第11話 モビー・ディック号

暗闇が終わる――薄明るくなってきた空が夜明けが近いことを知らせた。もうそんな時間になったんだ……山を登り切り、下った先に見えたのは小さな桟橋と小舟だった。さすが用意がいい。

……あと少しだ。

桟橋に着いたところでホッと息を吐き出した。あれからビスタがどうなったのか、それが気掛かりでイゾウと気を揉みながら彼を待つ。その間に休息を取ることになった。遠慮なく地べたに腰を下ろす。

「ほんとうに、なんとか、だったな」
「……うん」

イゾウの言葉に激しく同意する。強く頷きを返しながらも出たため息。……すごく疲れた。イゾウに抱えて運んでもらったはずなのにおかしいな……。

「ビスタを連れてきて正解だった。俺だけじゃ到底無理だ」

……確かに。イゾウは拳銃使いだ。刀との相性はあまり良くない。遠距離ならまだしも……あ、いや……ミホークさんは遠距離から斬撃を飛ばせる人だった。少し前の情景を思い出して肩を震わせる。味方の内は気にしてなかったけれど、敵に回すと本当に厄介だった。今回の件で再認識させられた。

幸運だったのは、今回は『人質』がいたことだ。もちろん『私』のことだ。そうでなければ逃げ切るのは難しかっただろう。まぁ、もしもミホークさんが本気を出したらの話だけど。未だにあの人のやる気スイッチがどこにあるのか分からない。

カサッ――耳の奥、僅かな音がした。目だけをイゾウに向けると、イゾウも私を見ていた。イゾウの手がゆっくりと腰の拳銃に添えられた。いつでも抜ける。イゾウが頷いた。

「噂話にしちゃあ声がでけぇなァ……光栄だよ」

茂みの奥から聞こえた声に反射的に反応して地面から腰が浮く。現れた姿を確認して心から安堵した。

「あぁっ! ビスタ!」
「……無事だったか」

ホッと緊張の糸が解けていく。顔を見合わせてニシシシッと笑い合った互いの顔は結構酷いものだった。傍から見てもビスタが多数の傷を負っているのは分かった。けれど、海賊にとってそれは勲章でもある。

3人とも無事に合流することができた、今はそれで十分とする。怪我の話題に触れない二人に倣って野暮なことは言わない。捕縛されなくて良かったとただただ笑い合った。

揃ったのなら少しの時間も惜しい。それからすぐに小舟に乗って沖へと向かった。

「お、なまえ。見えてきたぞ」

大海原の真ん中にドーンとある巨影にゆっくりと近づいていく。

「うわぁ。こうしてみるとやっぱり大きいね、モビー」
「当然だろう」

少し眠ると言うビスタの横、船を漕いでくれるイゾウと一緒に見上げていると、バタバタバタ――甲板を走る音が聞こえて来た。どうやら監視の乗組員がこちらに気付いたらしい。手を振ってくれている。

「イゾウとビスタだ! なまえは……? いる! おい! なまえが帰ってきたぞ!」

私のことを知っている人がいるんだ。たったそれだけで嬉しくなった。

「帰ってって……」
「ん? ……あぁ。そうだろ? ここはお前の第2の故郷だからな」

なァ?――柔らかく笑うイゾウにつられて私も笑った。

ちょうどそのとき、水平線の向こう側から朝日が昇ってきて私たちを明るく照らす。眩しさに耐えきれずに目を覚ましたビスタが「いてて」と腹を押さえた。

「ビスタ大丈夫?」
「ん? あぁ、これくらいなんともねェよ。なまえが無事でよかった」
「……ありがとう」

ニシッと笑う二人の顔は当時と大差ない。もちろん、見た目は多少変わっているけれど、そういう話じゃなくって……心の内は全然変わっていなかった。それがとても嬉しかった。……思い出した。ここで、モビーで過ごした日々を。大切に愛されていた日々を。

「おかえりなまえ」

降ってきた暖かい言葉に胸がじんと熱くなる。……私、ほんとうに帰って来たんだ。

「……ただいま」

ぽろぽろと溢れ出していく涙が視界を塞ぐ。声を押し殺して、両手を強く握り締めた。これから皆と再会する。だから出来れば笑顔でいたい。……そう思っているのに涙が止まらない。

自分を落ち着けるように、ふぅ――――と、吐き出した吐息。二人とも静かに落ち着くのを待ってくれているようだった。

「なまえ」

イゾウが私の右手を掬い上げる。そしてゆっくりと宥めるように彼は言った。

「大丈夫だ。泣いたっていい」

頭に添えらえた手が優しく動く。

「……うん」

頷きを一つ返すと、イゾウが手を上げた。すぐに梯子が降ろされる。先にビスタが上がっていった。後に続くように、とイゾウに手を引かれて梯子を握る。水平線の向こうに見える太陽はもうすでに完全に見えていた。眩しさに目を細めつつ、これを登ったら、みんながいる――そう思うと、不思議と涙がひいていった。

梯子を登って、ひょっこりと頭一つ分を上に出す。視線の先にはだだっ広い甲板。記憶にあるまま、なんにも変わっていない。両手が甲板に付くよりも早く、目前に手が差し出された。ゆっくりと顔を上げる。

逆光ではっきりとしない人影だったけれど、誰だかはすぐに分かった。綻ぶ頬と再び緩んでいく涙腺。

「……おかえり」
「……ただいま」

手を握ると、グィッと体が引かれた。抗うことなくその腕のなかに納まる。

「……会いたかったよい」

とどめの一言に涙が溢れ出す。

「私も会いたかったッ」

もう昔みたいに、声を上げてわんわんと泣くことはしない。私は大きくなった。声を押し殺して、大人が泣くように涙を零すようになった。でも、それでもまだ子供っ気は抜けなくて。かつてのように、マルコのお腹に張り付いて、洋服を握り締めた。

「ったく。大きくなったと思ったら、変わってねぇなァ」

くすくすと笑いながら抱き締めてくれるぬくもりを見上げる。間違いなく――マルコだ。どこか困ったように眉尻を下げて笑うところも変わっていない。

「なまえちゃんは泣かない子だったんじゃなかったけ?」
「……さっちぃ~」

ずぴぴぴ――鼻をすすり上げながら顔を向けた先、ガハハハハッ――豪快に笑うリーゼント頭がいた。

「無事でよかったよい」

マルコの言葉にハッとする。

「……ごめん。私のせいでビスタが、」

慌てて辺りを見回す。無事ではあったけれど、ビスタはそれなりの怪我を負っているのだ。早く手当てを……。

「大丈夫だ」

ほら、と示された先には手当を受けている様子が見えた。あぁ、良かった。思っていたよりも元気そうだ。こちらの視線に気づいたビスタが軽く手を振ってくれたので、振り返した。

「いや、まぁ。攫ったのは俺たちの方だからな。謝るのはこっちだろう?」

サッチが首を傾げながら言う。

「……そうなんだけど」

でも、ミホークさんからしたらそんなのは知ったこっちゃない、で。そのままマルコの腹に顔を埋める。あぁ、これからどうしよう。

「まぁ、話はあとで聞いてやるから。そ れ よ り、親父がお待ちかねだよい」
「!」

そうだった! 弾けるように顔を上げると、マルコが視線で場所を教えてくれた。頷き返す時間も惜しいと踵を返して走り出したのだった。

そんななまえの後姿を見ながら、周囲の乗組員たちが「あいつ親父のこととなるとはえーな」と苦笑する。

「あぁまったく」
「違いねぇな」

顔を突き合わせて笑ったサッチとマルコはなまえのあとを追いかけた。

:
:

「親父ぃ――――!」

扉をぶち破る勢いで突進した。部屋の真ん中にはかつてと変わらず、どっしりと構えている巨体が椅子に腰かけている。全力で駆け寄った。

「おぉー! なまえ! やっと来たか!」

グラララララッ――

親父の笑い声で船が大きく揺れる。足元が上下して体がふらついて慌てていたら親父が手を伸ばしてくれた。

「久しぶり! 会いに来たよ」
「嬉しいじゃねぇかァ。でも女の子が親父とか叫ぶのはいただけねぇな。お父さんと呼びな」

「……いや、それは無理だろ」

声のした方に顔を向けるとサッチとマルコがいた。どうやら後を追いかけて来たらしい。……にしても冷静なツッコミだ。

うん……まぁ。小さい頃でさえ『親父』って言っていたから今更感があって言いにくいよね『お父さん』って。

「お父さんより、……おじいちゃんって呼んでいい?」

グハッッッ――――

「あ……」

「お、親父ぃ!」

親父が胸を押さえた。え? あれ……なんか血、出てない? 目を白黒させていたらマルコが慌てて駆け寄って来た。どうやらクリティカルヒットを与えてしまったらしい。

首を傾げながら、同じく駆け寄って来たサッチに顔を向けたけれど、顔を顰めるだけで何にも言ってくれなかった。

間違ってはないけどそれは言われたくはないだろ、サッチは心の中で呟いたのだった。

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:

その後、親父が落ち着くまでその場で待機をして、今後のことを話すことになった。マルコとサッチには退室頂いた。親父と二人きり。独り占めできてすごく嬉しい。

「近況はどうなっている?」
「ん~最近? 今はミホークさんと旅をしているよ」

親父の隣にちょこんと座って、情報を擦り合わせていく。

「ほぉ。ミホークとは鷹の目のミホークか?」
「うん、そう。『あの島』で知り合ったんだ」
「……そうか。なまえが選んだことなのか?」
「……うん。ついて行くって自分で決めた。だから一緒に島を出て、旅をしてる」
「……それは悪いことをしたな」
「…………え?」
「連れ添うつもりだったんだろう?」

連れ添う――親父の言葉が脳内で何度も反芻されていく。……が、その言葉のはっきりとした意図が分からず、首を傾げた。困惑しながら親父を見上げる。

親父は親指を立ててニシッと笑う。

「あっ――え! あ、いや。そのッ!」

「……なんだ、違うのか?」
「いや……違わないけど」

グララララッ――

「おめぇもすっかり大人の女だなァ!」
「っ、」

居心地悪く感じるのは、そう言いながらも愛しい子供を守るように気遣ってくれるのが歯痒いのか、それとも、大人の階段を昇っていくところを見られている気がして恥ずかしいからなのか。

一瞬で首まで真っ赤に染まった辺り、私はまだまだ子供なのだと理解した。こういう話は慣れない。そっと顔を俯けた。

「……なまえ」

不意に、親父に名前を呼ばれた。顔の火照りを覚ますように頬を押さえながら顔を上げて首を傾げる。

「……悪かったな」
「?」
「……押し付けるべきではなかったんだが。こうでもしねぇと俺たちとお前は会えない関係になっちまった」
「ううん。……私も分かってたから」
「……そうか」

噂通りならただのお節介になるだけだから――ただ……俺たちはお前がちゃんと出来ているか、確認しておきたかった。ただそれだけだ。

親父はそう言った。

顔には『心配で仕方がない』と書かれていたので、思わず吹き出して笑ってしまった。

「……ありがとう、親父」

私にはこんなにも大切に思い心配してくれる家族がいる。ただその事実が今は嬉しい。

そして、ごめんね。

口には出さないけれど、親父の顔を見つめながらそう思った。眉を寄せて困ったように笑ったら、親父も同じように笑った。全部は伝わってはいないと思う。でも、少しは伝わったと思う。今はまだ上手く言葉にできないんだ。……ごめんね。

ただ言えることは、『一緒にいたい』って思える人がミホークさんだったということだ。

「ところでなまえ。もうひとつ、お前の噂を聞いたんだが、」
「…………え?」

どうやら、私の知らない噂があるらしい。

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