第7話 不思議な気持ち

「ん、……」

開かない目を必死に開こうとすると、詰まっていた鼻がズズズッと音を立てた。目をこするとしっとりと濡れていた。……あれ? 私泣いてた? こすった手の甲を見たらうっすらとそこが光っていた。

夢を見た気がする。すごく懐かしい夢。なんとなくだけど暖かな夢で、きっと昔一緒に過ごしていた人たちのことを見たんだと思う。皆元気にしているかな。懐かしい。……本当に。あの時は毎日が賑やかで、今と比べたらそりゃあもう、うっとおしいぐらいだった。でも、今は違う。なんだか少し寂しいな、なんて。開いては閉じてを繰り返しながらぼやけた視界でそんなことを思う。徐々にはっきりとしてきた視界。室内に差し込んだ光で明るくなっていた。……もう朝だ。起きないと。今一度気合いを入れて目を開く。気だるい体に鞭を打ったつもりだった。でも、そんなことはその後視界に入ってきたものによってすぐに吹っ飛でいった。

……あれ?

いつものベッドの上に横になっていた。いつもより端に寄っている。目の前にあるのは白いシャツ。……を着た知らない背中。それもかなり大きい。これはどう見ても……、いや、ない。それはない。すべてをなかったことにするべく、目を閉じた。そうして、再び目を開く。……ある。まだある。今一度目を閉じた。そして考える。んー……やっぱこれ男の人の背中だよね。

そのとき、ギシリと軋んだベッド。何度かに分けて振動が伝わってきて、すぐに収まる。……おそらく、寝返りを打ったのだろう。つまり、今隣にいる人は体勢を変えたということで、上を向いたかもしれないし、または……、こちらを向いているかもしれない。

……どうしよう。

これが夢の中かどうか触って確かめるっていう手もありだ。よし、そうしよう。それがいい。だいたい男気の一つもなかった私のベッドに男の人がいるわけがないんだから、これは夢だ。それで息を潜めて目を開いたらそこにはかなり見覚えのある瞳があった。

「っ、ひ!」

まるで怪物か何かに見つかって喰われる! その瞬間に出る悲鳴のような声が出る。二つの金色の瞳はジッと私を見ていた。唇は一文字に結ばれたまま、彼は黙ったままこちらを見ていた。

一度瞬いた次の瞬間、頭の上を影が通ってぽんと軽い衝撃。そのままくしゃくしゃっと頭を撫でられた。あっけにとられたまま目を見開いていたら、そう怖がってくれるなと囁くような声。ハッ、として視線を動かすと彼と目が合う。眉を寄せてほんの少し口角を上げて笑うその姿はなんだか寂しそうに見えて、それはまるでさっきまでの私を見ているようだった。

彼はその後すぐに体を起こした。すっかり覚めてしまった目でその動作を追った。気だるそうに前髪をかき上げて、片腕をついている彼の隣に並ぶようにして体を起こす。緊張してたからかな、いつもよりも体がだるい。隣を見るとぼーっと遠くを見ている彼が目に映る。もしかしたら朝はあまり強くないのかもしれない。

「……おはようございます」
「あぁ」

ふぅ、と肩を降ろしてようやく昨日のことを思い出した。昨日、この隣にいる彼、ミホークさんと知り合って、台風が来ていたから泊まっていってもらったんだった。

するりとシーツが擦れて、ミホークさんがベッドの反対側から足を降ろした。私もそろそろ起きよう。体からシーツを剥がすとひんやりとした空気が体を刺激する。4月の朝はまだ寒い。軽い身震いをした後、ミホークさんとは反対の方向へ向いてベットから足を下ろす。なんだろう……始めこそ、吃驚して悲鳴を上げてしまったけれど、今はなんか落ち着いている。まだ出会って間もないというのに、こうして床をともにして、自分で思っていたよりも私は尻軽女だったのかもしれないとそう思わざる得なかった。

もちろん、彼が信頼できる人だとそう思ったから泊まっていってもらったんだけど。それでも、やっぱり昨日の私はどうかしていた。後ろを振り返るといつの間にか身支度を終えていた彼が背中を向けて立っていた。もしかして私のことを待っているのだろうか? 慌てて羽織るものを取り出して駆け寄る。改めて間近で見て思うけど、やっぱり大きな背中。腕もすごい太いし。あの大きな大剣をああも軽々と振るんだから当然なんだろうけど。それにしては体の線が細い。不思議な人。

触れてみたい――

昨日彼の腕の中に抱かれたとき感じた包み込まれるような暖かさ。見た目とは反した優しい力加減。間近にある男の人の気配に胸が高鳴った。はっきりと、彼のことを男の人として意識していた。それは今まで接したどの男の人とも違っていて、なぜだかすごくどきどきした。自然に伸びた手の平がそっと彼の背中に触れる。

ほんの少し顔を横に向けて、どうした? と小さな声で言った彼は横目で私のことをジッと見ていた。触れた背中は暖かかった。込み上げてくるこの感情をどうしたらいいのか、私には分からなかった。これ以上、どうやってこの気持ちを整理したらいいのか分からない。

「いいえ、何でも……」

そう言って、そうかと前を向いて扉を開く彼の後に続く。もやもやとした感情を胸にしまい込んで、今は目の前にあることに集中しようと気持ちを切り替えた。ミホークさんには席についてもらって、朝食を準備する。

「パンでよかったですか?」
「あぁ」

机の上にお皿を並べて、一緒にご飯を食べた。相変わらずミホークさんは口数が少ない。もともとそういう人かもしれないけれど、でも少し不安になる。私、何か気を悪くするようなこと言っていないかな。大丈夫かな。

朝食を食べ終えて、コーヒーを出して、話題も尽きた。いや、聞きたいことも聞いて欲しいことも山ほどある。でも、出会って間もないのに何から何まで聞いたりするのはよくないと思うし、私ばかり話すのもなんだかよくない気がする。あぁもう、さっきからそんなことばっかり考えているな、私。

自分の情けなさを感じながらカップに手を伸ばした時だった。

「そろそろ帰る」
「え、もうですか?」

カチャン、とカップを受け皿の上に置いて、目の前に座るミホークさんを見た。そりゃぁいつかは必ず別れる時が来るって分かってはいたけれど。でも、分かっていても寂しく感じてしまう。彼と過ごした時間はゆっくり感じられて、心が落ち着いて。2人でいるこの時間がなくなってしまうのが惜しくて。

「長居しすぎた」
「……そんな! ミホークさんとこうしてお話できてよかったです」

とんでもないですと左右に首を振りながら顔を上げると、視線が交わる。逸らすことなくジッと見つめたまま言った。

「まだしばらくこの島にいるんですか?」
「いや、今日の夜にでも出航する」
「そう……ですか。せっかく仲良くなれたのに残念です」
「邪魔したな」

視線を下に落とした後、またミホークさんを見てにっこりと笑う。

「いいえ。とても楽しかったです」

その後、美味かったとカップを受け皿に置いたミホークさんは、椅子から立ち上がり、畳んであったシャツとコートを着て、帽子をかぶる。玄関へ向かうミホークさんの後ろついて歩きながら、これで終わりだなんてと目の前の背中を見上げながら思う。

去り際、目を合わせてくれたミホークさんは一度瞬いてほんの少しうなづいた。それに返すようにして私も頷いて小さく手を振る。コートを翻して歩きだしたミホークさんの姿が少しずつ遠ざかっていった。なんとなくその姿を見つめていたらふいに彼が振り返った。

一度足を止めて、帽子の柄を片手で支えて振り返った彼は何かを言うわけでもなくまた前を振り向こうとする。そのとき思った。今しかない、と。

「ミホークさん! もしよかったら出航する前に酒場に顔を出して下さい! マスター喜ぶと思いますっ!」

大きく手を振りながら叫んだ。そうしたら今一度足を止めた彼がこちらを見てくれた。もう遠かったからどんな表情をしているのか分からなかったけれど、彼も今の私みたいに笑ってくれていたらいいな、とそう思う。

再び歩きだした彼はひらひらと後ろ手に手を振ってくれた。それは不明瞭で不確かな返事だったけど私の心を高鳴らせるには充分だった。

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