あいつがさんざん言ってくれたおかげでセンゴク元帥の立ち会いはなくなった。ホッと胸をなで下ろす。用意された部屋は見慣れた海軍の会議室。あいつがここでいいと言ったそうだ。長机には申し訳程度の花が生けてある。……こんな気休めのようなもの、ない方がいいだろう。そう思いつつも、その花の隣に腰を下ろし、腕を組んで待つ。
コンコンッ
「入ります」と声がしてゆっくりと扉が開く。うっすらと細目を開け、改めてじっくりとその姿を見る。いつも着ている白シャツ、ズボンにエプロンの姿ではない。白いワンピースを着ていた。裾にはレース。胸元には控えめなシルバーのネックレス。白い素肌がスラリと布から伸びて出ており、見慣れない女らしいその様子に余計に胸が高鳴った。落ち着け。ただ服装がいつもと違うだけだと、自分に言い聞かす。
トントントンッ。カフェのカウンターからこちらへ出てきた時と同じように俺の前に歩いてくる。高めのところで結んでいるポニーテールがゆらゆらと揺れ、ピタリと止まる。視線を横にずらすとバッチリ視線が合った。
「スモーカー中将は「コーヒー、ブラック」でよかったですか?」
ふふふとひと笑い。俺の真似をしてなのか、口調がいつもと少し違う。あぁ、と口を開けて見返せば、あれ? 葉巻はどうしたんですか? と心配そうにこちらを見る顔。
「今は切らしていてな」
「えっ? あのヘビースモーカーの中将が!!? 大丈夫なんですか?」
まるで水の中でしか生きていけない魚のような扱いに思わず笑ってしまう。
「あと数時間したら死んでしまうかもしれねぇなァ」
「……」
「おい……?」
返事が返って来なかったので、冗談が分かりにくかったか……と顔を上げる。泣きそうな顔。
「おい、冗談だぞ?」
「えっ……あ……ごめんなさい」
深いお辞儀。
「私、信じ込みやすくて、だめですね。ごめんなさい」
あははと、すぐに笑顔に変わったことに安堵しつつ、罪悪感に苛まれる。
「いや、悪かったな」
「コーヒー、どうぞ」
「さんきゅうな」
長机に並んで座る。
「あの……」
「なんだ?」
「無理言ってしまってごめんなさい」
「無理……?」
「お見合い……興味がないって言っていたのに無理に……」
「あァ、その話か。まぁ……気にするな」
まさか相手がお前だったから逆にうれしく思っているだなんて、そんなことを言えるはずもなく。湯気が立ち上がるコーヒーカップをゆっくりと口に運ぶ。久々にこうしてゆっくり飲んだなとふぅ~と息が漏れた。
「お疲れですね」
「ここのところ討伐任務ばかりだったからな」
「やっぱりお仕事忙しいんですか?」
「だな……」
「じゃあやっぱり……家庭を持つ、とか。……そんなことって無理ですよね?」
「っ、」
そんな目でこちらを見るなと言いそうになるのを堪える。耐えろ俺。ガシガシと頭を掻いて天井を仰ぎ見る。
「俺だって考えたことぐらいはある」
「えっ、あるんですか?」
「なんだよその人間みたいなところもあるんですね、みてぇな反応は。俺だって人間だ」
「ふふふ……すみません」
「でもな、考える度に思うんだよ。俺がよくても、俺の相手はきっとなかなか帰って来ない旦那に悲しんでしまうだろうって」
「……」
「そう思うとなかなか……な」
苦笑いしながら天井を見ていると隣のそいつが口を開いた。
「スモーカー中将」
「……なんだ。意外だったか?」
「はい、意外です。でも、余計に好きになってしまいました」
「……おいおい。おっさんをからかうんじゃねぇよ」
「スモーカー中将。前々から言おうと思っていたんですが、私と中将の年、そんなに変わりませんからね! だから別に中将のこと、そんなにおっさんだって思ってないですよ?」
「……っは?」
危うく椅子から落ちそうになった。
「私こう見えて30歳手前です!」
「はぁ? 冗談だろう?」
「冗談じゃありません! 若くサバ読むことはあってもこうして年増して言う女の人なんていませんから!」
「……それもそうか。……って、お前もう30歳になるのか!?」
「いや、手前ですって言ってますでしょう? まだ30歳じゃないです!! 失礼です!!」
「……」
ついつい言い合いになってしまい、あいつは俺の顔間近まで顔を近づけて言い寄ってくる。分かった分かったと顔の前に片手を出して距離を取る。今のは近かった。もう、ほんとスモーカー中将は……とぶつぶつ言われてしまえば、悪かったよと返すしかなかった。
「誤解も解けたところですし、そろそろお返事聞かせてもらってもいいですか?」
にまにまと笑うあいつは俺の目にはとても輝いて見えた。いいのか、俺で。本当に。俺はこいつを幸せにできるのか。悲しませてばかりになるんじゃないか。大丈夫なのか、俺で。そんなことが頭の中をグルグル、グルグルと回った。
「スモーカー中将、聞いていますか?」
「あァ……聞いている」
「では、お返事を」
「……」
あいつの目をしっかりと見つめる。俺と視線を絡めたあいつが揺らしていた体をピタリと止めた。どきどきと高鳴る鼓動。おそらく、四皇討伐に向かうレベルの緊張だ。いや、それ以上か……。とにかく、自分の心臓がうるさかった。言葉は……出てこなかった。代わりにため息のような息が一息こぼれる。それは震えそうになる体を押さえるためのものだったと思う。
俺は小さく、一度だけ頷いた。
あいつは……なまえは、はにかんで頬を赤らめていた。その口からはよかった……と安堵の言葉が漏れ、その色っぽさに思わず息を呑んだ。緊張の糸が切れたせいかなまえの目元には涙がジワリと滲んでいた。柄にもなく視線が泳ぐ。おいと取り敢えず発した言葉になまえがニコリと笑う。言葉が上手く出てこなかった。
「……スモーカーさん、って呼んでもいいですか?」
数秒の空白の後、小さな声は俺の意識をここに戻した。
「いい。俺もなまえって呼ぶが、いいか?」
「っ、はい! もちろんです」
名前を呼ぶのは初めてだった。
「なまえ」
「はいっ」
ただそれだけのやり取りだった。それなのに、どうしてこうも満たされた気持ちになるのか。
「よろしくな」
勝手に動いた体。彼女の前に差し出した右手。それを見た彼女が俺の右手をゆるゆると握る。そうまるで猛犬を初めて撫でるかのように。笑ってしまう。こんな俺とお前が……、婚約をするだなんて。そんな夢のようなことがあるとはな。口元はうっすらと弧を描く。
「なまえ」
「はい」
「おかわり頼む」
「はい。「コーヒー、ブラック」ですね!」
どうやら俺は幸せ者になれたらしい。勝手に緩んでくる頬に幸せを噛みしめながら嬉しそうに部屋から出ていくなまえの後ろ姿を見つめた。守るものができた。

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