第8話 酒場のカウンター席

――深夜2時。

「なまえちゃん。今日もご苦労様でした」
「マスターもお疲れさまでした」

最後の客が出て行くのを見送ったあと、扉にあった看板をOPENからCLOSEにして中へと戻る。そのまま最後の客が座っていたテーブルに足を向けて後片付けを始めた。食器を下げて台拭きで机を拭きながら、結局ミホークさん来てくれなかったなぁ……と肩を落とした。今頃は海の上だろうか。今朝見送った特徴的な後姿を思い起こし、今更ながらミホークさんともっと話したかったなと思った。そんなこと今からじゃできっこないのに。

落ち込んだ気持ちにはぁ~と深いため息が出る。これを拭いたら今日の仕事は終わり。そうやって自分に言い聞かせるようにして手を動かした。ようやく拭き終わって上体を起こしたとき、ふいにマスターが言った。

「なまえちゃん。これ、預かってるよ」
「ん、なに~?」

にやにやと笑うマスターから渡された紙切れ。「なんでそんなにやにやしているの?」と額に皺を寄せる私にマスターは「いいから、見てみろ」と早く紙を開くようにせかす。そこには”バイト後、店の裏口で待つ”と書かれてあった。一瞬、え、何……果たし状? とか思ってしまったけれど、この淡白な言葉。私の知り合いでこんな風に書く人は一人しか知らない。それもつい最近知り合ったばかりの知り合いたてほやほやの人。

これってまさか……、と思った。バッ――と顔を上げてマスターの方を見るとにんまりと笑った後に頷きがひとつ返ってくる。だからその頷きの意味はなんなの! と言う前にマスターが言った。

「察しの通り、鷹の目からだよ」
「嘘!」
「嘘言ってどうするよ」

”鷹の目”とその通り名を聞いた途端に吹っ飛んでいった疲れ。その次に込み上げてきたのは感動だった。嬉しさなんて通り越してしまった。泣きそうになってしまうぐらい胸が締め付けられて、夢にも思っていなかったお誘いの手紙に胸が高鳴る。例えそれが紙切れに書かれていてどんなに素っ気無い言葉であろうとも、私にとっては至極最高のサプライズプレゼント。もう嬉しくて嬉しくて自然と頬の筋肉が緩んでしまう。

「びっくりしたよ。鷹の目が昼に酒場にくるなんて滅多にないからね」

感動で固まっている私にマスターが言う。そう言えば前にマスターが言っていたっけと思い出す。ミホークさんは顔を広く知られているため、昼間はあまり外を出歩かないらしい。基本夜行動する。その彼が昼間にやってきたのだ。たぶん、きっと……わざわざこれを届けるために。ぱちぱちと瞬きながら、言葉を無くしていた私に対して、ガハハハッとマスターは楽しそうに笑っていた。

「何か言ってた?」
「……いや? 何も言っていなかったよ。奴はあまり話さないからな」

「……そうだね」

確かにそうだったなぁと昨日のことを思い出しながらうなづく。

「……ん、待てよ。なんでおまえがそんなこと知っているんだ?」

……しまった。

「う、噂だよ。……あはは」
「噂ね~~」
「…………」
「…………」

ジロリとこちらに向けられたなんか怪しい……というマスターの視線に必死で耐えながら急いで机拭きを終わらせた。あとは……。カウンターに置いてあるコップがまだ拭き終わっていないのを見て今度はカウンターに入ると、その後を追うようにしてカウンターに入ってきたマスターが隣に立って明日の仕込みを始めた。こちらを流し見てくるマスターの視線がまだなんかすごく気になるけど、無視だ無視。

それよりも、前々から気になっていたことがあったから聞いてみることにした。コップを拭いていた手を止めて言う。

「マスター、ミホークさんってどういう人なの?」
「ん? 鷹の目かぁー……正直俺もよく分からねぇな」
「そんなに仲がいいってわけでもない感じ?」
「まぁあいつがここに来たときぐらいしか会わないからな。俺からすれば住む世界が違う人だし。……ただ、いつも店がピンチのときにやってきて助けてくれるんだ」
「タイミングいいね」
「あぁ。それが鷹の目の意志なのか、はたまた偶然か。それこそ分からねぇ話だ」
「…………どうだろうね」
「真相は本人に聞くしかねぇだろうな。ま、話してくれるとは思えねぇがな」

そう言いながらもとても嬉しそうに笑うものだから私もつられるようにして笑ってしまう。すごく不思議な人だけど、でもちゃんと人の道を生きている人だと思う。だからこうしてマスターも……具体的にどういうところがとはうまく言葉にはできないけれど、彼のことが好きなんだと思う。

「ほんと不思議な人だね」

なんとなく嬉しくなってきて笑って返す。そして今更何をと自分でも言いたくなるようなことが頭に浮かんだ。手を止めて黙り込んでいたら、「どうした?」とマスターが顔を覗き込んでくれた。その言葉に後押しされるようにして言う。

「彼、海賊なんだよね」
「あぁ、だな。でもな、海賊にもいろいろいるらしいからな。そう海賊ってひとくくりにしてしまうのは良くないと思うぞ」
「そう……だね」
「ついでに恋愛に年は関係ないからな」
「そう……だね。って!? は、はぁぁあああ!? な、何言ってんの、マスター!」

危うく持っていたコップを落とすところだった。マスターの方を見たら、にたにたと心底嬉しそうに笑っていて、それ以上言葉が続かない。悔しいながらも口を閉じると、「いいから、早く行けよ。待たせてるんだろ?」と一言。

「あ! そうだった! ごめん、マスター先に上がらせてもらうね。お疲れさまでしたっ」
「はい、お疲れさま」

裏の廊下を走りながらエプロンを外す。髪を手櫛でササッと整え、ふぅ~と息を吐き出した。なんだか落ち着かない。裏口の扉の前で足を止めて深呼吸をして落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせた。これを開けたらミホークさんがいる……はず。どくん、どくんと高鳴る鼓動を握り潰すようにして右側の胸に手を当てて握り拳を作った。……でも、それでも心音は早いままで。まるで走っているみたいに強く打ち付けていた。治まるのを待っていたらいつになるやら。もう、行くしかない。覚悟を決めた。ひと呼吸、息を吐いて扉に手をかけて。

カチャン――

強い覚悟とは裏腹にそっと開けた扉。ほんの少し開いた隙間から、恐る恐る外を覗き見れば、そこには想像していた通りの彼がいた。

私の目が彼の目に向いた瞬間、彼の目もこちらに向いて。ばっちり目が合った。目が合った途端、気恥ずかしくて見ていられなくて失礼かもしれないと思ったけれど耐えられなくて視線を外す。視線が合ったからにはもう後には戻れない。少ししか開いていなかった扉を押して外に出た。

その間も注がれている彼の視線を強く感じた。動作のひとつひとつを吟味されているような気がして、扉を閉める手が震える。なんてことはないことなのに。扉を閉めただけで、よくやった! と自分を褒めてやりたい気分だ。扉を閉めた後はどうしたらいいのか。振り返って、視線を右往左往させながらゆっくりと足を進めた。ミホークさんとの距離を縮めて足を止める。

「あがりか?」
「え、あ……え、と。……はい。今日はもう終わりました」

「そうか」と一言。短い会話だったけれど、すごく嬉しかった。ミホークさんの方から声をかけてくれた。ただそれだけで、頬が染まる。我ながら単純。

「あの……」

小さく首を傾げる彼を見上げて、頭を下げる。

「遅くなってすみませんでした」

そう言うと、フッと息を吐き出したミホークさん。返事は返ってこなかった。本当に遅いなと悪態をついていたのかもしれない。振り返ったミホークさんは足を踏み出して歩き出す。怒ってしまったのかもしれない。内心はいらいらしているのかも。だから何も言わないんじゃないかな。その後ろ姿を見ながらそんなことを思った。そう思ったら足がすくんでしまって動かなくて。

「なまえ? 行くぞ……?」

聞こえた声は心配していたような怒った風なものではなかった。

「あっ、はい!」

それどころか、その声はすごく優しい響きで。私の名を呼んでくれたその彼の横顔はすごく優しい顔つきに見えた。彼の後ろに追いついて、ふと思う。一体いつからあそこで待っていたんだろうかと。だって、うちの酒場の閉店時間はお客様次第なのだ。明確な時間なんて決まっていない。……聞きたい。知りたい。彼の考えていることを思っていることをすべて知りたいそう思った。

そのまましばらくの間、月夜に照らされながら2人して歩いた。十字架のそれはそれは大きな刀を背負う大きなシルエットの後ろに続いて歩く小さなシルエット。それが建物に映ったとき、ようやくミホークさんと一緒にいることを実感した。なんだかすごく嬉しい。こうして彼の傍にいられて幸せだなぁとそう思った。

少し歩いた後、酒場に入った。まだやっているところがあるんだと感心しながら入る。聞いてみるとここは深夜帯に開店するところらしい。どうりで知らないはずだ、と頷きながらミホークさんの後ろに続いてカウンターに向かって歩いた。

カウンター席というのは少し高さがある。そりゃあマスターが立ち仕事しながら相手できるようにという机なのだから仕方がない。……にしても高い。隣を見ると、刀を置いていつものごとく席に座って涼しげな顔をしているミホークさんがもうドリンクを注文している。少しみっともないかもしれないけれどしようがない……、そう思いながらよじよじとよじ登りながら席に座った。

「……これほどカウンター席が似合わないのも珍しいことだな」

実はミホークさんはよくしゃべる人なのではないか、そんな疑問が頭に浮かんだ。

「カウンターに座るのは初めてなんです!」
「責めているわけではない」
「……分かっています」

でもなんかからかわれた気がしたからちょっとムッとした。

「なまえは何を?」
「えっと、じゃあおすすめのカクテルで……あ! 度数下げて下さい!」

「はいよ」と返ってきた店のマスターの返事を聞き入れたあと、隣に目を向けるとミホークさんと目が合った。なぜか笑っている……? ような?

「好きなものを頼め。今日はおごる」
「え、そんなっ」
「昨日の礼だ」
「あ……なるほど! じゃあ遠慮なく!」

力強く遠慮しないことを言うと、くつくつとミホークさんが喉を鳴らした。珍しい。あまりの珍しさにぽかんとその様子に見惚れてしまう。普段のあの無表情もいいけど、……やっぱり、ミホークさんは笑顔が素敵。にんまりと口元を緩ませて笑い返した。

「まったく。いい性格をしているな」
「そうでしょう?」

皮肉の一言だって、私にとっては……いや、今の私たちにとってはまた別の意味を持っていて。出てきたグラスを受け取るやいなや2人で乾杯した。あっという間にグラスが空になって、また注文してしようもない話をした。

お酒の勢いもあったし、彼も私も饒舌で話が弾みに弾んだ。会話の内容なんて薄っぺらいものだったけど、過ごした時間は私にとってとても密なものだった。目の前で笑ってくれている彼を見ながら、ミホークさんにとってもそうであったらいいなと思った。

「大丈夫か?」
「ん~…………」
「なまえ?」
「…………はい」
「なぜそこで一旦詰まる?」
「んー……眠いです」
「弱いなら弱いなりの飲み方が……」
「……ミホークさん」
「…………なんだ?」
「今日来てくれて嬉しかったです。すごくすごく楽しかったです」
「…………そうか」

ミホークはフラフラしているなまえを横抱きにして、しどろもどろ返事を返すなまえに言葉を返しながら、なまえを家へと連れ帰ることにした。

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