書きだったわけだ。腑に落ちた。

「文字は丁寧だと思うよ? それより、言葉のチョイスが難しいから、癖っていうのは、そっちのことじゃない?」

ぱちぱち――船長が瞬いた。

「それは気付かなかったな」

また笑った。こうして笑顔を見ていると、彼も年相応なのだなと感じる。医者だと肩書きを聞いたせいか、どうしても年を食っているように感じてしまっていた。

「私は難しい言葉は詳しくないけど、一冊の本にたくさん書きたいのなら、難しい言葉で詰め込んだ方が効率がいいんでしょ?」
「……あぁ、そうだ。出来るだけ短い言葉で簡潔に書きたいからな」

それはミホークさんが言っていたことだ。彼が読む本はどれも小難しいものばかりだった。おかげで私が読める本は殆どなかったんだよね。今思えば、辞書を買ってもらって、自分で調べていけば良かったな。そうしていれば、この本も、すらすら読めたかもしれない。そして、少しだけ切なそうに見つめるこの男の憂いを晴らしてあげられたかもしれない。

「これ、しばらく借りていい?」
「あぁ」
「あと、辞書も借りられ……」

ん、と船長の視線が僅かに下に動く。それを辿った先、積み上がった本の一番下、そこに――

「あ……もしかして、これ、辞書?」

どうやら彼は気遣いの出来る男だったらしい。

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