ミホークがいなくなってからちょうど2週間が過ぎた。そして、今日はシャンクス一行が出向する日。
せっかくだから見送りをするとマスターとレスティに一言言ったなまえは早朝――まだ日が昇る前に港まで足を運んでいた。薄暗い夜明けの港は静かだった。キィ――キィ――と船がきしむ音がやけに響いて聞こえる。煉瓦の石畳を抜け、桟橋に足を上げて歩いていく。
港にひとつだけある大きな船。赤髪海賊団のドクロマークが堂々とあった。シャンクスの額の傷と同じところに赤い線が刻まれているそれを見上げながら、ミホークの旗はどんなものだろうか、となまえは考えていた。
「なまえ……?」
一番に気配を察したらしいのは、副船長のベン・ベックマンだった。
「ベンさん。おはよう」
「あぁ、おはよう」
甲板の手すりに歩み寄ったベックマンがひょいとひと跳ねして桟橋に降りてきた。
「どうしたこんな早くに」
「今日出向するって聞いたから見送りにね」
あぁそうか、と納得した様子で頷くと彼は軽く辺りを見回した。
「日が出ると同時に出向する。お頭はもう少ししたら出てくるだろうさ」
「うん。分かった」
そういえば、こうして二人で話をしたのははじめてかもしれないといつもよりも研ぎすまされた空気に、なまえは少し及び腰になっていた。
「…………元気か?」
唐突に一言、そんなことを言ったベックマンが煙草に火を灯しながら言った。
「え? あ……うん。元気だよ」
「ならいい」
「…………?」
意図が分からないとなまえが首を捻るとそれを見たベックマンがほんの少し口端を上げた。
「そんな顔するな」
そんな顔って?――そう聞き返そうとしたとき、「そろそろ出向するぞ」と甲板の上からシャンクスの声が聞こえてきた。続いて「ベックマンはどこだ」と。
「お頭、俺はここだ」
ベックマンはなまえの顔を見つめたまま、少しだけ顔を後ろに向けて軽く声を上げた。カツカツカツ――なまえが上を見上げると、船縁に張り付いたシャンクスと目が合った。
「お、なまえじゃねェか!」
「シャンクスさん。おはよう」
おはようさん、そう言いながらベックマンの隣に降りてきたシャンクス。彼はなまえの顔を見るやいなや、酷い顔だなどうした? と首を傾げた。
「えっ、私そんな酷い顔してる?」
なんだろう、朝じっくりと鏡を見てこなかったから何かついていたのだろうか、なまえがあたふたしているとシャンクスとベックマンが目配せを交わす。
その意味深なやりとりの意味は?――なまえがじとりと睨む。さっさと教えてほしいと睨みつけると、たまらず笑みをもらしたシャンクスが言った。
「寂しくて今にも死んでしまいそうって顔してる」
なまえの両眉が上がったあと、口が半開きに開いた。そしてだんだんと八の字に眉が落ちていく。まさにその通りだとなまえは思った。だから返す言葉が見当たらず、何も返せなかった。
「楽しかったか、ここんところ」
「……うん、すごく楽しかったよ」
――ほんとうに楽しかった。毎日、シャンクス達と何かしら話をした。飲んだ日もあれば、町中で顔を合わしたら少しだけ話をしたり。まるで何年も一緒だった仲間のように、彼らは接してくれた。それがすごく嬉しくて、楽しくて。あんまりにも幸せで、満たされた日々で。
「……楽しすぎた」
「ハハッ――それは結構なことじゃねェか」
「……そうだね。いいことだよね」
彼らは海賊で、ずっとここにいるわけにはいかない。最初から分かっていたことじゃないか。ミホークのときにだって、同じ気持ちになって苦しんだっていうのに、また同じことを繰り返して、私はなんて馬鹿な奴なのか――
同じことを繰り返してしまう自分自身を責め立てながら、それでもなまえはにっこりと笑みを作って見せた。
「……シャンクスさん。本当にありがとう」
本当はすがりたい気持ちでいっぱいだった。でもそれを押し止めて、なまえは必死で笑って、深く頭を下げた。
あの時間、彼らからもらったものは優しさだったと思う。シャンクスさんは傷ついた私を慰めてくれて、ベンさんは淡々と話を聞いてくれた。あの時間はとても貴重な時間だった。彼らと共に過ごせて本当によかった。そう思えば思うほどに、彼らへの感謝を忘れてはならないとなまえは意志強く、思った。
ワンテンポ遅れて返事が返ってきたのは、先ほどまで頼りなさそうに見えた女が、頭を下げて上げるたった数十秒の間に様変わりしたせいだろう。瞳に宿った強い芯が二人にはよく見えていた。
「よしてくれよ。そんなかしこまって言われたら、恥ずかしいじゃないか」
「けじめは大切、でしょう?」
「まぁ、お頭はこういうことに慣れてねェからな」
「確かにそうかも」
なまえはうなづき返しながら、ベックマンに向かっても頭を下げてお礼を言った。
「こんなのどうってことないことだ。なぁ……お頭?」
「あぁ。当たり前だろ」
ニシシシッ――シャンクスが笑うと、ベックマンもなまえもつられて笑った。その後、シャンクスが続けて何かを言おうとしたら、ちょうど同じタイミングで日の出の合図かかかった。
「はい?」
「…………いいや。なんでも」
シャンクスは振り返ってすぐに行くと返事を返した。
「……シャンクスさん?」
「なまえ、俺たちはもう行くよ。また近くを通ったらここに来るから」
「はい。お待ちしています」
なまえが元気よく返事を返すと、シャンクスは満足したように笑い、なまえに背を向け船に乗り込んでいった。
「それじゃあな」
ベックマンもそう言うと、シャンクスの後に続いて船に乗り込んだ。
二人がいなくなった桟橋になまえはひとりぽつんと立っていた。ばたばたと騒がしくなっていく船の上を見上げながら、いよいよ出向かとそのときを待つ。
出向だ――それから1分も経たないうちに、シャンクスが一声あげる。それを合図に、船の帆が広がり、碇が海底から巻き上がっていった。桟橋から船が離れ、ゆっくりと進んでいく。ひと仕事を終えた船員たちが甲板の船縁から顔を出してくれた。
「みんなまたね!」
手を振ると、「また来るよ」と口々に言って、大きく手を振り返してくれた。
ミホークのこともこんな感じで見送りたかった――そうすればまだ気持ちの整理もできたかもしれない。ふとそんなことを思った。
「なまえ――!!」
シャンクスが大きな声でなまえの名を呼んだ。意識をこちらに戻したなまえが船に目を向けると、手を振っているシャンクスが見えた。大きく手を振り返す。シャンクスが続けて言った。
「奴より俺んところがぜってぇ楽しいぞ――!!」
えぇ――!? となまえが声を上げたところで、彼はもうはるか向こう海の上。さっき言い淀んでいたのはこのことだったのか、となまえは眉を寄せた。
それはつまり、船に乗りたきゃ乗れ、そういうことなんだろうか。すっかり見えなくなった水平線を見つめた。たまに、ぼやかして物事を言うやっかいな”お頭”に頭を悩ませながら、なまえはにっこりと笑った。
「まだ自分でもよく分からないんだ」
まだどこかで彼のことを信じている自分がいる。待ちたいと思う自分がいる。少なくとも、この心がなくなるまでは、”ここ”で待ちたいって、そう思う。
:
:
「お頭。そんな適当なこと言ったらなまえが困るだろ」
シャンクスの斜め後ろに立つベックマンが煙を吐き出しつつ言う。シャンクスはまっすぐに前を向いたまま、大手を振っていた。
ベックマンが桟橋を見やると、そこにぽつんと立つなまえが振っていた手をぴたりと中途半端なところで止めていた。
「ほらな。困っている」
シャンクスがくすりと笑った。
「――ったく。可愛いな」
手を振るのをやめて、振り返り甲板を戻っていく。すれ違いざまにベックマンがそれについては同感だ――と返すと二人して口端を上げて意地悪く笑うのだった。

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます