数ヶ月後、海軍本部――――
「ちょっと、センゴクさん!」
勢いよく扉が開く。ズカズカと部屋に踏み込むと、机に向かっていた当人が面倒そうに顔を上げた。
「なんじゃ、なまえ」
「あれはなんですか!」
ふぅ、と息を吐いたセンゴクさんの机の上に、抱えていた書類をドカッと置く。
「あれとは……?」
「クザンの未処理の書類ですよ。なんなんですか、あの人! 気づいたらいつもいないし!」
「あいつはサボり癖があるからな。だからお前をつけたんじゃ」
「は? それ、本当ですかっ!?」
上司がクザンで良かった、と思っていた数ヶ月前の自分に、今すぐ考え直せと言いたい。
「今すぐ変えて下さい!」
「なんじゃと?」
「ボルサリーノさんでもサカズキさんでも、どちらでも結構です! 異動届を提出します!」
「おーぉー、やってるねぇ~。なまえちゃん」
その声に振り返ると、そこには黄色のスーツ――まさにその人が立っていた。
「ボルサリーノさん! 私、そっちの部隊に異動してもいいですか!?」
「ん~? 俺はかまわないけど~」
「 本当ですか、じゃあ!」と言いかけた、その瞬間。
「だめじゃ」
センゴクさんの低い声が、きっぱりと遮る。
「……なんでですか?」
「人員配置の都合がある。それに……クザンのコントロールぐらい、お前ならできるじゃろう」
駄目なものは駄目じゃ、と言わんばかりに書類を突き返される。
肩を落としながらそれを受け取ると、
「まぁ、頑張りなよぉ」と、ボルサリーノさんが気の抜けた声で言った。私は小さく頷き、そのまま部屋を後にした。
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ガチャン――
問題の人の部屋に入る。
「あれ、戻っていたんですか」
「ん? あぁ、まぁね」
執務室の机には、その主がどっしりと腰を据えている。その体格のせいか、部屋全体にちょっとした圧迫感があった。ガシガシと、くるくるとカールした頭を掻きながら、アイマスクを上へずらして答える。
「なんですか? そんな珍しいものを見るみたいな目をして」
「ん、いやぁ~、いつもなら『どこ行ってたんですか!』って怒られるからね。今日はどうしたのかな、と」
「分かってるなら、ちゃんとして下さい」
(今も仕事、サボってたでしょうが)
内心でそう突っ込みつつ、
「はい。これ、すべて今日中に提出のものです。サイン、お願いします」
抱えていた書類を机の上に置く。
「え、マジで?」
こちらを見るクザンの視線は、絶対に受けない。
「よろしくお願いしますね。じゃあ、これで。今日は体調が悪いので早退します」
一切隠す気もなく、口から出まかせを言ってやった。 背後から聞こえる「え~」という声も、すべて無視。いつもクザンがそうやって逃げているのだから、今日は私が逃げる番だ。 これで懲罰になっても構わないし、なんなら降格処分にしてくれたら嬉しいくらいだ。
はぁ……なんだか、どっと疲れた。翻していた正義のコートを脱ぎ、くるくると丸める。 どうにも、このコートは好きになれない。これを着ていたら、ミホークがくれたコートを着られないし。部屋に戻って着替える。 時間もできたし……今日は訓練場にでも行こうかな。
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フェンスの向こうでは戦闘訓練が行われている。 実際に動いているのは、主に下っ端ばかりだ。……つまらない。もっと上の人はいないのかな、と視線をあちこちに巡らせた、その時。 意外な人物が目に留まった。
「もしかして……あれ、ガープ中将?」
噂には聞いていたけれど、思っていた以上の存在感だ。部下を叱咤する怒声が響き、その迫力に思わず体が後ろへ引かれる。なんだかんだ、まだ一度も会えていなかったな。――そう思いながら、フェンスを開けて中へ入った。
「……あれは誰だ?」
誰かの呟きと同時に、視線が一斉に集まる。当然、ガープ中将の目もこちらを捉えていた。
「誰じゃ?」
そう言いながら、ずんずん近づいて来る。なんて体格の良い人なのだろうか。目の前に来るまで呆気にとられたまま凝視してしまっていた。
「わしに用でもあるんか?」
ぱちくりと瞬いた瞬間、考えるよりも先に口が動く。
「あの……もしよろしければ、私にも稽古をつけていただけませんか?」
――あれ。私、何を……? 初対面なのに……どう考えても失礼だよね……? 頭ではそう思っていても、止められない。これを逃したら次いつ機会が巡ってくるか分からない。一期一会――海賊の世界で身に着けた感覚が私の背を押していた。
「稽古? わしは剣術なんぞ使えんぞ?」
腰に差した短剣へ一瞥をくれ、正直にそう答えてくれる。その様子に、話に聞いていた通りの人だと分かって、少し嬉しくなった。
「いいえ。剣術ではなく……」
一拍、間を置く。
「――戦い、そのものを」
そう言って見つめ返すと、ガープ中将は顎に手をやり、しばし考え込む。 そして――「にぃっ」と効果音が聞こえそうなほどの笑みを浮かべた。
「おい、コビー。ヘルメッポ」
その声に応じて、ガープ中将の背後から、ボコボコに殴られた痕のある二人の青年が姿を現す。
……え、この人たちは?
首を傾げる私をよそに、
「今、ワシが育てとる奴らじゃ。こいつらも一緒でよければ、鍛錬してやろう」
「本当ですかッ!?」
思わず声が弾む。すると今度は、じっとこちらを見据えたまま、
「わしは構わんが……本当にいいのか?」
念を押すように、続けられた。
「こいつらのようになるやもしれんぞ?」
確かに。二人ともかなりボロボロで、今日はもう休ませてあげた方がいいのでは……と思ってしまう状態だ。けれど――
「ガープ中将の伝説は聞いております。ぜひ、私を強くしてください」
迷いはなかった。
「……お前さん、名は?」
「あ、申し遅れました!」
一歩下がり、背筋を伸ばして敬礼する。
「数ヶ月前にこちらへ着任しました、なまえ中将であります」
よろしくお願いいたします、と深々と頭を下げると、
「中将ですか!?」
背後で、声が重なった。
「驚いたのう。あの噂の子が、お前さんじゃったか」
「あぁ、あの噂ですか?」
くすり、と笑みが漏れる。
「ガープさん、噂って何ですか?」
眼鏡の青年――コビーが、身を乗り出す。
「“鷹の目”の相棒じゃよ」
「……いいえ、そんな大層なものではありません。私はまだまだです。それに、私はもう海軍の人間ですので」
「それもそうじゃったな」
ガープ中将の申し訳なさそうに頷く姿に、噂以上に人柄の良さを感じた。
「とにもかくにも、弟子がまた増えたわい」
よろしくな、と差し出された大きな手。そっとこちらも手を伸ばすと、勢いよく、ぐっと力が込められる。
「わしは手加減せんからな」
「そちらこそ、手加減なんかしていたら、痛い目を見ますからね?」
そう言って笑い返すと、ガープ中将も豪快に笑った。やがて、その様子を端で見ていた二人に視線を向ける。
「私の名は、なまえと言います。中将ですが、最近なったばかりで、ガープ中将みたいな威厳は全然ありません。よかったら、名前で呼んでください」
そう言って優しく差し出して手に、
「は、はいっ!!」
二人は緊張した様子で、順番に応じてくれた。ええと……瓶底眼鏡がコビーくんで、サングラスの方がヘルメッポくんね。 よろしく、と笑顔で告げてから、すぐにガープ中将へ向き直った。
「二人は休憩がてら見学……ということで……さっそく、稽古をお願いしても……」
最後まで言い切る前に、ガープ中将の両目が真ん丸に限界まで見開いて、
「ぶぁっ! ふぁっ! ふァ~~!!!! 」
腹の底からの豪快な笑い声に圧倒された。
「実に積極的な娘じゃの。わしはそういう奴は嫌いじゃない」
「それは光栄です」
にっこりと笑みを返しながら、ミホークからもらった漆黒のコートを脱いでいく。
「まずは、肩慣らしじゃ。お前さんの力を、わしに見せてくれ」
「ええ、ぜひ」
背負っていた長身の銃を含めた荷物一式を、二人に預ける。
「銃は使わんのか?」
「これは近接戦闘用の武器ではありませんので」
太腿のホルスターを示すと、納得したように頷かれた。
「ガープ中将は、素手で?」
「ガープさんでいい。もちろんじゃ」
「では、ガープさんで。私はもちろん、武器を使ってもいいですよね?」
――ゲンコツのガープに、素手で勝てる自信は全くない。
「あぁ、もちろんじゃ。コビー、ヘルメッポ。離れておれ」
二人がフェンスの外へ下がった、その瞬間。私とガープさんの戦闘が、始まった。
私の武器は、変わらず短剣と二挺の銃だ。本当は、短剣ではなく刀を使いたい。ミホークとの修行時代は刀を使っていたし……。でも、その愛刀は破損してしまって、今の私の手元に、刀は一つもない。ミホークが探してくれるとは言っていたけれど、私の手元にくるのはいつのことになるやら。
「まだなの?」と何度か聞いたけれど、どうにも“いい刀”が見つからないのだそうだ。私が壊してしまった刀は安物だったらしく、もう一人前なのだから、いい刀を使えと言いたいのだろうか。どうでもいい、とは言わない。でも、正直なところ、――早く欲しい。そう思いながら、無意識に左手が短剣へ伸びていた。
まずはこちらから仕掛けるのが礼儀だろう。……戦闘に礼儀を持ち出すのも、おかしな話だけれど。口元が、わずかに弧を描く。踏み込み、切りかかった刃先は、やすやすとかわされた。その代わりに迫ってくる拳。だが、そこにスピードはない。
「ガープさん、手加減したら痛い目みますよって言いましたよね?」
小さくそう告げながら、右手を銃へ。ホルスターから抜くのと、発砲音はほぼ同時だった。
パーン。
狙った胸元には、ガープさんの手。
掴まれた弾丸が、じゅ、と煙を上げる。
カラン――
カランッ、カラン――――
開かれた掌から、三つの弾丸が落ちていった。
「早打ちじゃな」
「そちらこそ、強靱なことで」
くすりと笑い、距離を取る。張り詰めた空気に、見守る二人がごくりと喉を鳴らした。
私の銃は二種類ある。右手で使う銃には、通常の弾丸。海軍で支給されている、ごく一般的なもの。対して、左側。こちらには何も入っていない。――空だ。
幾度も交わされる剣と拳。覇気で武装された拳は、想像以上に硬い。
私は、まだ覇気が使えないから、そこは、どうしようもなかった。それを分かっているのだろう。ガープさんは「まだまだじゃの」と余裕の笑みを浮かべている。
「ガープさん」
距離を取ったまま、左手の短剣を腰へ戻す。代わりに、左の銃を握る。小さく首を傾げたガープさんへ、そのまま銃口を向けた。
「私、悪魔の実の能力者なんです」
「知っておる」
「その能力、知っていますか?」
「麻酔らしいの」
「えぇ。そうなんですよ?」
引き金を引く。
パーン。
今度は受け止められず、かわされる。
「つまり、当たるとよくない、ということかの?」
「えぇ、そうなりますね」
肩をすくめ、おどけたように笑う。
「さて。どこまで、かわせますか?」
そう言外に告げると、ガープさんの額に皺が寄った。
「なんじゃ、思っていた子と少し違うではないか」
「え、どう思っていたんですか?」
「もっと、大人しい子じゃと思っていた」
「鷹の目と張り合っているんですよ? それはないです」
自分で言って笑えてくる。……そうだ。私はいつも、ミホークと対等に喋ってきた。
こんな弱い女に張り合われている世界一の剣豪。……ちょっと、不憫かもしれない。
ぶわっはっはっはっは――
ガープさんの笑い声は何だか心地よくて好きだな……。思わず足が止まる。私も釣られて声を出して笑った。
「鷹の目も、悪い娘に捕まったもんじゃな」
そう言われて、「そうですね」と言いかけて、やめる。
「それは失礼ですって!」
軽く「すまんすまん」と謝るガープさんを見やりながら、――悪い娘? いや、そもそも娘という年齢でもないか……と、逡巡した後、一人で頷いてから、視線を戻す。事実だし、そんな失礼なことでもなかったな。
「ガープさん。そろそろ、終わらせましょう」
気づけば、ギャラリーが増えていた。フェンスの向こうには、先ほどまで散っていた訓練兵たちが集まっている。
「そうじゃの」
ガープさんが構えた瞬間、空気が変わる。体の周囲から、もくもくと立ち上る煙。――あ、これはまずい。 大きく後ろへ跳ぶと、予想通り、拳の嵐。
隙間を縫うようにかわしながら、銃を構える。ほんの一瞬、掠るだけでいい。能力を使いながらの早打ちは、まだ上手くできないけれど、練習しなければ上達なんてしない。戦闘渦中のプレッシャーのなか、意識を集中させる。
三発、打った。一発目は大きく外れた。二発目はかわされて、三発目が奇跡的に掠った。かわして動くであろう予想ポイントに、予め打っていたものだった。銃を放った瞬間は息も止めていた。当たった瞬間、全身の血が沸騰したように熱くなり、「やってやった」という、達成感で震える程嬉しかった。
ガープさんの頬から、つ、と血が流れ落ちていく。これで、数十秒で能力が発動し、体は動けなくなる。……はず、だった。
「あ……え、?」
瞬きと共に目の前が真っ白になった。片膝をついたガープさんは、それでも動けていた。瞬時に態勢を整えて、迷うことなく一直線に拳を振りかざしてくる。……完全に油断していた。防御の姿勢を取った。この状況でも動けたのは、ミホークとの訓練のおかげに違いない。『頭で考えるより先に体を動かせ』という訳の分からない教えが役に立った。
両腕で受け止めた拳は、想像以上に重かった。一度は受け止めたが、二度目は耐えきれずに後ろへ弾かれる。軽々と宙に浮いた瞬間、ガープさんの重い拳と軽すぎる私の力――その差が、そのまま経験の差のように感じられて。やっぱり、敵わないな、と思った。
ズシャァァァァァ――
地面に叩きつけられた、その瞬間。次の拳が迫ってくるのが、視界の端に映る。ガープさんは最後まで手を抜かずに本気で、向き合ってくれている。それが、妙に嬉しくて。笑みを浮かべながら、「なら……、私だって!」残った力を振り絞る。打撃による衝撃でうまく言うことをきかない体で、なんとか銃を構え――引き金を引いた。
顔面に拳が届くほどの至近距離だった。追加三発、がむしゃらに放った弾丸は、見事にガープさんの腹へ当たった。それがどこまで効いたのか。それを見届ける前に、頭部に衝撃が走った。死ぬほどではないだろう。けれど……意識を飛ばすには、十分すぎる一撃だった。

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