第24話 その人、相変わらず

床の上にへたり込んでしまったなまえに目を瞬かせたシャンクスは文句を言いながらも安堵でいっぱいになっているその様子を見て頬を緩ませていた。シャンクスはなまえと目線を合わせるように、椅子から降りてその前にしゃがみ込む。

「良かったじゃねぇか!」

今日一の優しい笑顔を浮かべながら、なまえの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「うん。ほんと……本当に良かった。信じていて良かった……」

確たる証拠とまではいかないかもしれない。本人から直接そう言われたわけでもなかった。それでも、シャンクスが話してくれた話はなまえにとって救いの船であり、揺れ動き、折れかけていた想いを繋ぎとめた。

うんうん――くしゃくしゃと頭を撫でながらなまえの話を聞いて頷くシャンクスの優しさにすっかり絆されてしまったなまえは、今まで胸の内に溜めていた不安のすべてを洗い出すようにして、ぽろぽろと涙を落としていった。

「おいおい。泣くなよ? 俺が泣かせたみたいじゃないか」
「っ……、ごめ、んなさい……なんか勝手に、止められなくて……」

両眼を真っ赤に腫らして止まらない止まらないと泣きじゃくるなまえを見かねたシャンクスがなまえの肩に手を回して抱き寄せた。よしよし――そうシャンクスが口に出そうとしたときだった。

ザザザ――――ン

爆風と轟音。全身が揺れた。なまえは咄嗟に目を閉じていた。数秒続いた音が鳴りやむまで両耳を両手で塞いで身を縮込ませる。轟音が消える直前、体のすぐ横を突風が通り過ぎたように感じた。肌がひりひりと風に反応する。

とんとんとん――なまえは肩を叩かれてようやく薄目を開けた。両手を耳から離しながら、一体何があったのか、辺りを見渡そうとより大きく目を開いたが、もくもくと立ち込めているひどい砂埃のせいで状況はよく分からなかった。耳鳴りがキィ――ンと鳴っていた。今度はゆさゆさと肩が揺さぶられた。視線を横に向けるとぱくぱくと口を開いて閉じているマスター。耳鳴りのせいで何も聞こえない。
「耳鳴りが……」そう言いながら、耳を指さす。マスターは自分の鼻を抑えて見せた。そしてゆっくりと口を開いて閉じる。

「耳抜きを……!」

ぼや~と聞こえたその言葉になまえは頷き、鼻を摘まんで耳から息を抜いた。

「どうだ? 大丈夫か?」
「……あ~~うん。大丈夫。治ったみたい」

よし――マスターは強く頷く。そして彼はなまえのすぐ横に目を向けながら言った。

「はぁ……もう。勘弁してくれよ」

1m先もよく見えなかった砂埃が徐々に治まりつつあった。マスターにつられて自分の横に目を向けたなまえは唖然とした。なまえが座り込んでいたところから丸々半分が無くなっていた。それはもう綺麗さっぱりと。

「お、お店の半分が……」

一体何がどうなってこうなったのか――なまえの頭は混乱していた。

「そうだ……レスティ!」

なまえの無事を確認してほっとしたのも束の間、慌てて駆け出していくマスターの背中を目で追う最中、なまえの頭に浮かんだ赤い髪。その髪を探すように慌てて視線を巡らせる。

「シャンクスさんっ!?」

ついさっきまで隣にいたはず……向けた視線の先にひやりとなまえの肝が冷えた。

……そうだ。ここにシャンクスさんがいたんだった。そこは先ほど唖然と見つめていたところだった。跡形もなく消え去った隣の空間――その周囲は未だ砂埃で覆われており、全貌がつかめなかった。

「なまえ! 無事!?」

レスティの声だ。なまえが後ろを振り返ると、吹っ飛んで上半分が消えてなくなってしまったカウンターの向こうにレスティとマスターが立っていた。

「うん。私は大丈夫! 二人は?」
「こっちも大丈夫!」

ゆっくりと傍に歩み寄ってくる二人の顔をよくよく見てみると、マスターは酷いしかめっ面をしていたが、レスティの方はなぜかにこにこと嬉しそうな笑みを浮かべていた。なまえは首を傾げた。

「レスティ、どうしてそんなに嬉しそうなの……?」
「そりゃぁ、こんなことやってのける知り合いは一人しかいないって思うからよ」
「……知り合い?」

あぁ、ほら――レスティが店の入り口があった方に視線を送る。つられてなまえも視線を向けた。立ち込める砂埃の中に黒い影が浮かんで揺れている。

人……?

そう認識するとほぼ同時にその影が誰であるか――なまえは薄っすらと気が付いた。でもそれはただの自分勝手な思い込みかもしれない。そう思えて仕方がなかった。それでも期待せずにはいられない。高まる心音が周囲に聞こえているんじゃないかと思うぐらい、強く打ち付け、なまえの胸を痛めた。なまえは痛みに顔をしかめながら、胸元を強く握り締める。

よりはっきりとしてきた影は紛れもなく自分の欲しているものだった。見間違いようがない。強い痛みがこれは現実だと教えてくれた。その瞬間――より早まった鼓動が強く打ち付けた。…………苦しい。息ができない。それでも何とか息をしようと、胸を押さえながら呼吸を続ける。そうしている間も、ゆっくりと近づいてくる影。待ちきれず逸る鼓動のなか、なまえの意識は何とか精神力で保たれている状態だった。

あぁ――こんなにも欲していたなんて。

うつ向いたなまえが呼吸を整えながらそう吐き出した。

ザッ――なまえの耳に音が届いた。顔を上げると、影はもうすぐそこまで来ていた。ザッ――ザッ――あと少し、ほんの数歩で見える直前で止まった足。見えそうで見えない実際の姿。なぜこの男はこんなにも意地が悪いのか、本当なら掴みかかってもいいようなものだが、今のなまえの頭にはそんなこと浮かびもしなかった。ただ兎に角、ひと目でいいから彼の姿を見たい。その一心だった。やがてすこし強い風が吹くと埃が綺麗に流されていく。

現れたのは影なかでもひと際主張していた身の丈を大きく超える十字の大剣に唾の大きな黒い帽子と黒いコート。光りを放つ十字架のネックレス。彼だ――彼でしかない。声にならない声が嗚咽となって漏れていく。なまえは何度も何度も彼の名を呼ぼうとしたけれど、喉を通っていかなかった。

砂埃が完全に晴れたあと、はっきりと見えた彼の顔は7か月前と何一つ変わっていなかった。金色の眼球にある黒い瞳が一点を見つめている。なまえの体が震えた。ミホークはただ一点、なまえの両眼を見つめていた。何も言わず、ただ見つめていた。
以前と何一つ変わらぬ凛々しさ。その事実に安堵し、漆黒の冷たさの中に秘められた想いが未だここにある事実に熱いものがこみ上げた。視線一つでなまえの心を再び鷲掴みにした鷹の目――ジュラキュール・ミホークは瞳を潤ませるなまえの様子を見てわずかに眉を動かした。

枯れたはずの涙が再びあふれ出して床を濡らしていく。どうしても漏れてしまう嗚咽を抑えるように、なまえは両手で顔を覆い、声を押し殺すようにして泣いていた。

「なぜ、声を殺す?」

差し込んだ影がなまえに問いかけた。肩をビクつかせたなまえが顔をうつ向いたまま答えた。

「せっかく会えたのに。恥ずかしいところを見せたくなくて……」

言葉の端々で漏れる、鼻をすすり上げる音さえもなまえにとってはミホークに聞かれたくないことだった。

「………」
「……ごめんなさい」
「……なぜ謝る」
「次会うときは笑顔でって決めてたのに……こんなみっともない姿になってしまいました」

なまえが何とか涙を押しとどめようと両目の涙を拭い続けているとなまえの上に差し込んでいた影がゆっくりと縮んでいった。なまえの視界には黒い靴先が映り、なまえはすぐに顔を上げた。そこには腰を折ったミホークがいた。想像以上の近さに吃驚した体が後ろに仰け反りそうになったとき、彼がなまえの両手を掴んだ。おかげで体はその場に留まる。

「……なぜ」
「……?」

なまえが目を瞬かせ、ミホークは瞬くことなくなまえを見つめていた。吸い込まれそうなほど透き通っている彼の瞳はなまえの動きを封じ込め、なまえは微動だにしない。まん丸に見開かれたなまえの両眼を流し見ながら、彼はなまえの耳元にそっと顔を寄せた。

「隠す必要などない」

耳元で囁く声になまえはグッと喉を押し込める。……ずるいよ、ミホークさん。なまえはゆっくりと目を閉じていく。

「なまえのすべてを奪いに来た。落とした涙も泣き顔もすべて俺のものだ」

なぜだろう――言葉は淡々としているのに、彼が言うだけでこんなにも暖かい。

「……うん」

なまえの体から力が抜けていく。頬には彼の手が添えられて、まだ少し残っていた目元に浮かぶ涙を拭いとってくれた。
会いたかった――最後のその一言になまえは目を見開いた。鳴りを潜めていた”彼に会いたい”という衝動が彼女の体を駆け巡る。なまえは無心で首元にある彼の顔の方に頬を寄せ、何度も彼の名を呼んだ。
あぁ――彼がここにいる。そう実感できるまで何度も。そして、背中に腕を回してしがみつくと、スイッチが切れたように眠りについてしまった。

なまえがすやすやと寝息を立て始めたあと、ガラガラガラ――と瓦礫が音を立てて崩れた。音は綺麗に無くなっていた店半分の奥、残骸が積み上がったなかから聞こえた。さらにガラガラガラ――と共に「いってぇ~」と声がひとつ。積み上げられた瓦礫が崩されて中から人が出てきた。そこにいたのはなまえが探していたシャンクスだった。
シャンクスの視界が、なまえを抱えて立ち上がるミホークを捉える。

「鷹の目……てめぇか。ずいぶんご挨拶じゃねぇか」

シャンクスは跳ねるように軽やかなジャンプでその場に立つと服についた埃を軽く払った。見たところ埃まみれになってはいたものの、傷一つついていない。そのシャンクスが立つ目の前の床には、深く刻まれた斬撃の跡があった。彼の直前で止まっていることから彼が斬撃を受け止めたことが容易に想像できる。

「…………」

なんだ生きていたのか、そう言いたげに、冷たい眼差しでシャンクスの方を見たミホークは彼の小言に何か返すことなく、知らぬ顔で自分に抱きついているなまえの背中を優しく撫でた。瓦礫が崩れ落ちる音で目を覚ましてしまうのではないか、と様子を窺っているようだった。

シャンクスはその様子を見てわずかに両眉を上げた。ふむ、と何か考えるように自身の顎を触りながら、2人のいる方に向かって足を踏み出した。

「あーぁ。埃まみれになっちまった」

ここでようやくミホークが口を開く。

「赤髪、なぜお前がここにいる?」
「別に。俺の勝手だろうが」

今度はシャンクスが冷たい眼差しを向けた。シャンクスがお返しだと言いたげに鼻を鳴らすと、ミホークの額に皺が寄る。……が、なまえが身じろいですぐにそれも消えた。

シャンクスの視線がミホークに体を預けているなまえの方に向く。

「なまえは?」

「……眠っている」と睨み返すミホーク。だから静かにしろと? シャンクスは「まったく……」と首を左右に振った。
緊張の糸が切れたなまえはあっという間に眠りについていた。宴の疲れも相まって、体力の限界を迎えていたようだ。

「思っていたより早かったな」

シャンクスが言った。何が言いたい?――ミホークが睨み返す。シャンクスは腕を組んでため息をひとつつくと、ミホークが言う。

「……お前のような奴がいるからな」
「あ”?」
「お前がなまえに興味をもつことぐらい予想がつく」
「……なんだそりゃァ。勘か?」
「…………勘、か。いや……必然だろう」
「…………?」

ミホークは抱き上げたなまえを横抱きに抱き直す。その眼差しは、宿敵としてミホークと長い付き合いのあったシャンクスですら見たことのない、柔らかなものだった。

「へぇ……お前でもそんな顔をするんだな」

刹那――殺気が放たれる。これ以上余計な口をきくようなら……そうミホークが警告を出した。つまり、邪魔だと言いたいのだろう。

「…………赤髪、去れ」
「へぇへぇ。言われなくてもそうしますよ~」

じゃあな――軽く片手を上げながら踵を返したシャンクスはミホークの方を振り返ることなくその場から姿を消した。

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