よるはしずかにふかまり

海原から回収された後、ホンゴウは甲板で息を整えていた。
潮の匂いの中、いつもの顔ぶれが自然と集まってくる。

幹部連中が揃うと、空気がわずかに引き締まった。
――お頭が口を開く。

 

「お前たちは、なまえに何をしたか分かってるのか」

静かにそう言いながら、お頭は片膝を立てた。その目は伏せられたまま。
すぐ後ろでは、柱に背を預けた鷹の目が、ジロリと俺たちを睨んでいる。

「お頭…………」

俺たちは狼狽えていた。今さらになって、なまえに逃げ場のない選択を押し付けてしまったのだと理解した。

「俺は言ったよな。『あいつが紐付きだろうが関係ない。それを踏まえても、あいつの能力には価値がある』と」
「だが、お頭はあいつに入れ込み過ぎていただろ」

ベックマンの言葉に、お頭が淡々と続ける。

「俺の気持ち……? そんなもんは関係ねぇ。そう言ったのはお前だろ、ベック。最初に“入れ込むな“と言ったお前の言葉を、俺は呑んだ。なまえの能力に価値があると証明出来たらなら認めると、お前は約束したはずだ」
「…………その話が出る前だったんだよ」

「っ、――――くそだな! てめぇらァ!!!!」

「っ――、お頭ァ!! 言い過ぎだ!!」

 

俺は、ベックマンが悩んだ末に出した結論だったのだと理解している。同じ船に乗る海軍の紐がついた女。船の頭は、その女に相当入れ込んでいる。目が曇っていてもおかしくない。副船長として試すのは当然のことだろう。ベックマンにはその権利がある。

「まずは、俺を通せ。それがこの船のルールだ」
「お頭はなまえが絡むといつも我儘になるだろ。話したところで聞かない」
「聞かなくとも、話せ。それがお前の仕事だろ?」
「……そうだな」
「俺だって、お前らの意見を聞かずに全部ひとりで決めることはできる。だが、反対されると分かっていても、必ず話す。反発がなくなるまで、説得する。……分かってるだろ?」
「…………」

確かに……。お頭は我儘の多い人だが、反対意見があるときは、最後まで向き合って話をする。

「ベック…………、いつもすまん。俺も苦労をかけているのは分かってる。だが――こんなもん、悔やみきれんぞ。……なまえが、死んでいたかもしれない」

あの凄まじい状況を耐え抜けたのは、なまえの強い精神があってこそだ。そうでなければ、もうこの世にはいなかったか――あるいは、壊れていただろう。それは、この場にいる全員が理解していた。

「それに…………俺なら見える未来もあったかもしれねぇだろ」

見聞色で見える未来。その中に今回のことがあったのなら、事前に避けることもできたはずだ。たとえそれで、なまえと二度と会えなくなるとしても――この人は、きっと。

「俺は、なまえの幸せを願って離れたんだ……」
「……すまん、お頭。俺たちだって、なまえにこんな仕打ちをさせるつもりじゃなかった。どうしてこうなったのか……分からねぇ。だが――なまえを焚き付けたのは、他でもない……このベン・ベックマンだ。俺が悪かった」

「……ベック」
「お頭。刺青を入れたのは俺だ。同罪だろ。罰は受ける」
「……罰、か。そんなもんはなまえに決めてもらえ。まず謝れ。それで、元気になったら――なんでも言うこと聞くって言うんだ。……なんでも、だぞ? 絶対に断るな」

「……あぁ」「分かったよ」

   

話がひと段落したところで、鷹の目が口を開いた。

「確認するが――なまえの太腿の内側に髑髏を刻んだのは事実、というわけだな」
「……そうだ」

俺が頷くと、ベックマンが続ける。

「邪推することなく考えれば、それを見た赤犬が能力で焼き消した……そういうことになるな」
「島の本屋で嗅いだ、あの焼け焦げた肉の臭い……あれが“それ”だった可能性が高い」
「……それまでは、気づかなかったということか」
「妙だな。恋人であれば、すぐに気づきそうだが……」

そこで、鷹の目が静かに言った。

「いや――そもそも、なまえと赤犬は恋人ではなかったはずだ」
「……え、そうなのか?」
「なまえから聞いた話だが……」

それから鷹の目は、船を離れた後のなまえについて語った。

:
:

痛みで意識が朦朧とすると、よく夢を見た。夢の中の私は、何気ない日常を過ごしている。たぶん……昔の記憶だと思う。

その中で、私はよくレッドフォース号の上にいた。

シャンクスがおはようと言って、抱き締めてくるのをひらりと躱す。
壁にぶつかったシャンクスを見て、ベックマンが笑っている。

けほり、と咳き込めば、ホンゴウが飛んできた。
「たった一回だよ」と言っても、彼は部屋に戻れとうるさい。

部屋にいてもつまらないと言えば、ライムジュースが本をくれた。
長い長い物語らしい。「読むのには骨が折れるぞ」と言っていた。

ヤソップは、腰に差していた私の銃を抜く。
「手入れはしておいてやる」
そう言って、彼は笑った。

 

……今にして思えば、あれは平和で幸せな日常だったのだと分かる。今の私には、眩しすぎる思い出だ。あぁ――感情なんて、戻らなければよかった。

ぼたり、ぽたり、涙が零れ落ちる。

 

すると、いつからそこにいたのか、シャンクスが後ろから抱き締めてくれた。「大丈夫だ、俺たちがいる」そう言ってくれた。私が裏切り者だと知っていたくせに。「俺が傍にいる」そう言ってくれた。

きっと私は、あの時、あの場所でシャンクスに救われていた。水平線の向こう側にいるサカズキさんへ縋っていた時間も、少しずつ減っていった。

「なまえはなまえ だ。何をしたっていい。なまえ が思うようにしたらいいんだから。俺たちのことは気にすんな。……なっ?」
「っ、シャンクス…………」
「……ん?」
「ごめんっ、ごめんねっ!」
「謝らなくていいんだ」
「ううん。謝らせて。私のせいでっ、シャンクスが倒れちゃったんだから……!」

シャンクスは私を否定しない。海兵である私も。スパイをしていた卑怯者の私も。全部を受け入れてくれる。

涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、シャンクスは笑って待っていてくれた。

「いいってことさ。なまえは、俺たちの仲間なんだから。全力で俺に頼れ」

ニシシシッ――

「あっ! だめっ! だめ、お願い、消えないでっ!!」

さらりと揺れた赤い髪が、振り返った瞬間に薄れていく。思い切り手を伸ばしても、そこにあるのはただの記憶なのだから、掴めるはずもない。……分かっているのに。

 

目を閉じれば、瞼の裏にまた彼が浮かんでくる。私の名前を呼んで、微笑んで、抱き締めてくれる。でも、すぐに消えてしまう。

なんて虚しいんだろう――

そう思うのに、想うことはやめられない。

 

「わたし…………今更気付いたのね…………」

あの船の上にいたときから、私は……シャンクスのことが好きだったのだ。それなのに、私はろくに笑えていなかった。仮面を張り付けて、彼を遠ざけ傷つけることばかりを言った。もしかしたら、シャンクスが弱ってしまったきっかけは、それだったのかもしれない。……なんでもっと早く気づかなかったんだろう。

頬を伝い落ちる涙を拭いながら、私はそっと息を吐く。

「馬鹿ね、ほんと……私って、ほんとどうしようもないグズね…………」

:
:

「なまえ、お前……もしかして、赤い色が駄目なのか」

食事に出されたトマトを忌々しく見つめていたら、ホンゴウが言った。

「……まぁ、その…………いろいろあって」
「隠さなくていい。昨日、お頭と会って倒れただろ?」
「…………それは、どういう……?」
「やっぱり覚えてねぇのか……」
「そんときに、錯乱して……いろいろと、その……口走ってたからよ」

ホンゴウは少し言い淀んだ。

「……見ちまったんだよ。……その」

彼の視線が落ちていく。

「……まさか、見たの?」
「あー……その……悪い」
「……ハァ――――まじか……」

 

やはり、知られたくないことだったらしい。
ホンゴウは申し訳なさを感じながらも、質問を続けた。

「バレて、焼かれたのか」
「……うん、そう。私が迂闊だった」

私は小さく息を吐く。

「海軍にいたときは、肌色のシートを博士からもらって貼ってたんだけど……島に移動してから剥がれちゃって。新しいのを貼るのを忘れてた」
「…………」
「島は赤髪海賊団の縄張りだったし、刺青があってもおかしくないでしょ? まさか、あんな辺鄙な島まであの人が追いかけてくるなんて、思っていなかったの……」
「おっかねぇ男に目をつけられたんだな」
「それに関しては、ノーコメント」

もともとは私のせいだった。サカズキさんが壊れてしまったのは、私のせいだった。だから――自業自得なんだと思う。

「……ミホークは?」
「ん? あぁ、外でお頭と話してる。すぐ戻ってくるが……」

ホンゴウは少し間を置いた。

「やっぱり、彼奴がいないと不安か?」
「え? ううん……そういうわけじゃないけど……」
「何となくってか? そういうのを、いないと不安って言うんだぞ」
「……」
「癪だが……伝えておく。きっと喜ぶだろうさ」
「あのミホークが、喜ぶ……?」
「あぁ」

ホンゴウは小さく笑った。

「『あの』鷹の目が、な」

首を捻るなまえには、やはり自覚はないらしい。お前はたいそう面倒くさい連中に好かれる運命らしいぞ。

……残念なことにな。

 

「……今後、お頭に会うのは難しそうだな」
「あー……髪を染めたらいけるかな」
「無理言うな」
「ふふっ、ごめん」
「ていうか、それ、お頭の前でぜってぇ言うなよ。あの人なら迷わず染めるからな……」
「たしかに、やりかねないかも?」
「……あの人は、絶対やる」
「ふふっ、りょーかい」

緩やかな笑みを浮かべるなまえからは、昨日の様子がまるで想像できない。あの一連ので出来事が、幻だったかのようだ。

「……お前、本当に大丈夫なのか。昨日の取り乱しようは、かなり酷かったぞ」
「…………うん。たぶん、大丈夫だと思う」

少しだけ視線を落としながら、なまえは続ける。

「こう見えて、もともと諜報員の教育は受けてたから、拷問にはある程度の耐性はあるの。他の海賊団にいた時は、実際に経験もしたし……」
「……」
「時間はかかると思うけど、よくなっていくと思う。……ごめんね、きっと驚いたよね」
「……いや、俺たちのことは気にしなくていい」
「ありがとう、ホンゴウ。こんなに良くしてくれて……」
「何言ってんだ。お前は俺の命の恩人だろ。……当然だ」

ホンゴウは少し間を置く。

「――それに」
「それに?」
「なまえは、俺たちの仲間だろ?」

ハッ――と目を見開いたなまえが、まっすぐこちらを見る。

「……わたし、まだ…………仲間なの…………?」
「あぁ……この先もずっと、なまえは俺たちの仲間だ」

「っ、……証、消えちゃったよ?」
「関係ねぇよ、そんなもん」
「…………でも、」

 

 

ガチャリ――ノックもなく、扉が唐突に開いた。
現れたベックマンが、言葉を発するより先に、なまえの目の前で頭を下げる。

「なまえ…………悪かった」
「…………ベックマン?」

突然の謝罪に、なまえは目を丸くする。

「……え、と。いきなりだね……どうしたの?」

「外で話を聞いていた。証を刺れるようにそそのかしたのは、俺だ。俺が悪かった。……すまん」
「何言ってんの……そんなの知ってたよ。ベックマンがシャンクスのために言ったんだって分かってた」

なまえは首を横に振る。

「私は、自分のために刺青を入れたの。貴方は関係ないよ」
「だが……」
「私が決めたことなんだから、ベックマンには関係ない。――今すぐ、頭を上げてくれる?」

ビシッと言い切ったなまえに、ベックマンがわずかに狼狽える。彼はゆっくりと頭を上げた。

「ベン・ベックマン。貴方は赤髪海賊団の副船長だよね?」
「……」
「その頭は、そんなに軽くないはずでしょ。こんな小娘に向かって、簡単に下げていいものじゃないと思う。

ベックマンの鋭い視線に、なまえは一歩も引かない。

「ベックマンがやることは、赤髪海賊団の総意になるんだから。もう二度と、こんな軽率なことはしないで」
「…………」
「いい? 分かった?」

 

「…………はぁ。敵わねぇな……」

小さく呟いたベックマンが、「了解した」と頷く。それを見て、なまえは満足そうに何度か頷き、「久しぶりだね」と笑った。

それから軽く言葉を交わしたベックマンが、「お頭がホンゴウを呼んでる。連れてくぞ」と、俺を促した。

「うん、またね」
「あぁ、また見舞いに来る」

バタン――と扉が閉まるのを待って、ベックマンが空を見上げた。

「……帰ってきたと思ったら、速攻で尻に敷かれちまった」

呟くベックマンに、俺は笑い返す。そのまま連れ立って甲板へ向かう途中、ベックマンは煙草に火をつけた。妙に上機嫌だ。これは相当気に入っちまったらしい。……さすがはユイナだ。

「あっという間だったな。見事なもんだ」
「……あぁ」

ベックマンは副船長をやっているだけあって、威圧感がある。立っているだけで、場を支配するような男だ。

それでも――

なまえはベックマンの気迫ある謝罪をさらりと受け流し、諌めてみせた。それはもう、見事に。

「ってことは、こりゃ……副船長のお墨付きってやつか?」
「……そうだな。もう文句はねぇよ」

 

「ならもう、遠慮することはねぇな?」

甲板へ続く階段の上。にこやかな笑みを浮かべたお頭が、声高らかにそう言った。

 

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!