第15話 レスティの過去

「それでな、2人が出て行ったあとになまえのやつ大泣きしちまって」
「ちょ、マスター!」
「もう止まらねぇのなんのって」
「それは言わなくてもいいでしょ!」
「いいじゃねぇか。本当のことだろ?」

それが本当のことだとしてもだ、そんな昔の出来事を掘り返されて、しかも内容が泣きまくったとか。今の私のことしか知らないミホークさんには知られなくないに決まっているじゃない。なまえは唇をきゅと結んで楽しそうに笑うマスターのことを睨みつけた。そうこうしているうちにレスティまで会話に入ってきた。

「あんまり泣くものだから、私お休みだったのに呼び出されたのよ」

ね? と恨めしげな目で見つめてくるなまえに対して柔らかに笑い返したレスティ。それをされてはなまえもお手上げだった。なまえは肩を落として、もうからかわないでよと言う。

「あら、どうして拗ねるの」
「……なんか、恥ずかしいの!」

「どうして恥ずかしがる?」

目を見開いたのはレスティだけじゃない、口を開きかけていたマスターも、数十秒前までは頬を膨らませ唇を尖らせていたなまえも、3人が吃驚仰天とミホークの方に顔を向けていた。

「え、あ……うん、その……」

歯切れ悪く返すなまえにミホークは首を傾げた。

「人と別れるときに涙を流すのはおかしいことではない」

それを貴方が言っちゃうんだ。レスティとマスターはまた両目をまん丸に見開いて、……というか、終始、なまえとミホークのやりとりを呆気に取られた表情で見ていた。

「…………そう改まって言われると確かにそうかもしれないけど」
「そのときのなまえの年を考えれば、それは乗り越えるべき壁だったんだろう」
「それどういう……」
「誰しもに転機がある。転機に壁はつきものだ」
「んん?」
「なまえ、そのときお前は何を思って涙した」

ミホークがそう言うと、なまえは思い詰めたように黙り込んでしまった。しんとした店内にはカチカチと時計の針が時間を刻む音が鳴る。数十秒沈黙が続いたところで、マスターが助け船を出そうと唇をほんの少し動かしたとき、言葉を発するよりも早く、ミホークの鋭い視線がマスターを射いた。レスティもそれを感じとってミホークの方を見た。2人は手を出すなというようにどっしりと構えているミホークを見つめたあと、互いに顔を合わせ、目配せをし合って、唇を緩めるのだった。

余計なことはするなとミホークにそう言われてしまえば、いや、言われてはいないのだが、そう牽制されてしまってはどうしようもない。こんこんと何かを考えているなまえを待つしかなかった。

ミホークの質問は的を射ていたとは思うけれども、なまえにはまだ早いものだったんではないだろうか。ぼんやりとマグカップを見つめるなまえを見ながらレスティはそう思った。

大人になってしまった大人からすれば、つまり別れは人を成長させるだとか、失ってから気づくその人の大切さ、だとか。彼が言いたかったことはそういうものなんだろうと予想はつく。きっと、ありきたりな言葉じゃなくて、彼の、彼自身の言葉で伝えてあげたかったのだろう。

それは、裏を返せば彼にとってなまえはそういう存在なんだと、つまりそういうことになる。わざわざ遠回りをしてでも自分の言葉で諭す相手だということに。

見た目にすっかり騙されたわ。レスティは一息吐き出した。横目で見た鷹の目は相変わらず鋭い視線を向けてくるけれど、その裏はとても情熱的で、とても思いやりのある人なのだ。あと、スマートそうに見えて実は不器用な人だということも分かった。分かってしまえばこの視線もなんだか愛おしく思えてしまう。あぁそう貴方もなまえが大切なのね、と。

ううん――咳払いをひとつ、レスティが落とした。ミホークの視線を振り切って彼女が言う。

「ミホーク。私の可愛い妹にこれ以上の意地悪は見過ごせないわ」
「…………」

レスティの言葉に返事を返すこともなく、口を閉ざしたままのミホーク。

「いい? 今度は私のお話をしようと思うんだけど」

数秒の睨み合いの末に外された視線。レスティはどうも、と一言返してなまえに声をかけた。

「ねぇなまえ」
「ん?」

気分転換にマスターが入れ直してくれた2杯目を口に運びながら、なまえはレスティの方を見やった。なまえの両眼を真っ直ぐに見つめたレスティが言う。

「いつだって分からないことはあるのよ」
「…………そうかな」
「よくあることよ」
「でも、私……自分のことなのに。それなのに、あのときになんで泣いたのかって聞かれて、すぐに答えられなかった」
「…………そう」
「なんていうか、なんか、……こう。ただ寂しかったとかじゃなかった気がして」
「……いいのよ。すぐに分からなくても」
「え?」
「必ず分かる時がくるから」
「……そうなの?」
「えぇそうよ。だから、考えても自分じゃ分からないときは、人に聞いてもらったり、人の話を聞いたりするの」
「それで分かるようになるの?」
「えぇ。一度じゃ無理かも知れないけれど、いつかは分かるようになるから」
「……そっか」
「だから今度は私のお話をしようと思うんだけど、どう?」
「レスティのお話?」
「えぇ。私がここに来るまでのお話。なまえは知らないでしょう?」

もう大丈夫だ。レスティがなまえの顔を見てにっこりと笑った。もうすっかりいつものなまえに戻っていた。「知りたい!」と声を大きくして答えたなまえが端から見ていてもよく分かる程わくわくと胸を高鳴らせていた。

「じゃあ話すわね」

ゆっくりと頷いたなまえを目に留めた後、始まりは――レスティが静かに口を開く。物語の行く末を知っているマスターがまったくお節介な女だとちいさく笑った。視線が合ったレスティがそれに微笑み返して、つらつらと物語を始めたのだった。

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レスティには二つ名がある。紅玉のレスティ――そこにある「紅玉」という名はステージの上で真っ赤なドレスを着て歌う玉のように美しい女ということからつけられたものだった。

それは、なまえが酒場にくる6年も前のこと――

島々を転々としていた彼女は海賊の船に乗っていた。決して好きで乗っていたわけではない。

もともと彼女が住んでいた島は、運悪く白髭のような良心的ではない海賊に支配されていた。その海賊が来る度に島のものは取り上げられていった。

金、美術品、武器、食料、そして、女――

レスティは島でも有名な歌姫で、島の人々の心を歌で癒していた。

ある日、広場でレスティがひっそりと鼻歌を歌うように小さな小さなコンサートをしているときだった。その海賊団が現れた。彼女の歌は町の皆の希望だった。生きる力を与えてくれる彼女の歌が町を元気づけていた。

彼女は町の人々によってなんとか守られていたけれど、どんなに頑張っても所詮は一般人の集まり。いつかはバレることは予想できていた。それでも彼女は歌を歌い続け、そしてその存在を知られてしまった。

「うぃ~っぷ。なんだなんだ~? このへんぴな町にまだこんな上玉がいやがったのか」
「やめて! 手を離して!」
「こりゃぁ船長が喜ぶぞ」
「いや、離して!!」

女一人の抵抗が何になるのだろうか。今まで散々抵抗して痛めつけられていた町の民の心はすっかり折れてしまっていた。誰一人手を差し伸べる者はおらず、皆ただ顔を伏せて小さな声で懺悔を繰り返すばかりだった。そして彼女は呆気なく姿を消した。

「お嬢さん、歌が上手いらしいな?」

海賊団の船長はレスティの歌唱力に目をつけた。その歌を聴いた船員から「あれは別格だ」と聞いたのだ。それを利用しない手はない。そう考えたのだった。

「今日からお前はこの俺のもの、海賊団の所有物だ」

両腕、両足を縄で縛り上げられたレスティは膝を折って地べたに這い蹲っていた。レスティを見定めるようにして四方から視線を這わせていく船長が満足そうに頷く。

彼女は心だけは折れてはなるものか、と頬を冷たい床に押し付けながらも目だけは開いて、その船長を睨みつけた。

「勇ましい女は嫌いじゃない」
「…………」
「お前には海賊団のために歌ってもらう」

……誰が、レスティは口には出さなかったが目を閉じてそれを拒否した。パチン――指が鳴ると傍にいた他の連中がレスティの体を抱えてその場に膝立ちさせた。俯いたままのレスティに船長が言う。

「……そう来るだろうと思っていた。まぁ聞け、お前にとっても悪い話じゃない」

それでもレスティは顔を上げなかった。

「もしもお前が俺らのために歌うっていうんなら、俺たちはお前の故郷から手を引くことにする」

当然、その言葉を聞いたレスティは顔を上げて目の前に立つ船長を見上げた。呆気に取られたまま、口を開いているレスティを見た彼はにんまりと悪びれた笑みを浮かべた。それを見た瞬間、レスティは彼が私の承諾を確信したと理解した。まだ私は答えてもいないというのに、彼は私をものにしたと思ったのだ。

「っ、」

でも悔しいことにその通りだった。レスティは下唇を噛みしめ、両目を閉じた。背後に回した両手をキツく、血が滲む程に握りしめて怒りで我を見失わないように、なんとか冷静を保った。そして、ゆっくりと縦に一回頭を振ってみせた。

「……それはYESってことか?」

悔しい。まるで”モノ”にされた気分だ。他に選択肢はないじゃない。

「分からねぇなァ。ちゃんと口に出して言ってくれないと。口はあるんだろう?」

ハハッ――当然あるよなぁ。お前は歌を歌うんだから。船長の言動すべてが憎らしい。でも私だってバカじゃない。レスティは怒りで震える唇を開いて淡々と言った。

「……分かりました」

何かのため――そう思えた方が人は強くなれる。その機会を与えたことがこの男の敗因だったと今ではそう思う。

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話の途中、その当時のことを思い出したせいで自分でも気付かないうちに震えていたらしい。大丈夫? となまえの手が腕に触れたそのとき、我に返った。

当時、奴らの船の中にたったひとりでいた私は本当に心細くて、怖くて。それでも負けたくないとなんでも利用した。思ってもいないことを口にして、海賊団の一味に取り入り、信用を得て縄を解いてもらった。

逃げる選択肢を頭の中から消し去って誠実に仕事をこなした。故郷のため、身の安全のためだった。例えその裏で何が行われていようが、黙ってやり過ごすしかなかった。他の人の不幸を私は見なかったことにしてしまった。

「あ、……うんごめん。大丈夫だから」

それでも心配そうにしているなまえ。私の過去がまさかこんなに暗いものだったなんて、と後悔しているのかもしれない。

……違うのよなまえ。私は貴方に意地悪をしたくて話しているわけじゃないの。人にはそれぞれ背負っているものがあって、それぞれに思うことがある。私の場合はどんなものだったのか、それを聞いて欲しい。そこからなまえに何かを学んでもらえたら、それが私にとって一番なんだから。

「私はその海賊の一味になって島を回って歌い続けたわ。幸いにも私の歌はどの島でも通用したから海賊の人達からも一目置かれるようになったの」

なまえからは先ほど心配そうにしていた表情は消えたけれど、聴き始めたときよりもなまえの表情は暗いものだった。……というよりは、何か思うところがある、そんな顔をしていた。

それを見たレスティは続けるわね、と言って物語の続きを淡々と話し出した。

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レスティがちょうどこの島に来たときだった。

この島のログポースは溜まるのに2週間くらいかかるからということで、彼女はいくつかの酒場を掛け持ちして歌っていた。

酒場で彼女がいつも通り歌を披露していたときのこと。突然、海賊団の船長がレスティに結婚を迫ってきた。本当に突然のことだった。だからその場にいた誰もが目をまん丸に見開いて、ステージの上に立つレスティと言い出した船長の二人を固唾を飲んで見守った。

「……い、や」

頭で考えるよりも先に口に出てしまった言葉だった。本当ならもっとよく先のことを考えていうべきだったのに。……いや、よく考えるまでもなかった。ちょっと考えればこの状況で断るなんて選択肢はあり得ない。

「……今なんて言った?」

あぁすべて台無しだ。

我慢してきたもの、ここまで苦労して作り上げてきた信頼。すべてが一言、たった一言で崩れてしまった。

ステージの下、一番前にある円卓に座っていた船長が手に持っていた酒瓶を片手で握りつぶした。飛び散ったガラスの欠片がぱらぱらと落ちていく。船長の手の平からは血が流れ落ちていた。

怖くて彼の顔を直視することはできなかった。わざわざ見なくても分かる。レスティは船長の面子を潰してしまったのだ。その場では誰も笑わなかった。けれどいつかは笑い話にされてしまうかもしれない。そんな羞恥にこの男が耐えられるわけがなかった。

「…………殺せ」

刹那に感じた殺気。船長の命令を受けた連中が椅子を引いてゆっくりと立ち上がった。抜けそうになる腰、遠のきそうになる意識を何とか保つ。

「船長、もういらないなら俺らもらっていいですかぃ?」

それは死刑よりも恐ろしいことを意味する。今まで見せられる立場だったのだがらこの言葉が示す行く末は理解していた。

「好きにしろ」

吐き捨てるように言った船長は再び椅子に腰掛けて酒を浴びるように飲んだ。そして、連中と目が合ったのを合図にしてレスティはようやく足を動かして走り出した。ステージの後ろを抜けて、裏口から外へ抜け出す。はぁはぁと吐き出す息。息苦しかった。それでも走り続けるしかなかった。

大通りへ出て数百メートル走ったところにある酒場が目に入る。一端隠れよう。レスティは店の中へ駆け込んだ。

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