誰より優しい悪魔たち

「ホンゴウ……なまえの調子はどうだ?」

船医室を出てすぐのところ、ホンゴウは呼ばれて足を止める。

「お頭。あいつは今、眠ってる。調子は……まぁ、見ての通り、よくねぇな」
「……そうか」

シャンクスが重い足取りで歩いてくるのを、ホンゴウは待った。話をしたいのだろう。察して、シャンクスに合わせて歩き出す。

「ここに来たばかりは元気だったっていうのにな」
「…………」

黙り込んだシャンクスにホンゴウは小さく笑う。この人にも不器用なところがあるんだなと思ってつい笑ってしまっていた。

「お頭。なまえとちゃんと話をした方がいいんじゃねぇか」
「そうだな……」

なまえが海兵であること、それはもう、幹部全員が承知していることだった。まぁ、俺たちが承知したのは、なまえが船に乗った後だったから皆それぞれ思うところはあった。当然、始めは嫌悪するやつもいたが、そんなもんは、なまえといたらあっという間になくなった。

なまえはとてもいい奴だ。例えここに潜入するために自分を装っているとしても、俺たちのために何かをする姿はまやかしには見えない。根のいい奴だということは皆が理解していた。それだけに……、苦しむ姿を見ているのは辛い。

なまえはよく一人で空を見上げている。ずっーと、何かを考えている。まるで、遠くにいる誰かを思うように、その誰かを抱き締めるようにして、頭を抱えている。その背中はあまりに痛々しく、何度声をかけようと思ったことか。

……だが、その役は俺じゃない。それはお頭の役目だ。

お頭は、なまえのことを大切に扱った。嫌なことをしないでいいように、苦しまない様に、笑っていられるように。俺たちだって、なまえにはたくさん助けてもらったんだ。だから、できるだけのことはした。でも……もしも、なまえにとって、ここにいること自体が苦痛なのだとしたら。もし、俺がお頭の立場だったら……そんなこと怖くて考えたくもないだろう。

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シャンクスの久しい友人が訪ねてくると聞いて、一体誰のことだろうかと思っていたら、シャンクスの宿敵と言われていた、鷹の目のミホークだった。

「……ちょっと待って。これってピンチ?」

私は、海軍本部で鷹の目と会ったことがある。まだ少将の頃、警備をしていたときに見かけた。話したことはない。……が、目が合ったことがある……ような気がする。でも、あの大物が小物の少将の顔を覚えているとは思いにくい。……どうか、覚えていませんように。

……が、しかし。そんな願いも虚しく、事は起こってしまった。

 

「おぉ、ミホーク! どうしたァ」

陽気なシャンクスとは対照的に終始冷たい態度の鷹の目。でも、別に仲が悪い感じではなさそう。この人たち、宿敵やめた後は普通に友人になったってことなのかな。

「ちょうど見かけたのでな」
「どうせ近くの島まで牽引しろっていうんだろ、鷹の目」

ベックマンがくすくすと笑う。

「古いワインがある。礼にやろう」
「そうこなくっちゃな! よし、今日は宴やるぞ」

はぁ……またか。この船に乗ってから一体何回目の宴だろうか。いい加減、飽きないのだろうか。と毎度毎度思う。

 

「シャンクス」

鷹の目にしては珍しいのか、大きな声に誰もが振り向く。

「どうしてこの船に海軍本部の少将が乗っている?」

射貫くような金色の瞳が甲板の端、一番離れたところに立っていた私を真っ直ぐに見ていた。その瞬間、全身から脂汗が噴き出した。皆の視線はまだ告げた側の鷹の目の方に向いている。私は考えるよりも先に船縁によじ登っていた。マストから伸びたロープを支えにして、細く不安定な船縁に立ち上がる。

「…………」

誰も、何も言わない。波の音だけが静かに流れていく。私の方を見る者は誰もいなかった。異様な空気だ。誰に塞がれているわけでもないのに、呼吸が苦しかった。

鷹の目に向かってシャンクスが歩いて行く。二人で何かを話しているようだったが、遠過ぎて何も聞こえない。……どうする。どうしたらいい? ない頭で必死に考えた。ここで私が捕まれば、逆に海軍側の情報が取られてしまうかもしれない。そうなったら、サカズキさんが……。それは駄目だ。絶対に。だったら……もう……。

船縁の下、白波が立つ海を覗き込む。クリアブルーの下、深い底の暗い青色が果てのない闇のように見えた。大きく揺れる船体に幾重もの波が打ち付ける。その度に船体が揺れた。海は恐ろしい場所だ。たった一つ間違えただけで私たち人間は生きて戻れない。ましてや、私は能力者。だから、きっと……一瞬で終わる。

 

「ミホーク。どういうことだ?」
「どうも何も。……あの女。本部で警備をしていたところを見た。なぜここにいる。シャンクス、まさかお前、海兵を拉致した……いや、それにしてはなじんでいるな」
「あぁ、なまえは俺たちの仲間だ」
「仲間……? あの海兵が?」
「あぁ、そうだ」
「正気か。まさか知らなかったなどと……」
「……知っていたさ」
「……シャンクス、まさか、また悪い癖が出たのか」
「またって言うな」
「お前は本当に女運のないやつだ」
「運がないかどうかは、あいつと話せば分かる。なまえはいい奴だ」
「……そうか。お前がそこまで言うのなら」

「「おい!! お頭ァ!!!!」」

ホンゴウが、ライムジュースが、その場にいた全員が叫んだ。シャンクスが振り返る。刹那、ドボン――音がした。

 

「ホンゴウ! 手ぇ貸せぇ!!」

綱を胴体に巻き付け、仲間に引き上げられながらシャンクスが叫ぶ。甲板に残っていたホンゴウは必要なものを揃えるための指示を出しを終え、二人が上がってくるのを待っていた。船縁にシャンクスの足が見えた。ベックマンが引き上げる。シャンクスの体が逆さまになって上がってきた。その腕にはなまえが抱かれていた。

なまえを受け取ったホンゴウが直ぐに心肺蘇生の体制に入る。

「……俺がやる」

シャンクスは慣れた手つきで気道を確保する。なまえの口を覆うように口を被せ勢いよく息を吹き込む。なまえの肺が大きく膨らんだ。よし、ホンゴウが頷くと、心臓の圧迫を始めた。息の吹き込みと心臓の圧迫を交互に行う。緊張の糸が甲板に張り詰め誰もが息を飲んで見守った。

「早く息をしろ。戻ってこい。なまえ!」

シャンクスが何度も言う。

何度目だろうか……、何十回と繰り返し、ホンゴウの顔色が悪くなる。……これは、もう……。

「お頭……これ以上は……」

ただ死者を冒涜する行為でしかない……ホンゴウが口を噤つぐむ。――――と。

「ごほっ、ごほっ、ん…………げほっ」

水が吐き出された。苦しそうに何度も水を吐き出すなまえ。シャンクスがその背中を慌てて起こした。「良かった、生きていた」ホンゴウが噛み締めるように言う。その場の誰もがもう手遅れだと思っていた。

「おい、なまえ! しっかりしろ!」

なまえは首の据わっていない子供のようにあちらこちらに首を振る。状況がいまいち分かっていないのか、何かをぶつぶつ呟いていた。

「あぁ……ここは、うぅ……天国?」

なまえが眩しそうに顔を顰める。燦々と照り注ぐ太陽が彼女のことを照らしていた。

「なまえ、ここは俺の船だ」

シャンクスがそう言うと、なまえの視線が向く。シャンクスの頬に手を伸ばし、左目の傷をなぞった。

「……結構深い傷だったんだ」

そんなことをぼやく。まるで夢の中にいるようで、なまえはいつもと全く違っていた。普段、彼女はシャンクスに触れもしない。それもあって、シャンクスは驚いていた。

「髪……赤い髪、綺麗…………」

濡れた髪になまえの指先が通っていく。

「シャンクス…………ごめんね。巻き込んで。……ごめんね」

にっこりと笑ったなまえが、何度も言った。「ごめんね」と。

「っ、なんでお前が謝るんだよっ!」

ジリリリリ――――一瞬だった。一瞬、シャンクスの覇気が甲板を抜けていった。感情の高ぶりがそのまま周囲にぶつけられた。空気が揺れ、耐えられない者が倒れていく。ユイナの顔色が真っ青に変わった。まるでこの世の終わりのような、絶望の表情かおを浮かべて、彼女は、自分を支えるシャンクスの顔を見て叫んだ。

「っ、いやっ! いやァ!!」

バンッ――、なまえがシャンクスの左胸を突き上げた。なまえの身体が甲板の上を勢いよく転がった。

「っ、おい!」

慌てたシャンクスが追いかけようとするが、なまえは視線でそれを断った。睨みつけるように、シャンクスを、隣のホンゴウを、周囲の船員を見ていた。

「来ないで!」

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目を覚ましたところはとても綺麗なところだった。頬を撫でる風が気持ち良くって、身体はなんだか温かくって。重い瞼をゆっくりと開いた先にはシャンクスがいた。あぁ……彼が、裏切り者の私を許すことは決してないだろう。だから、これはきっと夢だ。私は夢の中で彼に会っているのだ。そうか……なら、できるなら、言いたいことを、死んでしまう前にきちんと言っておきたいと思った。

シャンクスに謝った。何度も。私は別に貴方に恨みがあるわけじゃない。貴方のことが嫌いなわけでもない。私は……ただ、そういう運命だっただけなのだ。……だから、ごめんねと謝った。

でも――――、それは夢じゃなかった。

肌に触れるシャンクスの指先。私を見つめる瞳。後ろに広がる、照り注ぐ太陽。隣に座る、私を取り囲むみんなの息遣い。そのすべてが現実リアルで。刹那、私は死に損なったのだと悟った。

逃げた。……全力で。シャンクスの腕の中から逃げ出して距離を取った。足を止めたら駄目だ。このまま捕まるわけにはいかない。これ以上、サカズキさんの足を引っ張るわけにはいかない。……でも、どうしたらいい。どうしたら……。必死で首を左右に振った。何か手立てはないかと探した。

…………あった。

甲板のはずれ。ぽつんと一人だけ、そこに立っている男がいた。私が海軍所属であると、密告した男だ。彼ならば…………彼ならば、きっと。

私は無我夢中で駆け出した。その男、鷹の目のミホークにめがけて、腰につけていた小刀を掲げて。背後から色んな声がした。でもすべてに蓋をした。目の前の男は、背中にある大きな十字の刀に手をかけていた。それでいい。それで、……どうか、私を切って欲しい。

自分の出来うる限り、最大の力で刀を振りかぶった。刃先が届かなくていい。私の首がはねられれば、それでいい――鷹の目が十字の刀を抜いたのが見え、突風が吹く。赤い髪の毛が目前を横切ったところで私の意識はプツンと切れた。

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