知らないあつさ

「…………?」

お腹をぐっと引かれた感覚で目が覚めた。後ろから微かな息遣いが聞こえる。辺りはまだ暗い。今何時だろう……? 時計を探して辺りを見回したところでハッとする。

「…………あれ、ここ、どこ?」

ガバッと上体を起こして、布団から抜け出して身を屈める。服を着ていないらしいが、この際それは後回しだ。そんなことよりも命が大事。

「…………武器、武器は…………あれ、私の銃、どこに置いたっけ?」

知らない部屋。記憶が混濁している。ここはどこ? 今、私は何の任務をしていた? 海賊船の中? 地に手の平を置いて集中する。…………いや、揺れていない。ここは地上だ。なら、宿屋だ。同じ布団に誰かが入っているってことは、夜伽をしたってことだ。

「…………あれ、でも…………わたし…………」

もうシールドからは抜けたんじゃなかったっけ? サカズキさんの部隊に戻って――

「…………どうした?」

布団の中の人がむくりと体を起こした。良く知っている人の顔を目の当たりにして、安堵のあまり腰が落ちる。

「え…………? サカズキさん?」

なんで、ここに…………?

「…………」

何か言いたげな顔をしたサカズキさんが、私をジッと見ている。

「…………覚えておらんのか」

何の話か分からずに首を傾げると、サカズキさんが深い息を吐き出した。

「…………すみません。もしかしてご迷惑をおかけしていますか」
「いや、違う。これは…………単なる息抜きじゃ。気にするな」

そう言うと、サカズキさんが立ち上がる。

「そのままじゃと風邪を引く。布団に戻れ」
「戻っ!? やっ、でも…………裸ですので…………」
「ほぅか……。じゃあ、せっかく裸じゃから、でええじゃろう? ほら、入ってこい」
「っ――」

差し出された手を見つめる。っていうか、サカズキさんも裸…………あれ? もしかしてこれって、サカズキさんとやっちゃった後ってこと?

素直に手を取って、一緒に布団に戻っていく。

「すっかり冷えてしもうたの……」
「これじゃぁ、サカズキさんも、風邪を引いてしまいますよね。すみません」
「わしを誰だと思っておる。このくらいどうってことない。それに、わしのチカラを使えば…………」

ほわっ、と暖かな空気が一瞬で布団の中に広がった。途端に、睡魔が襲ってくる。ぐっと、サカズキさんの腕の中に抱き込まれて包み込まれてしまったら、もう抗うことは出来なかった。

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次に目が覚めたとき、サカズキさんの姿はなかった。先に出勤したそうだ。使用人の方が「今日は遅番でよいそうですよ」と教えて下さったので、有難く、その通りにさせてもらおうと思う。

「あぁ、そうでした。こちらを渡して欲しいと預かっております」

差し出された紙袋を受け取る。

「…………こちらは?」
「上着と伺っております」
「…………上着?」

紙袋を覗き込む。丁寧に折りたたまれたそれは、普段見慣れているコートによく似ていた。あの将校が着る『正義』が刺繍されたもの。

「え? でも、私……自分のものはすでに頂いているのですが……」

シールドに入隊するとき、一度は捨てたけれど、今の部隊に戻ったときに新品のコートを頂いた。今はそれがあるので困っていないのだけれど……。急にどうしたのだろう。

「いえ、こちらは元々なまえさんの物だったそうですよ。随分前から預かっていたと聞いております」

一体どういうこと……?

戸惑っていると、促すように紙袋を示されたので、コートを手に取った。半信半疑になりながら、広げていく。

「…………あ」

これ、私のコート。あの日――『海軍を捨て海賊になった日』に、ゴミ箱に放り込んだはずの、コートだ。

「……なんで?」

なんでこれをサカズキさんが持っているの?

 

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かつての愛用のコートに袖を通した私は元帥の部屋の前に立っていた。

シールドへの加入、諜報員としての決定。あの日、 私は正義を身に着けることを許されない身となった。

表向きは海兵じゃなくなったんだから仕方がない――――そう思っていても、震えてしまう手で袖から腕を抜いた。すべてを捨てて赴く死地だ。でも、その地へ対する恐怖よりも、そんなよりも、お傍を離れることの方がずっとずっと怖かったことを思い出す。正義が、貴方が貫く正義だけが、私と貴方を繋げていたのだから。

でも、そんなことをサカズキさんが知っているわけがない。

「…………お話があります」

部屋には、いつも通り書類に目を通すサカズキさんの姿。ちらっと視線が向けられて、再び視線は書類に戻っていく。何も言わないということは続けてよいということだ。

「今朝、使用人の方から『この』コートを頂きました。元帥から……と。その……、拾って下さっていたのですか」

シャッ、シャッ――と走った万年筆が止まる。

「…………聞くほどのことか」

静かな返事に息を呑んだ。…………何故だろう。ほんの僅かだけれども、ピリついた空気を感じた。…………サカズキさんが怒っている?

再び筆が走り、カリカリと音を立てる。やはりそうだ。サカズキさんの表情が固い。

「…………怒っていらっしゃいますか」

良く考えたら、『正義のコート』は海軍の象徴だ。それを捨てるということは、海軍に対する冒涜だ。そんなことを自分の部下がやってしまったのだから、怒って当然だろう。捨てずに返納すべきものだったのだ。

「大変申し訳ございませんでした」

深く頭を下げる。最中に考えるのは、当時のことだ。あの時の私は、もう二度とこの地マリンフォードに返ってくることはないと思っていた。まさか、再びこうして背負う日がくるとは思っていなかった。またサカズキさんに会えるなんて、思ってもいなかった。

長い長い沈黙の後、サカズキさんは長息を吐き出す。

「頭を上げろ」

そう言って彼は椅子から立ち上がった。顔を上げると、すぐ目の前まで来ていた。

「責めているわけじゃない。ただ……」
「…………ただ?」

グッと口元を引き結んだサカズキさんが、苦し気に眉を寄せている。言いたいことを我慢するのように、彼は言葉を区切った。

「わしは…………」

サカズキさんの右手が伸びてくる。彼の手袋が私の頬に触れて止まった。

「…………あの?」
「…………すまんかった」
「…………え?」

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片時も離れることなく、後ろをついて歩く凛とした姿――なまえは自慢の部下だった。側近として常に傍に置いていたが、長期休暇中に偶然出会ったらしい赤髪のシャンクスに気に入られたことをきっかけに、上層部が彼女に目を付けた。

「すぐに諜報員として訓練をするように」

当時のセンゴク元帥よりも上の存在からの極秘指令。当然、逆らうことはできない。

そんなことを知る由もないなまえに、何と言えばいい。わしのことを見つめる眼差しに明らかな色が見える。真っ赤な灼熱の炎にも似た、彼女の心が、その瞳に映っている。

……知っていたのだ。

好きです――そう告げられずとも、肌で感じていた。大切に想ってくれていることも、愛して欲しいと願っていることも。それは分かっていた。だが、何も出来なかった。足踏みをしている間に、彼女は傍から姿を消した。もう二度と会えないかもしれない、そう思っても、脳裏にはまだあの瞳が浮かんでいるせいか……、この馬鹿な脳みそは錯覚していたのだろうか。

無事とは言えない体で、なんとか生きて返って来た彼女は、真っ白になっていた。こちらを見据える彼女の両目は透き通った透明だった。

わしを見ていたはずの、あの炎が消えている。記憶とは恐ろしいもので、目の前に同じ瞳が現れて、熱のない無色透明の両眼が刻まれた途端、かつての記憶は消えてしまった。もう…………愛に焦がれていた彼女の瞳をはっきりと思い出すことはできない。

不思議そうに首を傾げたなまえは真っ直ぐに見据えている。昨日の夜に見られた甘い熱の塊は、かつてのものと似て非なるもの。…………違う。これじゃない。色欲ではない。わしが求めているものは――それに気づいてしまった。

ここまで上り詰めたあとで、まさかこんな事態になろうとは……。海軍元帥が、一人の娘に篭絡される…………か。

触れただけで、熱が回る。お前が好きだ――そう言えば、何か変わるだろうか。昨夜のことがあっても、彼女は未だに熱を帯びた視線を向けてくれない。いや……違うか。彼女は分からないのだ。…………感情を、心を忘れている。

自業自得とはこのこと。すべては自分が招いたこと。彼女が毒に侵されたのは、命令を出した己のせい。彼女が格別に大事にしていたもの正義のコート を捨てる姿を遠巻きに見ていた。涙を零しながら、震える手で堪えるその姿を見ても、手を差し伸べなかった。何も、……思わなかった。それでこそ、海兵。それが、海兵の通る道だ、と。

彼女が頼っていた場所、寄りかかっていたところをすべて奪った張本人が、どうして言えるのか。彼女から、笑顔を奪ってしまったわしが、言えるわけがない。何を言っても、謝罪の言葉ですらも、もう何もかもが遅いのだ。

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