第23話 金色が優しくなぞって

スモーカーさんとたしぎを見送ったすぐ後、たしぎにもらった肌触りのいいショールを掛け直す。……さて、と。二人と話していたら小腹が空いてきた。会場に戻って――――コツン、コツン、コツン。革靴の音がはっきりと聞こえた。聞き慣れた足音。――ようやく、だ。

「なまえ」

真っ直ぐに正面を見る。暗闇に浮かぶシルエット。普段は背にあるはずの『夜』がない。いつもはある、あの帽子も。どうやら彼もお粧ししているらしい。ゆっくりと焦れったく歩み寄ってくる姿を目で追った。スポットライトの光の筋、その前を彼が通る。一瞬だけ浮かんだ姿に息を飲んだ。そのまま彼の歩みは止まらない。

「……どうした?」

目前に立った彼をまじまじと見た。

「あ……う、……ううん」
「…………?」

やばい。格好いい。ただそこに立っているだけなのに、まるで彫刻のようだ。これが素材の力というものなの…………? 美しい美術品がそこにあった。

彼は普段は絶対に着ない服を着ていた。服自体はなんてことはない、よくある形のスーツだ。ジャケットは黒で、シャツは彼らしく紫色。うっすらと入る縦縞の糸が光に反射して光っている。

思わず目が細くなる。……眩しい。顔は言うまでもなく。上から下まで舐めるように視線を送った。革靴も黒色。縁取りは金色でこだわりを感じる。……ブーツ以外の靴を履いているところ見たのはじめて……踝くるぶし出してるの最高……。

感極まって口元を手で覆う。崩れそうになるところ、頑張って踏ん張った。呼吸が荒くなったのは彼の色気に当てられただけで、決して私が変態だからという訳ではない。…………はず。

「…………」

真面な言葉が返ってこないことに腹を立てることもなく、彼はいつもの通り、無言で触れる距離まで近付いてくる。肩に掛かるショールに手をかけて、無意識に握り締めていた私の手からやんわりと奪い取った。

「え……あ……」

これ取られると寒いんだけど……喉まで出かかった言葉が出る間もなく、ミホークが動く。ジャケットの袖から腕を抜いて、それをそのまま私の肩に。ふわっと一瞬にしてミホークの香りに包まれた。きゅんとなるのは絶対に不可避。自然と背筋が伸びた。見上げたミホークが満足そうに頷いて嬉しそうに笑む。

「似合っているな……とても」
「っ、」

あぁ、もう何だって良いです、神様。私は今この瞬間、この場に立つことが出来て幸せです。ありがとうございます……!

「上から下まで、まるで誂えたように、俺と同じだな」

手を取られ、耳元で囁かれる甘い声に俯く。頬が染まった。そのまま、「ああ゛~~!!!!」と叫びたい衝動に駆られたが我慢した。…………死ぬ。供給が多すぎて、…………死ぬ。頭が追いつかない。何とか息をして呼吸を整える。再び見上げた視線の先にあったのは、彼のネクタイだった。見た瞬間に視界が滲む。

ドレスを選ぶときに考えたのは貴方のことだったから、貴方も私のことを考えて選んでくれたんだとしたら、嬉しいなぁって、そう思っていた。ミホークの首に飾られている深緑が「お前のことを想って選んだ」と、聞こえもしない言葉を吐いている。その色は私の髪の色。彼もまた、私の色に染まっていた。貴方に初めて心を鷲掴みにされてから、私の心は未だに掴まれたまま。……離れるなんてこと、彼は許さない。それがどうしようもなく嬉しくって堪らない。

「…………綺麗だ」
「ミホークも。すっごく格好いい…………」

身を屈めて寄せてくる姿に心臓が囃はやし立てる。このままじゃこっちの身が持たない。思わず腕を伸ばして、彼の胸を押した。……ちょっと、ちょっとだけ待って欲しい。切実に。

グッと止まる。…………が、一瞬だけだった。ミホークは私の手頸を掴んで「いいのか……? ますます堕としたくなるだけだぞ」遠慮なく篭絡を開始した。

「い……いや、そんなつもりじゃなくって」

もう顔を見ることも出来ない。

「…………熱いな」
「ぅ……うぅ…………」
「…………ふ、」
「…………いじわる」

柔らかな微笑が影と共に振ってくる。「こっちを見てくれ」という言葉にふいっと首を振る。のろのろと後ずさりをしながら、熱烈なアプローチをどうにかこうにか交わし続けた。全身が馬鹿みたいに熱い。

「あの……ごめん、っ、その……恥ずかしいからさ、ちょっと待って」
「…………嫌だ」
「っ、」
「なまえ、顔を見せてくれ。もっとよく見たい」

渋々顔を上げる。待っていたとばかりにミホークの手の平が頬を優しく滑る。

「俺のためと自惚れてもいいか」

ひゅっ――――と息を飲んだのは、ミホークのこちらを見る顔が本当に嬉しそうだったからだ。その瞳は蕩けるように緩んでいて、私を……私だけをじっと見ていた。

「…………うん」

ミホークの呼吸が深く重い。腹の底から深く吸い込む音が私の耳に響く。これは――――

「…………いいよ。我慢しなくて」
「…………っ、」

ミホークが精一杯の優しさで私に触れる。壊してしまわないように、崩してしまわないように。でも、彼の口付けはとても熱い。その口から告げられなくとも深い愛情を感じる。全身が私を求めて口付ける度に、愛を囁かれているようだった。

「っ、ふ…………」
「あっ、ん…………」
「…………」
「ねぇ、ミホーク。もしかしてちょっと酔ってる?」

酸素が欲しくて彼の頬を手の平で押し止める。噛みつこうとする唇をなんとか引き剥がした。

「…………そんなつもりはないが」
「ん、そう? …………なんかいつもより激し……んん……、いから」
「なまえ」
「…………ん?」

急に力が抜けたミホークのことを見上げる。目を伏せた後、彼は口を閉じた。そして、静かに言う。

「誕生日おめでとう」

――――誕生日って、こんな……こんなに幸せなものだったんだ。今まで誰にお祝いしてもらっても、拭えなかった灰色の記憶が視界と共に揺らいだ。透明な水彩絵の具を被せるように、ミホークの金色が優しくなぞって彩っていく。記憶が、思い出が、きらきらと光りながら、私が生まれてきたことが心から嬉しいのだと、彼はそう言ってくれていた。

「……ありがとう」

目尻から涙が落ちていく。

「っ、…………」

ぽろぽろと。

「…………泣かせるつもりはなかったんだが」

ミホークは困ったように笑って、私の涙を優しく拭ってくれた。その指を掴む。

「これはね、嬉しくって泣いているから。……だから、いいでしょ?」

私は、今幸せだ。だから、それでいいでしょう?

ミホークがそっと口付ける。それ以上の言葉はいらない。そう言われているようで、私も素直に応じた。何度も角度を変えて行われる深い口付けは幸せそのもの。最高の誕生日プレゼントだった。

長い長い口付けの後は、微睡みの後に目を開けたような感覚だった。ゆるりと笑うミホークと手を繋ぐ。指を絡めて体を寄せて「大好き」って言う。ミホークの手が腰に回って、ぐっと体が引かれた。

「……待って。まだ話があるから」

続きを求める彼をやんわりと制した。む、と口先を尖らせる姿に小さく笑う。

「はい。私からもプレゼント」

肌身離さずに持っていた一枚の紙。彼のためにと切り取ったそれを差し出す。

「……できたのか」
「うん、今日取ってきたよ」

それは私のビブルカードだった。

「もう一つは?」
「ちゃんとここに入っているよ」

そう言って、胸にぶら下がっている十字架のネックレスを揺らす。私のためにと、細く美しく作られた十字架の柄の中にくるっと丸めて納めている。満足げに頷いたミホークが今し方受け取ったビブルカード――四つ折りにされたそれを広げようと指を掛けた。

「……待って。紙は広げずにいてくれたら嬉しいなぁ……なんて?」
「……なぜだ?」
「いいから、すぐしまって、はい、しまって!」

――フン。納得はしていないらしいが、今は言うことを聞いてくれるらしい。ミホークも私と同じように十字架の柄の中に納めた。

「もしものときに、これを見て」
「もしも……」
「……ないことを願ってるけど。きっと役に立つと思うから」
「…………」
「……いい?」
「…………」
「……分かった?」
「…………分かった」

ジトリとした目で見上げ続けていたら、ミホークが渋々頷いた。彼は約束を守る人だからこれで一安心だ。

ジロリとこちらを見る瞳に「ありがとう」と言う。

「じゃあ部屋に戻る?」
「主役がいいのか?」

そう言いながらも、ミホークは嬉しそうだ。さっきは無理にでも連れて行こうとしていた癖に。ハハハッ――笑った後に、頷く。

センゴクさんには好きにしていいって言われていたから、途中で抜けたところで何も言われないだろう。

こういうときのミホークは機敏だ。そうと決まれば……さっさと先行して歩き出した後ろ姿に堪らず笑う。

ミホーク、待ってよ――追いかけようと足を一歩踏み出した、時だった。

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