第10話 紅玉のレスティ

午後二時――新世界にある小さな島。その島のメイン通りをなまえは歩いていた。いつも通りバイトに行くために酒場を目指している。……いつも通り、……いや。ひとつだけいつもとは違うところがあった。それは――――

「こういうことになるのか……」

なまえがぼそりと呟く。なまえが歩いた後は街道に沿って立っている人、という人がなまえの方を見てひそひそと耳打ち話をしていた。それはいつも通りの日常では起こらなかったことで、その理由はなまえの隣に奇妙な連れがいたせいだった。特別な連れだ。

なまえの独り言に「どうした?」と視線を送るその連れの男はなまえが初めて出会った時と変わらない凛とした表情で歩いていた。まぁ素知らぬ顔ともいう。なまえはよくもまぁこの雰囲気の中でそんな顔ができるものだと呆れを通り越して感心していた。彼ほどの者になればこんなことは些細な事柄なのだろうか。

「……何でもないです」

なまえはそう言って首を振ると再び前を向いた。

彼が有名な海賊であることは知っていたけれど、今の状況から考えて、どちらかと言えばその名の知名度のせいよりも見た目だとか……雰囲気の影響の方が大きい気が……ていうか、こんなでっかい刀背負って歩いている人が来たら……ね。

普通に気になる。目が自然と追う。もしも人目が嫌だというなら格好を変えればいい。でもこの鷹の目という男はそんなことはせずに凛とした様子で淡々と歩いていた。

それは一枚の絵を見ているようで。とても絵になる人だった。背負っている刀はもちろん、頭に置く帽子も帽子からふわりと垂れている羽根飾りも蓄えている髭も、真っ黒なコートに真っ赤なシャツも。几帳面なのかと思えば正面は開きっぱなし。海賊という立場を逸脱し過ぎていないその格好はほんとうに――――素敵、その一言に尽きた。……ちょっと贔屓目で見すぎているところはあるかもしれないけど、となまえは口元を緩めながら彼の方を盗み見る。

そして、よくよく周囲を見回してみれば、彼を見る目は何も不審なものを見て睨みつけているわけではないようだった。むしろ”鷹の目が来ていたのか”とちょっとした親戚が来訪したようなそんな雰囲気だった。なまえから見ればこの島の人たちは彼を受け入れているように見えた。

初めこそ警戒しているのだろうと思いこんでいたなまえもそのことに気づいてからは少し荷が降りたような表情をしていた。それでも周囲に見られているという事実は変わらず。なまえは慣れていないこともあって居心地が悪かった。彼が受け入れられようが受け入れられまいが、どっちに転んでもこうなるのなら、やはり一人で来たほうが良かった、と思いながら唇を噛みしめる。そしてそのときのことを思い起こす。

出かけ際に「バイト先に行くぐらい一人で大丈夫」と言ってミホークの同行を軽く止めた。しかしミホークはそれをよしとはしなかった。もう少しその理由を問いつめても良かったかもしれない。なまえは話題の渦中にいる男を見上げながらそう思った。

……とまあそういうわけで、この真っ昼間のメイン通りではだいたいの者が同じ行動をしていた。なまえ達の脇を通り過ぎながら目に留まった飛び抜けて大きな十字架を見て「あれはなんだ?」と首を傾げ、それを背負うミホークを見て「あぁ鷹の目か」と頷き、その隣を歩くなまえを見て「あの娘は誰だ? どっかで見たことがある気がするんだが……」と自身の記憶を遡っていくのだ。

そして最終的に「あぁそうだ。酒場の嬢ちゃんだ」と答えに行き着く。おかげでなまえの知名度が底上がりだった。なまえをより深く知っている者はおどおどと恐れながらも「どうしたんだい」と声をかけてなまえのことを気遣っていた。その度になまえは「大丈夫ですから」と両手を左右に振って愛想笑いとはバレないように愛想笑いを浮かべていく。その器用さは日々のバイトで培った賜物だった。

その噂のなまえが噂の酒場に到着する。なまえの数歩後ろで足を止めたミホークが両腕を組んで立っていた。なまえが一体どこまで着いてくる気なのだろうか、と気を揉んでいたその時だった。

「今日も時間ちょうどに出勤ね」

線の細い声がなまえの耳に届く。ついでなまえが振り返ると「いつの間に護衛を雇ったの?」とそこにはにっこりと笑っている女性が立っていた。肩の下まであるブロンドの髪が風に靡いてきらきらと光っている。その人は揺れる髪を片手で押さえながらなまえを見ていた。その眼差しはとても愛おしい者を見つめるものだった。

この島でここまで美しいブロンドの髪を持つ女は一人しかいない。辺りにできていた人だかりも彼女に気づいて今度は彼女の噂で持ちきりになる。

「レスティ!」

なまえは目を輝かせて彼女の名前を呼んだ。そして駆け出していく。なまえが彼女を見つめる目もまた、愛しい者を見つめるもので、さらにそれには敬う様子も加わっていた。なまえが彼女の前に立つ。彼女はなまえの背中に腕を回してなまえを引き寄せ抱きしめた。なまえもまた彼女の背中に手を回した。数十秒、再会を祝うようにして続けられた包容が終わると腕をほどきながら彼女が言う。

「久しぶりね、なまえ」
「ほんと久しぶり! もしかして帰って来たばかり?」
「そうなの。今帰って来たところ。これからマスターに挨拶しようと思ってね」
「じゃあまたしばらくこの町にいる?」

ぐいぐいと食い気味で質問を畳みかけるなまえの様子を微笑ましく見返しながらレスティが答える。

「えぇ。また働かせてもらうわ」

彼女が頷き、にこり笑うとなまえは「やった!」と小さく拳を握った。レスティはなまえの頭を手の平を滑らせるようにして優しく撫でる。姉が妹をあやすように。

「彼は?」

柔らかな表情が一変、レスティの顔から笑顔が消える。レスティは目を細め、視線は二人とは少し離れた位置に立つミホークの方に向けられていた。彼女に視線につられるようにしてなまえもまた彼を見た。

「ミホークさん」
「どうしてここに?」
「まぁ……いろいろとあってね」

なまえは昨夜のことが脳裏をかすめたがそれをすぐに消し去った。そして今朝のやり取りを思い出して眉を寄せる。

「…………そう」

なまえの様子を見ながらレスティはミホークの方に足を進めた。ミホークはそこで初めてレスティの方に顔を向けた。いや――顔すら向けてはいなかった。ほんの少し瞳を動かした。それを見たレスティが小さなため息をひとつ吐き出した。

「元気そうね」

ミホークがようやく顔を動かす。彼の瞳がレスティの姿を捉えて数秒、彼が口を開く。

「こっちに覚えはないが」
「……でしょうね。まぁ別にいいけど。一応こっちは命を助けてもらってるし。それにこれでも知り合いのつもりなんだけど」

ますます覚えがない、とミホークが眉を寄せる。

「分からないのも無理はないかもね。酒場で歌うときとは格好が違うし」

レスティが腹に手を当てて軽く声を出す。何かの曲の歌い出しを軽く口ずさめば、ミホークの眉が元の位置に戻った。

「…………あの女か」
「あの――って。ほんと相変わらず他人のことはそっちのけね」

「ミホークさん、失礼ですよ。レスティは島一番の歌い手なんですから」

いつの間にかレスティの隣まで来ていたなまえが隣に同じくもう、と口を結んだ。

「なまえ、そんな大げさなものじゃないって」
「何言ってるの! 紅玉のレスティと言えばここら辺の海域じゃ結構有名でしょ」
「はは、ありがと」

「それはそうと、二人はどういう知り合いなの?」
「え、何気になるの?」
「いや別に……気になって仕方がないってわけじゃないけど」

なまえの返答はとても歯切れの悪いものだった。それを聞いたレスティは心底楽しいというように口を閉じたまま鼻を鳴らしながら笑う。

「…………ふふふ、そうねぇ」

レスティはなまえが可愛くて仕方がないようだった。

「長い話になるわ。立ち話じゃあれだし、中に入りましょう」
「いいの!!?」
「ええもちろん。なまえのためなら」

レスティはそう言ってさぁさぁ、となまえの背中を押した。なまえは嬉しそうに笑いながら酒場の中へと入っていく。なまえの背中を流し見ながらレスティは話の中心人物に目を向けた。

「貴方も」
「…………」

ミホークは心底嫌そうに眉を寄せ、顔を背けた。黙ったまま酒場の入り口付近の壁に背を預け目を閉じる。自身の腰に両手を置いたレスティが言う。

「まさかそこに居座るつもり?」
「…………」
「あのね、ここは酒場なの。お客は海賊で、貴方はその海賊を取り締まる立場にいるんでしょ。営業妨害も甚だしい」
「…………俺の勝手だ」

「…………シャンクスに会ったわ」
「なぜそれを俺に言う。俺はもう奴とは関わらない」
「なんでそう割り切れるの。貴方達は」
「奴とはもう戦えない」
「それでも、貴方とあの人は……」
「それ以上はよせ」
「……分かったわ。よして欲しいなら入って」

チ、と小さな舌打ちが一回。煩わしいとレスティを睨みつけたミホークが背中を浮かせた。組んでいた腕を解いて足を踏み出した。レスティが急かすように首を動かして中に入るように促す。すれ違い様にミホークがレスティを睨みつけたがレスティはけろりとした様子で彼を見上げて、にんまりと悪びれた表情で見返すだけだった。

カランッ――

一足先に酒場の中に入ったなまえは普段通り開店に向けて準備を進めているであろうマスターを探した。ぱっと見たところには見あたらない。裏で下ごしらえをしているのかもしれないとなまえは厨房へ足を運んだ。

思った通り、なまえが厨房に一歩足を踏み入れたところからマスターの背中が見えた。リズムを刻むように揺れているところからして鼻歌でも歌いながらジャガイモの皮を向いているのだろう。なまえはにっこりと口元を緩ませながらマスターのことを呼ぶ。

「マスター!」

振り返ってなまえの姿をしっかりと見たマスターに向かってなまえが「来たよ」と続けて言う。「ん、あぁ来たか来たか」と手に持っていたジャガイモと包丁を机の上に置いたマスターが水道の蛇口をひねって水を出した。

「今日の仕込みは……そうだな、タマネギがまだだから切ってくれ」

手を洗って蛇口を閉めたマスターが「ほらほら」と軽く手をこまねいて急かす。いつもなら「はいはいお任せを」と答えるなまえも今日ばかりは首を横に振る。そんななまえの様子に心底不思議そうに首を傾げたマスターが「どうした?」と言った。

「あのね、実はね」

カランカラン――

店のベルが鳴った。

「いっけね。俺CLOSEにするの忘れてたんじゃねぇか? なまえちょっと見てきてくれ。客ならまだ開店してないっ……て……」

コツコツコツとヒールの音が静かな店内で鳴って、その音は微かだったけれど厨房の中まで聞こえてきていた。あまり聞き慣れない音に「女の客は珍しい」と言いたげにきょろきょろと目を動かしたマスターとにたにたと笑うなまえ。なまえの顔を見たマスターがようやくその異変に気がついた。

「おいおいまさか!」
「うんそのまさか。帰って来たんだよ」

「まじかよ!」とマスターが足を進めたそのとき――だんだんと近づいて来ていたヒールの音が止んで、ひょっこりと現れた女が一人。彼女は片手を振りながら「久しぶり」と言った。

「レスティ!」

「あぁもうお前って奴は!」そう言いながら駆け寄ってきたマスターが彼女のことをぎゅ、と抱きしめる。その包容を受け入れたレスティはふふと笑ってマスターの背中に手を回しながら言った。

「ただいま」
「……おかえり」

「ごめんね。手紙のひとつも出さなくて」
「かまわないさ。そんなことお前には似合わないだろうから」

「……失礼ね」
「こうやって突然帰ってくるのが一番お前らしい」

「確かにそうね」

二人はしばらくの間見つめ合ったあと今一度互いの無事を確かめ合うようにして抱き合った。そして再び目線を合わせると吸い込まれるようにして互いの唇に唇を重ね……

「……あの~~ごめん。私気まずい」

二人にすっかり存在を忘れられていたなまえが申し訳なさそうに片手を上げながら言った。すると「あ」と声を漏らした二人がなまえの方を見る。

「悪いな、つい」
「ごめんなまえ」

「気持ちはすっごい分かる」

なまえが力強く頷くと二人が幸せそうに笑った。

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