行かないで、って目をしてる

「会いたいな……」

小さな部屋の一室。ゆらゆらと揺れるランタンの炎を見ながら小さく呟いた。炎に映るかつての記憶。それは私がまだ十代のときの話。

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「言われなくたって分かってる!」

無理だと言い放った大好きな赤い髪の人に向かって大声をぶつけた。誰もがなりたいものになれるわけではない。例えば大好きな人の仲間になる、とか。それは人生を歩んでいく中で多くの人が気づく事柄だ。もちろん私だって気づいていた。

「…………なまえ」

それぐらい分かっている。……けどさ。そんな簡単に割り切れるほど私の心は素直じゃないってことも私は分かっているから。だからなかなか納得できないんだ。

どちらかが折れて意見を曲げないといけない場面。ぎゅ、と拳を握り締めて、歯を食いしばって、涙に濡れる顔を上げて、青空を背景に堂々と立っている赤髪の男を見つめる。その後ろでは煙が揺れていた。視線を向けると副船長が眉を寄せながら笑っていた。まるで「頼むから分かってくれ」とそう言われている気分だった。

「シャンクス」
「……これ以上俺たちを困らせないでくれ」

眉を寄せながら困った風に笑う彼のそんな顔を見てしまったら言い返せるわけがない。彼が背負っているもの、目標にしているものを知っているからこそ、彼のことが大好きだからこそ。……だからこそ、今ここで折れるのは私でないといけない。

「…………そうだね」

一度、ゆっくりと頷いた。それを見た彼はほんの少し目を見開いた。もしかしたらもう少し説得には手がかかると踏んでいたのかもしれない。私は我侭な子だから。そんな私があまりに素直だったせいか、彼は少し戸惑っているようにも見えた。でも、そんな様子もすぐに消えた。

「ありがとうな」

彼はそう言って、別れ際にぐしゃぐしゃと頭を撫でていった。その時の彼の笑顔は今でもはっきりと覚えている。「元気でやれよ!」ってとびきりの笑顔で笑って見せてくれた。そんな彼に精一杯笑って返す私の心中はとても複雑だった。

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今そのときのことを振り返って思うのは、ああなってしまったのは当然のことで、仕方のないことだったということだった。十代の小娘が海賊船に乗るだなんて、そんなの断られて当然だ。大した能力があるわけでもないのに”ただ離れたくない”というそれだけの理由で船の乗れる程グランドラインは甘くない。

だから、彼の……シャンクスの選択は間違っていなかったと今はもうすっかり大人になった頭で思う。

「なまえっ」

いつの間に側に来ていたんだろう。聞き慣れた声を聞いてゆっくりと振り返る。「よ!」と、トレードマークのテンガロンハットを人差し指で傾けた船長が扉の前に立っていた。

その挨拶に軽く唇を動かしてにっこりと笑って見せた。満足げに笑う船長を見ながら首を傾げた。

「こんな時間にどうしたの?」
「明日に備えて天候の確認を頼もうと思って」
「天候? うん。分かった」
「どうした? なんかお前ぼ――っとしてんぞ」
「あー……うんん。別に。ちょっと昔のこと思い出してたの」

「昔?」

首を傾げながらこちらに近づいて来た船長が机の上に腰を置く。椅子に座っていた私はその様子を目で追った。前に視線を向けると机の上には海図が広げられている。

どうやら私はそこに何かを書き込もうとしていたらしい。右手には鉛筆が握られていた。考えごとしているうちに何をしようとしてたのかすっかり抜けてしまったみたい。……ま、別にいいけど。鉛筆を置いて海図を丸める。

船長は机の上に座ったままこっちを見ていた。質問に対する答えを待っているのだろう。丸め終わった海図を机の角に置きながら言った。

「私がまだ十代のときのことだよ」
「……またそれか」

「また、って。別にいいじゃん」
「そんなにあいつがいいのか」

「こういうのは理屈じゃないの。船長だって経験ぐらいあるでしょ?」
「船長って言うな」

「…………エース」

はいはい、と。今度はエースの顔を見上げながらしっかりと答える。どうやら彼はそれで満足したらしい。うっし! と気合いを入れると軽く勢いをつけて机の上から降りた。ミシミシミシと嫌な音がしたのを聞いてムッと口を結ぶ。エースが「しまった」と顔を歪めていた。

「…………エース」
「わ、わりぃ。つい、な」

「それ毎回言ってるじゃんか! 私の机壊さないでよ!」
「分かってるって」

取り繕いながら、うんうんと何度も頷いたエースをジトリとした目で見つめながら立ち上がる。

「どうだかね。……それより、天候見るんでしょ?」
「あ――そうだった。頼むわ」
「あ――って何よそれ」

鋭い目つきで彼の方を見たけれど彼は視線を合わせようとはしなかった。それどころかこちらに背を向けて顔を逸らしている。上裸の背中がほんの少し丸まった気がする。

「ねぇエース。私に何か隠してる?」

その言葉を聞いた彼はピクッ、とほんの少し肩を動かした。彼の癖だ。彼はこういうときじっとしていられない質だった。本人はそれに気づいているのかどうなのか。気づいたところで早々直せるものじゃないだろうけど。彼に気づかれないように唇を結んだまま小さく笑った。エースには悪いけど、そういう馬鹿正直なところは嫌いじゃない。

「い、いや!? なんにも?」
「ばればれですが?」
「ばれ、ばれって何の話だよ?」
「まったく……そうやって嘘ついても無駄だからね。甲板に出てみんなに聞けばすぐに分かることなんだから」
「ちっ」

エースは舌打ちを一つ打つと両腕を組んで体を傾けた。彼は横顔をこちらに向けて片目で私の姿を捕らえながら苦虫を噛みしめたように顔を歪めていた。私は両目を細めて彼を見返した。ほら、早く言って――急かすように、両手を腰に当ててエースを睨みつけた。

エースが小さく口を開いて息を吸い込む。そして躊躇いながらも言葉を吐き出した。

「あ、か……髪が……」
「あかがみ? 赤髪……って、それって……もしかしてシャンクスのこと?」

その名前を誰かの口から聞くのは久しぶりだった。だからだろうか、こんなにも胸が逸るのは。

「あぁ。そうだ」
「それで……シャンクスがどうしたっていうの?」
「近くの海域にいるらしい。情報が入った」
「ほんとっ!? 詳しい場所は分かってる?」
「ここから一番近い島だ。偵察に行かせた奴らが酒場で見た、と」
「ここからってことは……」

先ほど丸めた海図を少し開いて位置の確認をする。

「1日。……1日はかかるね。でも1日ぐらいならまだ滞在している可能性はあるし。行く価値はある」
「……なまえ」

「すぐに経路の調整を……」
「……なまえ!」

「天候と後は辺りの島のログの情報も欲しいかな。今はどこに向かってるっけ……んっと、」
「おいっ」

「ごめんエース。甲板に出て確認してくる!」
「おい待てよなまえ!」

またシャンクスに会えるかもしれない。逸る気持ち。もう夢中だった。自然と駆けだした足が扉に向かって進んで行って、エースの前を通り過ぎようとしたとき、彼に腕を捕まれて止められた。何でそうやって引き留めるかなぁ……ちょっと! と抗議をしてみたけれど彼は手を離してくれない。彼は黙ったまま、ただ私の方を見ていた。その目はいやに真っ直ぐで、遊びでも、意地悪でもない。彼が今私の腕を掴んだことには何か、彼にとって大切なものが関わっているんだと、そう直感した。

「……どうしたのエース」
「確かに……俺はお前と約束を交わした。俺の船の航海士になる条件として、お前を赤髪に会わせてやる――それが俺が出した条件だ」
「うん」

「だが、今のお前は赤髪に会わせられない」
「はっ? なんでそうなるの」

「そんな顔して会いに行ったってまた昔みたいに跳ね退けられるだけだ。それで結局また昔みたいに落ち込んで……」
「何それそんなのエースが決めることじゃないよ? エースがどうこう言うことじゃないじゃん!」

「意味が分からないんだけど!」そう声を荒げながらエースの言うことに抗議して、捕まれた腕を振り解こうと精一杯力を込めて腕を動かした。

でも動かなかった。

「分かんだよっ!!!!」

すごい力だった。押しても引いても動かない。それでいてエースはこちらを見ようともしなくて、ずっと俯いたままで。だから少し怖くもあった。いつものエースじゃない気がしたからかもしれない。

「そんなの会ってみないと分からないって!」

エースの手の中から逃げようとする私の力を押さえつけるようにして、さらに強くエースが腕を握り締めた。痛かった。……すごく。たぶん……きっと、痣になっていると思う。ほんとなら何するんだって言って平手打ちの一つや二つかましてやるところなんだろうけど、そんなことできなかった。声を上げようとして見上げたエースの顔があまりに切ないもので、あまりに……苦しそうで。それどころじゃなかった。

「…………エース?」

小さく彼の名前を呼んだ。彼の瞳は私を見ていなかった。左右に揺れ動いて酷く取り乱していた。だから、空いている右手を上げて、彼の頬にそっと触れた。彼が落ち着くように、手の平を頬にくっつけて、彼の名前をもう一度呼んだ。

「エース。……大丈夫?」

揺れていたエースの瞳が私を捕らえる。その瞬間、エースの瞳が大きく見開き、次に「あぁ」と小さな返事が返ってくる。

「ほんとうに?」
「……あぁ、わりぃ。ちょっと取り乱したみてぇだ」

ちょっと……? これが? エースがこんなに動揺しているところを見るのは初めてなのに。エース。どうしたっていうの。

「大丈夫ならいいんだけど……」

頬から手の平を放そうとするとエースの手がエースの頬を包み込んでいた私の手の甲に添えられた。一度離れかけた私の手の平が再びエースの頬に触れる。エースを見たら彼はぎゅ、と目を閉じて何かを考えているようだった。

何を考えているのか、声をかけようと口を開きかけたとき、彼が先に口を開いて言った。

「なまえにどうしても聞いて欲しいことがある」
「……何?」
「俺はなまえに赤髪と会って欲しくないと思っている」
「どうして?」
「どうしても、だ」
「何それ」
「俺のわがままだって分かってる」

眉を潜めた。エースが続けて言う。

「だから赤髪と会うな」
「でも私はそのためにこの船に乗ったのに……」

「いいじゃねェかもう。目的が変わることなんてよくあることだろ」
「…………でも、会いたいよ」

ぎゅ、と唇を噛みしめた。シャンクスに会いたい。それは心の底から思っていることだった。理由は色々ある。久々に顔を見たいと思うし、……かつて、十代の頃に胸に秘めていたあの感情が何だったのか、それを知りたいとも思う。あんなにも彼のことが気になっていたのは信頼している人だったからなのか、それとも……。その答えを知りたかった。

「なまえ」

エースも唇を噛みしめていた。すごく苦しそうに眉を寄せている。なんで彼がそんな顔をするのか、それが私にはよく分からなくて。だからエースの言葉を待った。彼は何度も何度も何かを言いたそうに口を開いては閉じてを繰り返した。そして、ついに彼が息を吐き出す。

「俺はなまえのことが好きだ」

一度目を伏せた後、私の両眼を真っ直ぐに見つめてエースは言った。キツく結んでいた唇から力が抜けていく。半端に開いた唇がぱくぱくと動いた。言葉が出なかった。始めそれはあまりのことに衝撃を受けて吃驚したせいだと思った。でもそうじゃなかった。……だって、今の私はどこかホッとしていたから。

エースが続けて言った。

「俺はなまえが好きだから。……だから、赤髪と会ったらなまえがいなくなってしまうんじゃないかって怖くて。……だから。だから会って欲しくねェんだ」

すべてを吐き出したエースの顔を見たそのとき、探し続けていた答えを見つけた気がした。彼の瞳の光や、切羽詰った表情を見たら、――あの時、シャンクス達を見送ったあと、鏡の前に立った私の顔そっくりだったんだ。

だからあれは……私がシャンクスに抱いていた気持ちは確かに”恋”だったんだと思った。

私はシャンクスのことが好きだった。男として。そして彼に女として見て欲しかった。……でも結局そうはならなかった。シャンクスは私を連れて行ってはくれなかった。シャンクスはきっと私のことをそんな風に見ていなかった。少なくとも、今のエースみたいな顔をしていなかった。

あぁそうか。あのとき、私が大人ぶって仕方がないことだからと奥歯を噛みしめていたのは、ただ失恋したっていう現実から逃げ出したかっただけなんだ。認めたくなくて、強がっていたんだ。ようやく全部が分かった気がした。

だから、私はホッとしていた。

自然と緩んでいく口元。目の前にいるエースのことをしっかりと見つめた。にっこりと笑ったらエースが目を見開いた。彼の目元に溜まっていた滴がゆっくりと落ちていった。

エースのことが愛おしかった。震えるように言葉を吐き出して、私のことを好きだって真っ直ぐに言ってくれるエースのことが堪らなく愛おしい。ぎゅ、と締め付けられる胸が痛かった。

今、私の胸の中にあるこの想いをどう言い表せばいいんだろう。これはきっと”恋”なんて生やさしい気持ちじゃない。それをはるかに上回るもので。――あぁ、もしかしたらこれが”愛”っていうやつなのかもしれない。

「……ばか。どこにも行かないよ」

彼を守ってあげたいと思った。傍にいてあげたいと。右手を彼の首に回して強く抱きついたら、左腕から彼の手が離れていった。そして彼の両腕が私の背中に回って彼が言う。

「あぁ。行かないでくれよ」
「だーかーらー、行かないって」

この怪力馬鹿。私を潰してしまうんじゃないかっていうぐらい、エースは私の体を強く強く抱きしめた。ただでさえ左腕がやられて動かないっていうのに、まったく。

「エース苦し……」
「…………」
「エース。大丈夫。ここにいるから。私はここの、エースの海賊団の一員だから。ここを離れたりしないよ」

それでも彼は私を離そうとはしてくれなかった。もしかして私の口から気持ちを聞き出すまでは解放する気がないのかもしれない。本当にわがままな人だ。

それからしばらくの間押し問答を続けて、とうとうエースの押しに折れた私は白状するようにして、たった今芽生えたばかりの気持ちをエースに伝えた。こんな告白の仕方でよかったの? って聞いたら「ぜってぇ他の奴には渡したくなかったから」と怪力馬鹿が言う。

先行きが不安なんだけど、と笑いながら取りあえずシャンクスと会うのはまた別の機会、もっともっとエースが大人になってからにしようとそう決めた、真夜中のできごとだった。

 

170717 End.
Thanks afaik

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