第31話 空いた隣席

「……コビー?」

ぼやけた視界に映り込んだピンク色に知った人の名前を呼ぶ。ぱちりと瞬いた横顔がゆっくりと動いた。あぁ……やっぱりコビーだ。はっきりと映った彼の両目は、真ん丸と見開かれた後に緩やかにカーブした。優しい笑顔だった。

「……良かった。目を覚ましたんですね……」

置かれた状況が分からずに辺りを見回す。どうやら医務室のベッドで眠っていたらしい。……なんでこんなところに?

「――っ、……いたっ……」
「急に起き上がるからですよ」

パタンと本を閉じたコビーが、背中に手を添えて支えてくれる。

「大丈夫ですか……?」
「……うん、ありがとう。ちょっと頭が痛くて…………」
「たぶん薬のせいですね。僕も以前同じようになりましたから」
「……そうなの?」

頭痛に眩暈、あとは吐き気も少し。

「気分が悪いのは安静にしていたら直りますよ。ゆっくり背中をつけて…………」
「う――気分最悪……」
「ははっ。みんな一度は経験するんです」

どうやら海軍の洗礼というやつらしい。高く積んだ枕に背を預けて少し上を向くように言われたので、素直に従った。階級はこっちが上だとしても、入隊から数か月のぺーぺーからすると、コビーは大先輩なので、有難いお言葉を頂けるのは大変助かる。

「ありがとう、コビー。君がいてくれて本当に良かった」
「大袈裟ですよ」

コビーはくすくすと笑いながら、手慣れた様子で胸元から電伝虫を取り出す。きっと介抱もお手の物なんだろう。

ガチャリ――――、ぶるぶるぶる――

「ガープさん、中将が目を覚まされました。……えぇ、はい。お元気です。そちらは……そうですか。はい、了解しました。では、後ほど……失礼します」

カチャン――――

「ガープさん?」
「はい、すぐに来るそうです」
「……そう」
「痛みはおさまりましたか?」
「そうね。じっとしていたら大丈夫みたい。まだちょっと吐き気はあるけど…………」

それよりも気になることが――

「……どうしました?」
「もしかして…………気を失ってた?」
「え? はい。そうですけど……」
「……これ絶対にセンゴクさんに怒られるやつだよね。今からでもガープさんにお願いして内々に済ませられないか相談できないかな……」
「元帥が? でも、戦闘訓練で運ばれるのはよくあることですよ? そんなことで怒るでしょうか……?」

そりゃぁ……体調不良って嘘ついてなければ、……ね。という言葉を飲み込んで、笑みを返す。

「大丈夫ですよ。それよりも今は早く回復することです」

コビーの爽やかな笑顔は見ていて癒される。ミホーク、ごめん。今ちょっとだけ、コビーの笑顔に浮気したかもしれない。

それから数分後、病室の中まで響く程の爆音で廊下を走って来たガープさんに暑苦しく抱き締められて、死にかけ…………いや、苦笑した。「大丈夫ですから」と何度言っても「すまんかった!」と謝罪が止まらず、コビーの仲介で何とか離れてもらった。太くたくまし過ぎる二の腕のせいで、死ぬかと思いましたよ、ガープさん……。

 

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そんな日常もあっと言う間に過ぎていった。ここに来てからもうすぐ半年。「半年で、こちらのことは済ませておけ」とミホークが言っていた半年がもう少しで来る。

「そういうはっきりしないのが一番困るんですよ……」

マグカップを片手に、のんびりと水平線を見つめながら呟いた。ここは海軍本部の食堂、その一角にある窓際の席。晴れ渡る空と、遠くまで続く白い入道雲を眺められる、私のとっておきの場所だ。心地よい海風が頬を優しく撫で、『生きてる』って、感じられる。この席のおかげで、朝の苦手だった私が早朝5時の早番勤務に慣れることができたと言っても過言ではない。あぁ……今日も気持ちの良い朝だ。

「なまえさん!」
「あら、コビー! 久しぶり」

ひらひらと手を振る。

「ご一緒してもよろしいですか?」

朝食の乗ったトレーを上げたコビーに「もちろん!」と笑顔を返す。トレーを手前に引いて、向かいに座れるようにスペースを開けた。

「お気遣いなく。そのままでいいですよ」
「ううん。あとはコーヒーだけだから気にしないで」

ぺこぺこと頭を下げたコビーが向かいの椅子に座った。お皿に山盛りになったサンドウィッチの山があっという間になくなっていく様子を微笑ましく眺めながら「え、そんなに食べるの?」と最初の方に言っていたことを思い出す。育ち盛りの青年の食欲は本当にすごいのである。

「なまえさんが来てからもう半年が経ちますね~」
「え? あ……うん。ほんとだね」
「なんだか不思議な感じです。もっと前から知り合いだったような気がしてしまいます」
「それ分かる。私も! もう随分長い間ここにいる気がするよ」

ってことは……、ミホークと出会ってから8年。もう少しで9年が経とうとしてるってことだ。えー、なんか怖いな。

「時間が経つのはあっという間ですね」
「うん、そうだね」

ほんと、あっという間だったなぁと思う。

「……コビーはさ、なんか目標とかあるの?」
「僕……ですか? 僕は海軍将校になるのが夢なんです」
「えーと、今は曹長だっけ?」
「はい」
「大丈夫。コビーならすぐ上にいけるよ。曹長になるのも早かったじゃない」

最後の一つ、サンドウィッチを口に放り込んだコビーが、水で流し込む様子を微笑ましく見つめる。彼は真面目で訓練を欠かさない。コビーも、ヘルメッポも、ひたむきな姿には好感しかない。ほんと、よく頑張っている。

――と、飲み干したコップをトレーに置いたコビーが急に真面目な声色で言った。

「なまえさん。まだ鷹の目と連絡を取っていますか?」
「……え? ミホークと?」

なんで急に? そう思ったけれど、敢えて聞かずに続ける。

「うーん。取りたいんだけど……手段がないから。取れないんだよね」

電伝虫は取り上げられちゃったし。海軍のでは電波が違うからまったく繋がらない。……私、そういうの詳しくないし。手紙……? いや、絶対に差し押さえられる。そんなわけで、この半年、全く連絡を取っていない。一度だけあった王下七武海の召集にも、ミホークは来なかったし。流石に会いに来てくれるかなと思っていたのに……。まぁ、彼のことだから何か考えがあるのだろうけど。

「じゃあずっとここにいるんですね?」
「え……」

それはどうなんだろう……? 自分で自分に問いかける。実はここ海軍で働いてみて、海兵が向いているかもしれないと思っていたりする。規律に従ってみんなで行動することが意外にも楽しかったのだ。これには私が一番驚いてる。それなりに責任のある仕事も任せてもらって、やりがいを感じるし、旅では得られなかったものがたくさん得られた。……ここで働くのは楽しい。でも…………、ずっとここで働き続ける自分の姿は想像できなかった。

ふと、隣を見上げた時に、ぽっかりと開いたスペース。「ねぇ、あのさ」って、振り返った先に、いつもの仏頂面がないのが堪らなく寂しい瞬間があった。そんなとき、私はいつも寂しさで潰れそうになる。

「異動を考えているんですか?」
「……うーん、どうだろ」

はっきりとしない返しに、コビーは首を傾げた。

「まだなんとも言えないかな。恥ずかしながら、先のこと何も考えていなくて……」

ここは好き。でも、ここには彼がいない。

「分からない……かな。自分のことなのに、変だよね」
「いえ、そうは思いませんよ」

気を遣ってくれているのか、コビーが励ますように優しい口調で言ってくれた。

「自分のことがなんでも分かる人なんていませんよ?」

あ……。やばい、なんか泣きそう。

「おい、コビー! そろそろ時間だぞ」
「あ”! もうそんな時間!?!?」

駆け寄ってきたヘルメッポが「おはようございます!」と敬礼をしてくれたので、片手で軽く敬礼を返す。おかげで涙が吹っ飛んだ。

「相変わらず君はお堅いね。もっと崩していいのに」
「当然です、なまえ中将!」
「すみません、なまえさん。そろそろ訓練の時間なのでお先に失礼します」

そう言って立ち上がったコビーは半年前に比べてずいぶん逞しくなった。スッと立ち上がり隣に並ぶ。不思議そうに首を傾げるコビーの頭のてっぺんに手を伸ばすと、私のてっぺんより10cmも高くなっていた。半年前はほぼ同じだったのに。

「背、ずいぶん伸びたね」
「そうですか? 自分では分からないので」
「ヘルメッポも伸びたね」

同じように手を伸ばす。ヘルメッポはもう届かなかった。首を傾げる2人の姿に嬉しさが込み上げてきた。成長していく子たちを見るのってこんなに嬉しいものなんだとしみじみと思った。

「あ、訓練だよね? ごめんごめん、行っていいよ」

「失礼します!」と、去って行く2人を微笑ましく見送った。

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