酷く気怠い午後のこと。
昨日は深夜までごそごそしていたからか、瞼が重く、気を抜いたら目を閉じてしまいそうだった。
「…………終わった」
右手に持っていた万年筆が紙の上を転がる。眠たい目を擦りながらインクの瓶に蓋をして、グググ――腕を思い切り伸ばした。程良くカ―ブしている愛用の椅子に背を預けて後ろに反り返れば、いくぶんか体が楽になる。視線を戻すと、机の上に積まれている新聞が目に入った。数十日分は溜まっている。
ここのところ忙しくて読む暇がなかったからな……並ぶ活字に顔を歪めながらも一番上に載っている新聞に手をかける。日付は今日を示している。何気なく目を走らせていった。見出しには海軍のゴシップネタがつらつらと。なんだこのつまらない記事は。ますます眠たくなってくる。ここ最近、目立った事件がなかったせいだとは思うが……。まぁ、あるとすれば、何人かの新人の賞金が多少上がったことぐらいだったしな。
……いちおう目は通してはおくか。
任務に直接影響のないこともあって、あまり熱心に読む気にはならなかった。
カタン、カタン――
音の方に目を向けると、先程紙の上においたはずの万年筆が床に転がっていた。手を伸ばして拾うのですら億劫だ。……けれども、拾わないわけにもいかない。部屋にはひとりきりで、代わりに誰かが拾ってくれることもなかった。
ハァ――これが読み終わったらシャワーでも浴びてひと眠りするか。
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今日の新聞に目を通し終わって、それを机の上に放り投げた。変わらずそこにある、残りの新聞に顔をしかめ、両手をだらりと落としながら首を思い切り後ろにそらす。
なんか叫びたい気分だ。
瞬きしたその時――ヌッと差し込んだ影。
「あの、総長……?」
影から伸びた両手が確認するように逆さまに両頬を包み込む。ハッ――と、慌てて両目を開けた。
「っ、なまえっ!!?」
いつの間に!!? ――咄嗟に反応した体が必要もなく暴れた。両手がバタついて、体勢が大きく崩れる。そして、それは愛用の椅子の可動範囲を大きく超えてしまって、ガタンッと盛大な音を立てるはめになってしまった。
「った~~~~」
逆さまになった景色。倒れたついでに見た出入口の扉は開きっぱなしだった。人の気配に気付かないとは……眠気でボ―ッとしていたとはいえ……こんなドジをやらかしたのはいつぶりだろうか。思い返しても浮かんでこない。
「だ、大丈夫ですか!!?」
ひっくり返った椅子を起こして避けながら、なまえは焦った声を上げていた。
「これくらい平気だ」
「でもさっき痛いって」
「…………へ、い、き、だ」
「そう……ですか?」
なまえは疑うように眉を寄せている。船上じゃあこれの何倍も大きな傷を受けているんだから、これぐらい大したことはない。経験者からすれば当然のことだが、基地に籠もりきりで外に出ないなまえにはそんなこと通用しない。
なまえは、手当てしましょうか? と眉を寄せて本気で心配している。
こんなことで、作戦司令室にある救急セットを取りに行かれたら、そこにいるコアラ辺りに根掘り葉掘り話を聞かれた上で思い切り馬鹿にされるに決まっている。
ほんと間抜けなんだから! しっかりしてよね、サボくん! あなたは総長なんだよ! とか、言われるに違いない。
「いや、大丈夫だ」
「ならいいんですけど」
「それより、なまえは大丈夫だったか?」
「はい。私は後ろに下がったので」
「そうか」
それならよかった――そう言いながら立ち上がろうとすると、なまえがあ! と閃いた顔をする。そして、手を目の前に差し出してきた。首を傾げて返す。
「手、握ってください」
「……なんでだ?」
「え? あ、あの……よくありませんか、こういうの」
「こういう……?」
「差し出された手を握って立ち上がるシーンですよ」
あぁなるほど。
「……本気で言っているのか」
「え?」
何か間違っていますか? 彼女の瞳は真っ直ぐだった。紛うことなく、真っ直ぐだ。本気だ。
「はい、どうぞ」
そうやって純粋な目で催促されてしまっては、返す言葉も浮かばない。好意を受け取らざる得ない状況にしぶしぶ頷いて返す。
……これ、本当に大丈夫なんだろうか。
今一度、なまえの全身を見ても、彼女のこの体の中に、俺の体重を支えるような力があるとは思えない。コアラのように魚人空手を習得しているなら話は違ってくるが……そんな話聞いたことがない。
う〜〜ん。
渋りつつも、差し出されているなまえの右手を握った。そして力を込める。すると。
「っ、わ、わわっ!!?」
腰が浮く間もなく、なまえがドサッと乗っかってきた。
「おいおい。おいおいおいおいおい!」
呆れてそれ以外の言葉が出ない。だから言ったじゃないか、支えられるわけがないと思っていたんだ、こっちは。とか言っても良かったが、もうなんか言う気にもならなかった。
「ご、ごめんなさい!!!!」
起き上がっていた俺を押し戻して、見事に腹の上に乗っかったなまえは慌てた声を上げる。
「俺の上で暴れないでくれよー」
「は、はい!」
何をそんなに慌てているのか、と顔を上げると、なまえの顔が目の前に合った。それにはさすがに驚いて、軽く肩がビクつく。
「ごめんなさい! すぐ退きます!」
あぁ、確かにこれは慌てるだろう。これじゃあまるでなまえが俺を襲っているみたいだ。例え、俺のドジになまえのドジが重なった不幸な事故だとしても、結果だけ見ると、襲っているみたいだ。
なまえは両手を使って後ろに下がり始めた。俺の横幅じゃあ広すぎて腕に力が入らず、体を起こせないらしい。
……なんか可愛いな、それ。
「なまえ」
この状況で俺は何を考えているだろう。
「……はい?」
「普通なんだよな、それが」
「?」
一体何の話ですか、なまえの眉が寄る。視線をなまえの方に落とすと、なまえは四つん這いになったまま、こちらを凝視していた。
「可愛いな、なまえは」
「え?」
ぱちぱちとなまえが瞬く。手を伸ばせば簡単になまえの体を引き寄せることができた。突然のことにこのなまえが対応しきれるはずもなく、彼女はされるがまま、俺の上に身を横たえていた。
熱く火照る彼女の体温がじんわりと染み込んでくる。なまえの息遣いがすぐ側で聞こえる。
どうやら、俺は相当疲れてしまっているらしい。普段ならこんな軽率なことしやしない。まして、こんなことをして、
「そう、ちょ……?」
「もう少し、もう少しだけこうさせてくれ」
ホッとするだなんて。そんな、そんなまるでありきたりな人間みたいなこと。
ねぇサボくん。サボくんはもう少し肩の力を抜いたほうがいいよ? じゃないと、いつか潰れちゃうんじゃないかな――――
コアラが言っていたことが蘇ってくる。俺はどうも頑張りすぎていたのかもしれない。
「……少しだけなら」
控えめに返された返事にハハハと笑ってしまう。なんてことだ。仕方のない人ですねと柔らかに笑うなまえの優しさ。ここ最近は感じていなかった優しさだ。
「…………悪いな」
「いいえ。気にしないでくださいね」
その優しさに溶けてしまいそうだ。頬を緩ませながらゆっくりと目を閉じて、その優しさに甘えることにした。
title by rendezvous
190728 End.
(clap story)

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