最近、頭角を現してきた海賊がいる。その男は鷹のように鋭い眼光を持ち、刀ひと振りで艦隊十隻を沈めるらしい――と、ここ数日はその噂で持ちきりだった。
「ねぇミホーク」
「なんだ?」
「私、ついていく自信ないよ」
甲板に二人。一人は例の噂の男と20歳前半の女が一人。二人は同い年だった。
「……またその話か」
「またって言うな」
「なに、なまえなら大丈夫だろう」
「その自信、一体どこからくるのか教えて欲しい」
「聞きたいか、ならば「あ、やっぱいいです」……聞いておいてそれはないだろ」
二人は舷縁に寄りかかりながらあぁだのこうだのと話を続ける。いよいよ飽きてきたミホークが気だるそうに肘を手すりに乗せながら上辺だけの返事を返しだした頃には、同じくなまえも飽きてしまったようで、「で、何の話してたっけ」という始末だった。
「ついていくのがどうのこうの、じゃなかったか」
ふと返事を返したミホークが、言い終わった後にしまったと眉を寄せた。これではまたぐるぐると同じ質問が――
「そう! それだよ! だからね、私は自信がないの!」
ミホークはもう突っ込むのも面倒になったのか、「で?」と目を細め醒めた眼差しでなまえを見ていた。
「だから、船を降りる!」
「は?」
「次の港に着いたとき、私は船を降りるから」
ミホークは目の前の女が一体何を言っているのか理解しきれていないようだった。そんな話、今まで一度も聞いたことがない。誰か伝いに悩んでいるという話も、噂も、何も、そんなことを言い出す前兆そのものがなかった。
「嫌になったか。船や海賊、戦いに血に」
なまえは首を左右に大きく振った。
「それとも、俺か?」
なまえはまん丸に目を見開いた。ミホークの両眼をしっかりと見つめた後、ゆっくりと首を横に振る。
「……ではなぜだ? なぜ急に」
「ずっと好きでいたいから」
謎を解くために質問しているのに、また謎が増えてしまった。なまえの返答にますます皺を寄せたミホークは「あ――――」と声を出しながら空を見上げた。おそらく、”誰か間に入ってくれ”とでも思っているのだろう。
「好きなら傍にいればいいだろう。違うのか」
「うん。違う。傍にいたら嫌いになるから」
「…………分からん。分かるように説明してくれ」
っと言われてもな、となまえは自身の顎を右手で掴みながら「う”~~ん」とうなり声を上げる。すぐに答えられないところがまた、ミホークにとっては謎でしかなかった。自分の気持ちなのになぜそう悩むのか、理解できん、となまえを見ながら右手を自分の顎に添える。
「ミホークには夢があるでしょ?」
「あるな」
「で、ミホークなら絶対その夢を叶えるじゃん」
「当たり前だ」
「でも夢っていうのはそう簡単に叶えられないものだから、これから数十年はそれに向かってひたすら走っていくんでしょ?」
「…………」
「その横をついて走っても見えるのは横顔だけで、決してその先に立つことはできないじゃん」
ミホークが首を傾げる。
「そんなの寂しい。傍にいるなら、ちゃんと見て欲しい」
なまえは横に立つミホークの方に体を向けた。ミホークもなまえに合わせるようにして体を向ける。なまえが続けて言った。
「見ないなら、私だって見ない。好きだから、見たくない」
「……なまえ」
ミホークが名前を呼ぶ。なまえは顔を俯けてしまった。なまえの頬に彼の手が触れようとした瞬間、なまえはその手をやんわりと払って見せた。
「これが私の気持ち」
なまえはだらりと落とした両手に拳を作って、手のひらに深く爪の後ができるほど強く握りしめた。その手は小さく震え、そのうち、なまえの体全体も震え出した。
ミホークは口を閉ざしていた。なまえが自分のことを拒否したことに動揺していた。未だかつてこんなことはなかった。冗談なら両手で数えられない程たくさんあったけれど、今は冗談だとはとても思えない。
震えるなまえの体を見ながらミホークが小さく口を開く。彼の唇もまた、震えていた。刀ひと振りで船艦十隻を沈められるようになったとしても、まだ若い思考では思い当たる節があって、それなりの自信があったとしても、どこか不安で踏み切れないところがあるのだ。
ミホーク自身もそれを分かっていた。だから不安を振り払い、なまえと自分が共に過ごしてきた時間を信じて踏み出す。またなまえに拒否されたらどうしようか、そんな彼らしからぬ恐怖を胸の中に押し込めながら、一歩、前へ足を踏み出した。
「無理して隣に並ばなくていい。後ろでも、背中合わせでもいい。無理に見ようとしなくていい。必ず振り返る」
なまえの肩にミホークの手が届く。わずかに反応したなまえはその手を払いのけようとはしなかった。
「何を案じている。俺はどこへも行かない。ずっとここにいる」
「わ……たし、ミホークの傍にいてもいいの?」
なまえが言った。
なまえの声は震えていた。酷い鼻声で、ぐずり、ぐずり、とすする音も聞こえる。子供ようにしゃくりながら、顔を上げ息を詰まらせていた。
ミホークは今にも消えてしまいそうな程不安がっているなまえを、まるごと全部、包み込むようにして引き寄せて抱きしめる。なまえはきっと通りものに当たるように急な不安に襲われたのだろう。それは、いつも心の隅にあった不安を大きくしてなまえを巻き込んだ。だからきっと不安で堪らなくなったのだ。
「……当たり前だろう」
とても説得力のある落ち着いた、優しい声だった。なまえはほ、と息を吐き出す。途端にまたぼろぼろと涙を落とした。すがりつくように彼の服の裾を握りしめて、胸に涙でぐちゃぐちゃになった顔を押しつけ、子供のように涙を流すなまえの背中を静かに撫でる手のひら。
その手の平が頭を撫でるとようやく落ち着きを取り戻してきたなまえが顔を上げてミホークを見た。パンパンに腫れて真っ赤に染まった目元に頬、それをひと撫でして唇を緩ませた彼が言う。
「ずっと好きでいてくれ」
なまえの目が真ん丸に見開いた。そしてその瞳はゆっくりと閉じていって、にっこりと弧を描いた。目元から一筋の光が落ちて消えていく。ミホークが筋が通った頬を撫でると、幸せそうに口元を緩めたなまえが彼の両眼を見上げながら聞き返す。
「ねぇ……そうして欲しい理由、聞いてもいい?」
「意地悪言うな。俺だって言いにくいことはある」
なまえの一言にミホークの視線が逸れる。居心地悪そうに視線を泳がせる彼の姿に、ふふふ――なまえは楽しそうに笑った。彼女は分かってると言いたげに悪戯な笑みを浮かべ、彼の頬を撫でた。今にも唇が付きそうなほどの距離。二人は静かに見つめ合う。そのうち、気分屋の彼が耳元でとても珍しい囁きをひとつ落とした。勢いがあるうちに言ってしまいたかったらしい。それを聞いたなまえはまた涙を落として、また幸せそうに笑ったのだった。
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170818 End.
thanks 懐古
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