「あ゛~もう、死ぬ…………」
「ハハハッ! そんなこと言っているうちは死なねぇよ」
おでこに置く冷たいタオルを替えながらホンゴウがからからと笑う。あんなことがあったのに、彼は今まで通りに接してくれていた。ホンゴウだけじゃない、他のみんなもそうだ。……みんな、いつも通り優しかった。
「お~、起きてるのか。どうだ、調子は?」
扉を開けて入ってきたシャンクスがにっこりと笑う。傍に腰を下ろして、私の手を握ってくれた。
「上々だよ。忙しいのにお見舞いありがとう」
「当然だろ。俺たちだってなまえに助けられていたんだ。このくらいはさせてくれ」
シャンクスは本当にいい人だ。こうして中将という肩書きを持つ私のことを大らかに許してくれている。私は彼に大きな借りができてしまった。
「シャンクス、あのね。聞いて欲しいことがあるの」
「どうした、改まって」
「近く、火拳のエースの公開処刑があるのは知っているでしょう?」
「…………あぁ」
「私は、その日の赤髪海賊団の動向を探る任務を言い渡されているの」
「おい、いいのか、俺に言って」
「うん、いいの。大丈夫。どうせシャンクスなら、知っても知らなくても行動は変えないだろうし……」
「まぁ……そうだろうな」
「私は、本部に貴方たちの居場所を伝えるつもり。……だから、私を船から降ろして」
「それはできねぇ」
「……どうして?」
私がこの船に残っていて良い事なんてもうない。船員全員の身体の確認は1ヶ月程前に無事に終えている。だから、本当に私はもう用無しなのだ。
「俺が……お前に乗っていて欲しいからだ」
私はこの船のマイナス要素でしかない。
「……そっか」
シャンクスが駄目なら、ベックマンに言ってみよう。彼なら客観的な判断を下してくれるに違いない。
:
:
「お頭」
「おぉ、ベック。どうした?」
ベックマンが甲板に置かれたテーブルに座るシャンクスに近付いていく。海図と睨めっこしていたシャンクスが顔を上げて隣を見やる。ベックマンは椅子を引き、腰を下ろしながらため息のような長息を吐き出した。まるで何か悩み事があるかのように。それを察したシャンクスの表情が固くなる。そりゃそうだろう。ここ最近、何かと問題になるのは彼女のことばかりだったから。
「なまえに船から降ろして欲しいと頼まれた」
「っ、あいつまだそんなことを言っているのか」
「そう言うな。死のうとしなくなっただけ、まだましだろう?」
「そりゃァ……そうだが」
シャンクスの言い分も分からなくはないが、ここまでくると後は本人の気持ちの問題だ。ベックマンは煙草に火をつけて口に運ぶ。シャンクスは言葉を区切ったまま、だんまりを続けている。そんな男の横顔を見ながら、ベックマンが口を開こうとした時だった。
バタバタ――上の甲板を大人数が走り回る音。船上の空気がガラリと変わった。
「お頭ァー!」
見張り役の一人が望遠鏡を覗きながら言った。「鷹の目の奴が来た」と。
そのすぐ後、棺船とレッドフォース号が接近する。綱を下すよりも先に鷹の目がレッドフォース号に飛び移った。見下ろした棺船はすでに船体に固定されている。……いつの間に。シャンクスとベックマンが瞬く。
「お前にしては頻繁な訪問だな、鷹の目」
「用があって来た」
悠然と歩く姿に文句を付けるものはいない。仲間ではない癖に、この男が一体どうしてそんな振る舞いができるのか。それは当然、頭目であるシャンクスが彼の好き勝手を容認しているからだった。
だが、別に喧嘩を売ってはいけないわけではない。ハッ――ベックマンが呆れ顔で笑う。
「そのうちにてめぇは俺が打つ」
「好きにしろ。……だが、お前の弾は俺の刀より遅い。どうやって当てるつもりだ?」
やるなら相手をしよう。鷹の目が背の刀に手をかける。二人の戦闘スタイルは全く違う。銃と刀。対等ではないし、戦ったところで優越はつけ難い。大して意味のない戦いになるだろう。だから挑発には乗らない――ベックマンが顔を背ける。ふん――金色の瞳に灯っていた熱い炎が消えていく。「興が削がれた」鷹の目はそう言うと、だんまりを続けているシャンクスに視線を向ける。
「あの娘、俺が送り届けてやろうか」
「……は?」
一体何の話をしているのか。シャンクスが大口を開けて鷹の目を見た。
:
:
自分で動けるようになったので部屋を出た。リハビリを兼ねて食堂に歩いて行くのだ。昼飯を食べるだけだから大丈夫だろう。部屋には書き置きを残してきた。
……おかしい。いつもなら誰かとすれ違うのに。今日は誰とも会わない。誰か来ているの?
甲板に客が来ているとき、大抵はシャンクスとベックマンが対応する。船員は邪魔にならないようにほとんどが船内に入った。
「……は?」
食堂に行くには、その甲板を横切らないといけない。気を揉んでいたら、シャンクスの声がした。怒りの籠った声だった。
「なんだ鷹の目。いきなり来て何を言うかと思えば。どうしてお前があいつのことを口にする」
「何、別に深い意味はない。お前にはいくつか借りがある」
いくつか所じゃねぇだろう。ベックマンは内心毒づく。まったく、お頭は変な奴ばっかりに好かれる。
「借り……? それがどうしてあいつを送る話になる。意味が分からねぇ。あいつは俺たちの仲間だぞ」
「……仲間? お前の目は節穴か。あの娘は一度足りとも、お前らのことを仲間として見ていない。少し見た程度の俺でも分かったことだ」
「っ、てめぇに何が分かる!」
「……話はしたのか」
全身に漲りかけたシャンクスの怒りがぐっと止まる。奥歯を噛み締める横顔を見てベックマンは内心で「痛いところを突かれたな……お頭」と毒づいた。半ばやけくそに「お前には関係のないことだ」シャンクスがそう言おうとしたときだった。
「鷹の目のミホーク。貴方なら、私を海軍本部に送れると?」
三人の視線が一斉に動いた。甲板の上、手すりに肘を置いた女が冷ややかな目で見降ろしている。ゾッとするほどに冷たい眼だった。シャンクスが慌てて腰を上げようとするのを彼女は眼だけで留めた。そんな様子に、ベックマンは目を瞑るしかなかった。……お頭。お前はほんっとうに、馬鹿野郎だ。
鷹の目のミホークは飄々としていた。
「思ったよりも元気そうだな。その分ならまだ継続して潜入を続けるつもりか? それとも、この愚かな男の手綱を握り、船を掌握するか」
揺れる殺気。鷹の目からにじみ出ていく。
「ハッ……馬鹿みたい。貴方が何を語るというの。どうして貴方に私たちのことを言われないといけないの」
「鷹の目、やめろ」
シャンクスの窘める一言は、今、この場では意味をなさない。なんてったって、この問題児二名には常識と言うものが通じないのだから。二人は最初からシャンクスの意見を聞く気がないのだ。だが、そんな中でもベックマンは冷静だった。「借りっていうのは……そういうことか」呟いた独り言。ははは……と笑う。どうやら、うちの頭目はやっぱり愛されているらしい。蔑ろにされているわけではないようだ。それならば、俺がどうこう口を挟むべきではない。
「決まっている。この愚かな男は俺にとって未だ宿敵。こんなところで易々潰させやしない。特に馬鹿は女一人で駄目になるからな」
シャンクスの体が大きく揺れる。そこまで言われてようやく気付いたらしい、うちの頭は。ベックマンはおかしくって笑っていた。
「おい……鷹の目、」
「勘違いするな、シャンクス。借りがあると言っただろう。俺はこう見えて義理堅い」
あぁ知っている――鷹の目は義理堅い男だ。そして辛抱強くもあり、無慈悲でもある。高潔であり、何より友を大切にする。それを知っているからこそ、ベックマンは、他の連中は、奴のこの船における自由を赦していたのだ。
背の『夜』を抜いた鷹の目が切っ先をなまえに向ける。なまえは口を開かなかった。腰のホルダーに手を伸ばし、銃を抜いた。ベックマンが直々に教え、与えた銃だった。
「海賊の真似事はここまでだ。船を降りよ、卑怯者。戦うのなら正々堂々挑んで来い。この俺が黒刀にて沈めてやろう」
光栄だよ――なまえが静かに笑った。
構えたなまえの銃口から弾丸が飛び出していく。幾重もの弾が鷹の目に向かっていった。黒く染まった刀がすべての弾を切り刻む。
「うわ……気持ち悪いくらいに凄いのね」
それは褒めているのか、貶しているのか。……が、そう言うなまえの瞳は爛々としていた。
「待っ、っ~~~~!」
止めに入ろうとしたシャンクスのことも、ベックマンのことも、二人は無視して戦闘を開始した。本来ならば、シャンクスが覇王色の覇気を使ってしまえば一発で済む話だが、それをやったところでまたどこかで同じことが起こるだろう。根本的な解決にはならない。この血気盛んな娘は止まらない。ったく、はぁ~~、面倒な連中だ。ベックマンの目が遠くなっていく。
「船を壊したら、ただじゃ済まさない! 王下七武海を名乗るくらいなら、そんなでっかい刀なくても私に勝ってみなさいよ!」
あぁ……まずい。これは、まずい。「乗るな……鷹の目」ベックマンが叫んだ声が空しく響く。鷹の目は『夜』を背に戻した。そして、胸にある小さな十字架を抜いた。良くも悪くもこの男は素直だ。それじゃなくとも、なまえに乗せられた戦闘は厄介だというのに。
なまえの戦闘スタイルは銃を使ったものだ。センスがあった。だからベックマンが教え、身につけさせた。それと同時に、彼女にあった才能――それは戦況を読み、動かし、支配する力。なまえは戦略にずば抜けて特化した戦闘員だった。ベックマンが試しに軍師の真似事をさせてみたら、あっという間に敵の船を制圧して見せた。それもごくわずかな人数で。なまえの才能には恐ろしいものがあった。
案の定、鷹の目は攻めきれずにいる。どういうわけか、なまえはあの男の剣筋を交わしているのだ。見えているわけではないはずだ。あいつはそこまで強くない。まだ見聞色の覇気で予知をするレベルに達していない。だが、彼女は避けている。
「鷹の目、貴方がシャンクスのことを大切に思っているのはよく分かった」
それは反則だ。俺たち海賊は真っ直ぐに言葉にしないことで守っていることがある。言わないことには理由があるのだ。それをなまえはズケズケと言った。
「私が彼を害そうとするのが気に食わなかったのね。……当然だと思う」
少し離れた位置に立ち、睨み合いを続けたままなまえは続ける。
「でも、よく考えてみて。私は死のうとしたのよ。あの時、本当は貴方に首を切り落として欲しかった。そんな人が、まだここに居たいって、思っていると本気で思ってる?」
煌々していた鷹の目の瞳からゆっくりと熱が冷めていく。
「鷹の目のミホーク。私はこの船を降りたい。でも、この人が降ろしてくれない」
なまえは人差し指でシャンクスを示す。
「っ、なまえ!」
慌てて止めに入ろうとするシャンクスの方をなまえは見ようともしない。鷹の目を見据えたまま、毅然とした態度で言った。……ついに、言ってしまった。
「お願い。私を連れて行って」
ゆっくりと歩みを進めたなまえがいつの間にか鷹の目の目前に立っていた。それを三人が呆然と見ていた。何故か目を離せず、動くことが出来なかった。
「っ、お頭ァ! なまえがいな……あれ?」
そんなときに駆け込んできたホンゴウ。彼が慌てて言った。
「このクソ! 馬鹿野郎が!! お前まだ熱があるって言ってんだろ! 大人しく寝てろ!!」
柵を飛び越えて走り寄ってくるホンゴウに振り返ったなまえ。へにゃりと笑う。
「へへ……ごめん、ホンゴウ。お腹すいちゃってさ」
ずるり、なまえはその場に崩れ落ちていった。

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます