海軍大将の執務室。そこは想像していたよりも簡素で……って、ここは船の中だから豪華にしても意味がないのかと思い至ってひとりで納得する。
青雉の後ろに続くままに部屋に入る。後ろについてきていた部下達も入るものだと思っていたが、くるりと向きを変えた青雉が右手を軽く一振りすると彼等は姿を消した。無情にも閉ざされた扉を見上げながら、私は深いため息を吐き出す。はぁ…………、これで後戻りはできない。
「まぁ座りなよ」
そう言うくせに、自分は立ったままでいる気らしい。
「…………」
渋々、部屋の中央に置かれていた二人掛けのソファに座る。腰を置いた途端、お尻がソファの中に沈んだ。ふっかふかだ。それにふわふわの毛皮のクッションが置かれている。背中もふっかふかで最高。……これ、欲しい。棺船の背もたれのところに置きたい……欲しい……。
クッションを手に取りながら愉悦に浸っていたら「話してもいい?」と強制的に会話が始まる。ここで嫌ですと言ったところで無意味だろうから、少しでも良好な関係を築いておくべきだろう。渋々頷いた。
視線を目の前の男に向けると、今までとはまったく違う真剣な眼差しがそこにはあった。こっちは軽い気持ちで構えていたから、そこの温度差に目を白黒させてしまった。……急に何なんだ???
反射的に背筋が伸びた。
「物分かりが良くて助かる」
くすりと笑っていても、彼が身に纏う空気は少しも穏やかではなかった。まるで刃を纏っているかのように、そこには鋭利な意思があると感じられる。気を抜いたら喉元をカッ切られそうだ。額に浮かぶ汗はまだ前髪の奥にあるのでこちらの緊張は相手には悟られていない……ことを願っている。……というか、凄みが有り過ぎてものすごく怖いのですが、私……何かしてしまったのでしょうか。
青雉が、懐から何かを取り出した。丸められた紙。それが解かれて、机の上に置かれる。
「これを見てくれ」
示されたそこには、報告書と書いてあった。……一体何の? さらさらと急ぎ足で目を送る。目を滑らして概要の理解に努める。読み進めていくと、ある一文が目に飛び込んできて、視線はそこで留まった。
『鷹の目のミホークの連れであるなまえは能力者である。どうやらその能力については本人も把握できていないらしく、まだ自分自身の能力の操作もできないようだ』
一体、誰が書いた報告書なのか、ふとそれが気になって、末尾に視線を飛ばす。そこには、スモーカーと書かれていた。
「うわ……ドS大佐…………」
きたよ、ドS。私のことをあれ程に、物理的、精神的に痛めつけた人は彼がダントツで一番だ。命の危険を感じたし、何なら、ちょっとした拷問を受けるのではないか……最悪の状況も頭を過った。あのまま何も抑止力がなかったら、一本ずつ指を折られていたのではないか……冗談抜きでそう思う。……本当に恐ろしい――が、彼は彼で自分の仕事を全うし、部下を守るための行動だったと思うので、あまり強くは言えないところがあった。私が彼の立場だとして、同じことをしてしまう気が……しなくもない。
能力自体は特別意図して隠していたわけでもない。ただ、あの時は引き留められて海軍本部を離れられなくなるのが嫌だったので、急いで場を離れただけだ。
あぁ――でも、こうかしこまって報告されるとなんか調べられているみたいでいい気はしない。眉間に深い皺を刻んで、私は深い息を吐き出した。両肩を下げて、天を仰ぎ見る。「落ち着け……落ち着け……」自分に暗示をかけるように言い聞かせると、なんとなく、ふわふわと浮き足立っていた気持ちが嘘のように落ち着いた。
「ん、読んだ?」
「…………はい」
「これは約二年前の報告書でね。今も鷹の目と航海を続けているところから見て、能力については何か分かっているんじゃないかと思っているんだけど、そこのところはどう?」
はぁ……出鼻を挫かれるとはこういうことなのかな。久々の旅立ち。意気揚々と島を出て数時間もせずに海軍の船の上げられて尋問されている。……私って、もしかして運がない……? もしかしたら子供の頃に使い果たしてしまったのかも。
「ん」と、睨みをきかされ、催促されて、ピン――と張詰めた空気のなか、私はゆっくりと口を開いた。
「……確かに、私は悪魔の実の能力者です。そこに書かれている通りです。ただ一つ、ご理解頂きたいのですが、私も、あの時、海軍本部での騒動で、はじめて自分が能力者だということを知りました」
「…………やはりそうか」
「私が能力者だとして、それがどうしたと言うのですか? こうしてわざわざ尋問される必要がありますか? 能力者だから、私は監獄行きなのですか?」
「は?」
少しだけ、きょとんとした青雉が、慌てた様子で腕組みを解く。
「落ち着け。俺はそんなこと一言も言っていない」
「…………」
確かに、口には出していないけれど、この刺すような殺気を向けられた状態では、信じるものも信じられない。ゆるり、頭を横に振る。
「すみません……私は貴方のことを信じられません」
「…………参ったな。少し、手順を間違えたようだ」
再び腕組みを組んで、顔を俯けてしまった目の前の大将を呆然と見つめた。まさか、本気でこの人は『ただ仲良くしたいと思った』とか言い出さないでしょうね……?
うーん。残念ながら、私は『交渉術』が得意ではない。ミホークからは今後のことを考えて身につけておけと言われて、本を読んだりしているけれど、何分実践経験を積む場がなかったもので。そもそも対話できる人がここ最近ではミホークしかいなかったし。
せめて、ミホークがいてくれたら……な。まぁ、当然そこを踏まえて私たちを引き離したんだろうけど。はぁ……どうしよう。
でも、私の方だけではなく、目前の男も交渉を失敗して気を散らしているようなので、状況的には悪くない。いや、むしろ……有利になったと言えるかもしれない。うんん――咳払いをして言葉を返す。
「では、ここへ来た目的をはっきり言って下さい」
「……うん、まぁそれが一番なんだろうけど」
言葉を詰まらせる彼を見つめながら、首を捻る。先ほどから、この男の言動、行動は、何処かおかしい。何だかしっくりこない。偶然出会ったのではなく、明確に、私に用があると言って来ているのだから、はっきり言ってくれればいいのに、なぜそんなに渋っているのか……その疑問は次の一言で霧散した。
「あぁ……そうだな。推測だが、恐らく『クラクラの実』の能力者だろうという話になっている」
こちらが返事を返す間もなく、男が続ける。私は、様子を窺う彼のことを静かに見つめ返していた。
「クラクラの実の能力は危険だ。状況次第では殺せと命じられている」
ひゅ――、絶句した。
本当なら、目を見開くべきではなかった。目を閉じているべきだった。交渉術に自信がないのなら、それ相応の対応すべきだった。
「やはりそうか」
失敗した――拳を握り締める。
いつ如何なる時でも、常に冷静にいろ――頭を過った言葉。ミホークから四六時中聞かされた。それに習って考える。……今の私にできることはすぐに頭を切り替えることだ。
「……それで、今の状況だと、私はどうなりますか?」
ギシリ――ソファが軋む。青雉が静かに歩み寄ってくる。それを視線を落としたまま、気配で感じていた。今ここで……、殺されるのかもしれない。この距離で、この男に、私には抵抗する間も与えられないだろう。――と、落としていた視線の先、床板に影ができた。ゆっくりと顔を上げる。そこには、膝を折って長身を屈めた青雉がいた。
間近に迫る両眼に、私は視線を逸らせなかった。
……怖い。それが今の気持ちだ。あと、敢えていうなら、何だか曖昧な態度をとってばかりいるその姿勢が何となく気に入らない。
「……なまえちゃんってさ。俺のこと、嫌い?」
「えぇ……まぁ。そうやって本題から逸れるところとか、私は好きではないかもしれないですね」
にこりと笑う。精一杯の強がりで、遠回しに「早く本題を話して下さい」と言ったつもりだった。……が、それを分かった上でなのか、それとも通じなかったのか。どちらかは分からないが、彼はとにかく話を脱線させた。力が抜けてしまった私は肩を落として彼を見る。
「二年くらい前に会ったときも君はつれなかったよね?」
「……覚えていません」
「なんでそんなにツンケンしているの?」
……そう、かな? そんなつもりは全然なかったんだけど。
思い返してみたら……そうかもしれない。なんだか自分でもよく分からなくなってきた。別にこの男に何か酷いことをされたわけでもないし……うーんと真面目に考えてしまう。
「強いてあげるなら……、その立ち降るまいとか、言動とかですか?」
「いや、だから何で疑問系なのよ?」
「……すみません。自分でもよく分かりません。なんとなーくなのですが、貴方は所謂女好きってやつ、ですよね?」
「え? あ……まぁ? そりゃァ俺も男だからね。どうしてそう思うの?」
「えぇっと……初めて会ったときにいきなり誘われたりとか、その後も割と軽はずみなことを言っていたので……だから、なんとなく身の危険を感じて一線を引いておきたかった、のかもしれません」
「へぇ……意外といい勘持っているじゃないの」
「……はい?」
まさか素直に認められるとは思っていなくって、慌てて顔を上げる――と、頬に柔らかな感触が。
「――――ッ!?」
咄嗟に振り上げた右手。彼の頬に達する前にがっしりと捕まえられた。
「何するんですか!」
驚きのあまり、叫ぶように言えば、「だって緊張しているみたいだったから」と。
「……は? 待ってください。それでどーして頬にキスする必要があるんですか?」
「まぁ、それは口実で、ちょっと君に興味があって」
「はぁ?」
何この人。堂々と言われすぎて逆に潔いんですけど。
「なんでもいいから、この手を離して下さい」
「いいけど、俺も頬をひっぱたたかれるのは勘弁して欲しいから。叩かないって約束してくれる?」
「貴方が何もしないなら、私も何もしません」
しばらく続く沈黙と睨み合い。フッと青雉さんの手の力が緩んで手頸が解放された。張詰めていた緊張が少しだけ緩んで身体の力が抜ける。ソファに座ったまま出来る限り身を後ろに引いて距離を取った。これでも全然足りないくらいだけど、立ち上がる隙がなかった。……忘れてはならない。この人は海軍大将だ。いくら私が強くなったとはいえ、実戦経験豊富なこの人には絶対に勝てない。
その私を追うように彼の体が近づいてきてギョッとする。さらに距離を取るには……ソファに一人分のスペースが空く。そこによいしょとわざと声を出して座る青雉。座るなら始めからそう言えばいいのに……本当に意地の悪い男だ。

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