本日運命予定日

あの駅での一件以降、あのBarに行っていなかった。……行けなかった。もしなまえに会ったら……どんな顔でどんな風に声をかければいいのか、それが分からなくて行けなかった。我ながら情けない。

車の中から外を見ながら取引先に向かう道すがらにそんなことを考えていた。しばらくすると取引先に着く。ビルの前に立つと「お待ちしておりました」と取引先の社員が出迎えに出てくる。小さく頷いて中に入った。エレベーターに乗り、上階へと進む。受付の前で名札を受け取りながら振り返って、全面ガラスのオフィスから外を見ていると目の前がなまえの通う大学だということに気がついた。

「大変申し訳ございません。只今うちの社長が他の者と話しておりまして……」
「かまわん。奴のことだ、慣れている」
「……大変申し訳ございません」

何度も頭を下げる奴の社員を見ながら、相変わらず奴の部下は大変だなとため息を吐き出した。待ち時間の間、大学の方を見ながら、なまえの姿が見えないかと探した。なんとも女々しい。とは思ったけれど、ひと目なまえの姿が見たいとそう思った。

フッ――これで振り出しに戻ったというわけか。……いい加減、諦めるということも必要かもしれない。そう半ば諦めかけていたとき、なまえの姿が見えた。当然目が釘付けになる。俺は相変わらずなまえのことが好きらしい。姿を見れただけでこんなにも嬉しく思うとはなんとも単純な奴だ。自分で自分のことを自嘲しながらふと腕時計を見れば一限目はもう始まっている時間だった。……おそらく、二限目からということだろう。なまえは一人だった。そして、校門のところで友人と待ち合わせていたのか、そこで合流して立ち話をしている。

「お、ミホーク! すまん、待たせたな!」
「…………お前はつくづく間の悪い奴だな、シャンクス」

まるで計ったようなタイミングで声をかけてきた奴の方にギロリと目を向ける。さすがにもうなまえの方を見るわけにはいかない、と体も奴の方に向けた。

「部屋開いたから入るぞ」
「もう少し言葉を選べ」
「いいじゃねぇか。俺とお前の仲だ」
「…………はぁ」

「いいのですか?」

聞こえたその女性の声には聞き覚えがあった。

「…………ん、どうした?」

奴がその女の前で立ち止まって首を傾げた。

「なまえのことお好きなんでしょう?」

その女性はあの駅でなまえと話して……いや、説教をしていた女性で。

「なまえ、自分では気づいていないみたいですけど、たぶん、貴方のこと好きだと思いますよ?」

まさかこんなところでそんな話をされるとは夢にも思っておらず。こちらは丸腰の状態で打ち抜かれたようだった。苦手分野のことをそうも責め立てられてしまって、なんて返せばいいのか分かるはずもない。それに今は奴だっている。心底その手の話が好きな奴が目の前にいるのだ。

「おー……お前等知り合いか?」

なんだなんだ? 何の話だ? と嬉々として目を光らせている奴が面倒くさい。頭を抱えるようにして右手を額に置く。はぁ……とため息を吐き出して言った。

「関係ないだろう」

「いいえ。関係あります。私はなまえの従姉妹ですから。なまえのことを貴方以上に大切に思っていますので」

だとしても、だ。こんな大っぴらなところでする話ではない。

「……今日はもう帰る」
「え、あれもう帰るのか? まだ商談の話が……」
「そんなもの電話でいいだろう。そもそもなんで俺がここに出向く必要が……」
「決まってんだろ? 契約書には直筆のサインがいるって……言ったのミホークだったろ?」
「……っ、」

あ、おい、ミホーク! と呼び止める声に背を向けて足早に階段を降りた。数階分降りたところで足を止めてフロアに出る。エレベーターを使ったら奴と鉢合わせするかもしれない。今はとにかく誰とも会いたくなかった。一度フロアに出た後、ビルの外側に設置されている非常用の階段に出た。汗ばんだ体を吹き抜ける風が心地よかった。例えそれが生ぬるい風だとしても今は心地よい。スーツのジャケットを脱いでその場に腰を降ろした。

まさか、仕事にも影響が出ようとは。これは早々にどうにかしなければならない。

「はぁーー……」

:
:

それからしばらくその場で休んで。今日はもう退社する旨を会社に伝えた。こんな状況じゃ戻ったところで使いものにならないだろう。そう思ってのことだった。

たどたどしい足で階段を降りてようやく地に足が着いたあと、車を止めていた地下駐車場へと足を運ぶ。……で、まさかそこにいるとは誰が思おうか。

「…………あ、ミホークさん?」

思わず腕に抱えていたジャケットを落としてしまうところだった。もう疲れきっていた精神に追い打ちをかけるようにして目の前に現れたなまえが不思議そうにこちらを見ていた。すぅと息を吸い込んでどうにか意識を保つ。頭の回転はいつもの半分以下だった。

「お姉ちゃんに言われて……」

姉……?  あの女性、なまえの従姉妹のことか?

「なんと言われた?」
「ミホークさんが呼んでいるって」
「…………」

あの女よくもぬけぬけと……!  さすが奴の側近をしているだけはある。やることがなんともエグい。

「あの……大丈夫ですか?」
「……あぁ」

「ほんとに?」と眉を寄せているなまえの方、自分の車の方へと歩いていく。足を進めながら考えていたのはどうやってこの場を収めるかということだった。だが、回らない頭で考えがまとまるはずもなく。正直途中から考えることを放棄していたと思う。俺が考えたところでどうこうできるとは思えない。なるようになるだろう……と。

車に辿り着いてボンネットにジャケットを放り投げる。そのまま片手を置いて一息入れた。なまえの方を見ると先ほどと変わらず心配そうにこちらを見ていた。

「そう心配するな。階段を歩いて降りたから疲れているだけだ。すぐ戻る」
「……ならいいんですけど」

もごもごとなまえが言い淀んでいた。おそらく、なんでエレベーターを使わなかったのか、聞いていいものか気を揉んでいるのだろう。……なまえはとても優しい。

「姉、と言ったか」
「え?」
「なまえの従姉妹なのだろう?」
「あ、はい」
「その人に他に何か言われたか?」
「え……別に何も?」

なまえの方に体を向けるとなまえが訝しげな目でこちらを見ていた。眉を寄せて首を傾げる。何か変なことを言ったか?

「…………もしかしてミホークさんってお姉ちゃんのことが好き、なんですか?」
「…………は?」

ちょ、ちょっと待て。一体何をどうしたらそうなるのか。

「それでお姉ちゃんは私を使って断ろうと? それならはじめからそう言ってくれればいいのに……」
「いや、待て」
「ミホークさんだってお姉ちゃんと話したいなら、そう言って下されば……」
「いや待てそれは違う!」

ここですれ違ってしまったらもう一生すれ違ったまま、重なりあうことはない、そう思った。なまえの声がだんだんと小さくなって言って、なまえの顔が俯いていく。なまえが悲しげに眉を寄せている気がした。

「俺はなまえのことが好きで……!」

あ。

飛び出した言葉は自分が思っていたよりも大きな声で広い駐車場に木霊していった。俯きかけていたなまえの顔がこちらに向いて、その目はまん丸と見開かれていた。彼女はあまりのことに言葉が出てこないようだった。口元を覆うその手はこちらから見てとれるほど震えていた。

「いま……なん、て……?」

彼女が声を震わせながら言った。その様子から突然の告白に気持ちをどう消化したらいいのか分からずにいるなまえの内心がありありと読み取れた。不安そうな彼女の顔を見ていたら自然と足が前に出ていって。守りたいと、傍にいたいと思った。

なまえの手に手を伸ばして柔らかく握る。それを受け入れてくれたなまえの視線がゆっくりと動いて、俺の瞳を捉えた。

もう一度言った。

「俺が好きなのはなまえだ」

今度は真っ直ぐに目を見ながら、心を込めて言った。なまえにちゃんと聞き入れてもらえるように、出来るだけ顔を寄せて耳元に吹き込むように。

「っ、」

喉を詰まらせるように声を出したなまえの体は変わらず震えていた。握る手から伝わる振動に少し不安にもなった。もしかしたら怖がらせているのかもしれないと。

でも、もう一度なまえの顔を見つめるとそんな不安も消えてなくなった。互いの目が合うと、彼女の瞳はゆっくりと弧を描いて、口元も緩んでいった。自分自身の目も口元も緩んでいくのを感じた。

そして、彼女が震える声をしぼり出しながら言った。

「……すごく嬉しいです」

今一度にっこりと笑ったなまえは握りしめていた俺の手の平にもう片方の手を重ねて続けて言う。

「私も好き……だと思います」

あぁもう――口からこぼれ出たのはそんな言葉だと思う。「え?」となまえの口から言葉が出ると同時になまえの体をきつく抱きしめた。この瞬間をどれほど待ちこがれたものか。これほど触れたいと、愛したいと思った女性がかつていたものか……否、なまえが初めてだ。

「なまえ、」
「……えと、あの……はい」

あまりの勢いに後ずさっていくなまえの体が車に寄りかかる。……分かっている。頭では分かっている。だが、今日の俺の頭は半分以下しか回っていないのだ。リミッターなどあってないものだ。

車に寄りかかるなまえの体に覆い被さってこちらを見上げるなまえの頬に手を這わす。頬を撫で、首筋を撫で。このままここでなまえのすべてを食らいつくしてしまいそうだ。なまえは身を小さく縮込ませながらも、目に涙を溜めながらも、視線を逸らすことなく俺を見上げていた。なまえの覚悟が見えた瞬間だった。

なまえにそこまで覚悟させておきながらここで手をひくことなどできるわけがない。

そっと、なまえの顎に手を置いて、なまえの顔を上に。その力に従うようにして反れたなまえの首筋に手を這わすとなまえが小さく喉を鳴らした。その反応が愛おしくて、緩んでいく自身の口元に大人げない奴だと思った。ゆっくりと目を閉じていくなまえの顔を見ながら、ゆっくりと瞼を降ろしていった。

「ミホークさん……好きです」

小さく囁かれたなまえの唇に口づけたその瞬間を生涯忘れることはないだろう。これから先、一生をかけて愛する相手とようやく結ばれた瞬間なのだから。

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