五番隊隊舎執務室に書類を持って行くのは私の仕事になっている。というのも……以前、距離を置きたいなと思って軽い気持ちでイヅルにお願いしたら「次からは絶対に副隊長が行って下さい」とイヅルに言われてしまったのである。イヅルの顔面が蒼白だったので大変申し訳なかったのを覚えている。巻き込んでごめんなさい。
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「藍染隊長。お仕事お疲れ様です」
執務机に座って筆を走らせているその人――藍染惣右介がふ、と甘い吐息を吐き出す。にっこりと微笑む様子は何度観ても絵になるなぁと感心する。かつてはそれが演技だったけれど今の彼はきっと本心から微笑んでいる。そう考えると私がしたことも案外悪いことでもなかったかもしれないとそんなことを思った。世界が平和であるのは私のおかげ――そんな壮大なことをなんとなしに思うのだ。馬鹿げてるよね、ほんと。
「いらっしゃい、みょうじ副隊長」
「お忙しいところ失礼します。こちらの書類が急ぎだそうでして、回覧をお願いします」
「そうか。分かったよ」
執務机の上に書類を差し出して受け渡す。藍染隊長は書類に目を通しながら「そう言えば……」と話を続けた。
「今日、この後の時間は空いているかな」
「へっ?」
あんまりにもストレートな誘い文句だったものだから返事にもならない変な声を発してしまった。慌てて口を押さえて周囲に首を振る。……良かった。誰もいない。
「君はどうしてそう体面を気にするんだい。別に食事くらいいいじゃないか……」
「食事くらいと思って痛い目を見た経験がありますので……」
それは少し前のこと、隠しているとはいえ(演技だとしても)恋仲だし、流石にこれ以上距離を置いたままなのもよくないかなと思って一緒に食事に出掛けて散々な目にあった。たまりにたまっていたらしく、人目を憚かりつつも執拗な行動に……負けた。あれは本当に悔しかった。……で、それ以降は絶対に行くものかと拒否し続けている。これでは恋仲という関係も早々に拗れてしまうかなと思っていたけれど、今までずぅーっとずぅーっと待ち続けていられたほどの鋼のメンタルを所持していることに思い至り、諦めてもらえるという淡い期待は見事に砕け散った。待たされるのも焦らされるのも大変お好きらしい……この人こんなに誠実そうに見えるのに考えていることは大変卑猥でいかがわしいかったです……残念なことに。
「それは心外だな。まぁ、それなら……五番隊と三番隊で宴会でもしようか」
「……宴会?」
「あぁ。もうすぐ夏が終わるからね。残暑を吹き飛ばしにみんなで飲みに行くのもいいだろう」
「……変なこと、しませんか?」
「君は僕をなんだと……」
「前科持ちの人は同じことを繰り返すって言うんですよ」
「…………まったく」
藍染隊長は呆れてそう言いながらも嬉しそうに笑っている。最近は多少砕けたやり取りができるくらいには私の気持ちも馴染んで落ち着いてきていた。かつてあった出来事は消えてなくならないけれど、確実に過去のものとなりつつある。痛みはなくならない。……でも、良き思い出として私はそれを受け入れつつあった。それがいいことなのかどうかは分からないけれど、この人とこうして笑い合えるようになったことは良かったんじゃないかと、そう思う。――世界平和が頭をチラつくのもありますが。
「書類はこのまま持って行ってもらってもいいかな。今日は雛森くんが出払っていてね」
「はい。分かりました。このまま六番隊に向かいます」
「……悪いね」
すっ――と筆を取ると流れるように筆先を動かして広く空いたスペースに一筆を書き記す。四番隊卯ノ花烈の名の隣に湧いて出たように収まった美しい名前。藍染惣右介――記された名前を受け取ってしげしげと見つめた。
「……どうした?」
「あ、……いえ。本当に綺麗な字を書かれるなと思いまして」
「褒めてくれるのかい。光栄だよ」
藍染隊長は書道の腕が一流で霊術院で特別講師をする程にその腕を買われている才のある御人だ。
「ぼくが書いた文字とはいえ、そんなに熱烈に見るとは……妬けるなぁ」
「えっ!?」
「お望みとあらばその体に刻んであげようか……?」
「っ、隊長! からかわないで下さい!」
ふふふ、と笑うと藍染隊長が立ち上がる。からかわれたばかりで警戒心が解けていないので身構えてその様子を見守った。
「口付けくらいはいいだろう?」
どうやら警戒されているから何をするか前もって言うことにしてくれたらしい。
「……職務中ですので」
「でも君は職務外で会ってくれないじゃないか。今日は会ってくれるのかい?」
「…………1回だけ、ですからね」
しぶしぶ、首を縦に振った。ここで断って、仕事が終わった後に押しかけられても面倒だし、ここで終わらせてしまった方が後に引かなくてよいと思ってのことだった。
「……ありがとう。久々だから、」
「んっ……」
顎を掬い上げられてほぼ真上を向くような状態で、唇に噛み付くような口付けが振ってくる。「いっかいって……」と言おうとしても言う暇も余裕もなくってただただされるがままに蹂躙される。足先を伸ばして背伸びまでさせられて不安定な身体が浮いてふらふらとする。背中に添えられた手のひらが待っておりましたと受け止めるとそのまま押し倒すようにソファの上に倒された。
「っふ、やっ、…………たいちょ、1回って……」
「ん? ちゃんと1回だっただろう? ぼくは今息をしたんがらひとつなぎの長い長い口付けだったんだよ…………」
「…………狡いです」
そう言われてしまったら何も返せないではないですか。まんまと丸め込まれてしまってぐったりとソファに横たわったまま、煌々と両眼を光らせる前科持ちを恨みがましく見上げた。
「…………誘ってるのかい?」
「…………そう見えますか?」
「あぁ……喜んでのらせてもらうよ」
「馬鹿言わないで下さい、もう……!」
乱れた胸元の着衣を引き寄せて、誰か入ってきてこんな所を見られでもしたら大変ですから! ぐっと隊長のお腹を押して押し退けようと頑張る……が、びくともしない。おかしいんじゃないのこの人、一体何を食べたらこんなに頑丈な……と、するするする――直したばかりの胸元に手のひらが忍び込んでくる。
「ばっ、ばか!!!」
慌てて伸ばした手よりも早くに柔らかな膨らみを揉みしだかれて体が震える。
「っ、たいちょ……! だめです。ここ、執務室なんですよ」
そう言っても微笑むばかりで返答は返してもらえない。ええいっ! と渾身の力を振り絞るもあえなく両手を一纏めにされて頭上へと固定されてしまった。
乱れた自身の髪の毛を整えながら藍染隊長がくすりと笑う。
「笑ってないで離してください!」
「静かにしていないと誰か来てしまうよ?」
「っ、〜〜〜〜」
暗に抵抗しても無駄だと言いたいんでしょうね、この人は。前回に負けた時もこんな感じだった。同じ手は食わないと思っていたのにこのザマ…………もう!
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喚き散らしつつも最後には水が流れるように流されるがままになまえは抱かれる。ぷいっとそっぷを向くけれど水面下では決して突き放すことはしない。なぜかは分からないけれどそれは絶対的信頼をおいて言えることだった。本当は不確かなことは嫌いなはずなのになまえの瞳を見ていたらそう思えてしまう。これが世にいう溺れるというやつなのか。
甘い砂糖菓子を溶かしてしまわぬように慎重に、触れるか触れないかそれくらいの強さで優しく崩していく。ゆっくりと根気よく。
少しでも強過ぎるとすぐに形はなくなってしまっていなくなる。かと言って、囲いこんでしまうと溶けてしまう。今のままのなまえを手の内にしたいと願えば願うほどにその願いがいかに困難であるかがよく分かった。彼女は悪魔のような女だ。どっぷりとハマってしまってからは決して抜け出せない。
特に私はその典型だった。
少し前にようやくなまえを手に入れた日、鏡花水月を使って恋仲になった後、たった数刻傍を離れたことを深く後悔した。四番隊隊舎にて再会したなまえの態度はその前と後で大きく変わってしまっていた。
焦がれるような焼けるような眼差しは消え失せていて残っていたのは誰にでも向けられるようなありふれた眼差し。そこに多少の色はついてはいても所詮は同じものだった。
腰に据えていた鏡花水月を抜いた。でも、なまえは変わらなかった。彼女はもう催眠にかからなかった。あの日、催眠にかかったなまえはまさか幻であったのではないか、と疑いもしたが、……いや、こうして隣に居るなまえは恋仲であることを承知していて、それはあの催眠なしにはなし得ないことであった。ずっと望んでいたことだった。そのはずなのに、なまえの心は未だに掴めている気がしない。
焦がれるような羨望の眼差しは浮竹へと向けられ、友を敬うような寄り添い慕う眼差しはギンへと向けられる。私に向けられているものは……なんだ? 何年もの間、堂々巡りが続いた。それでも私は決してなまえを手放さなかった。決して強要はしなかった。鏡花水月の効果が効かないはじめての相手。それは人生においてはじめての――特別な人だった。
なまえの姿を見る度に思うことがある。でも私はその気持ちがどういうものなのか、分からない。…………まだ。いつか分かるときがくるだろうか。そう思って今日を歩んでいる。なまえの隣で、なまえを見つめながら。
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最近、変化があった。
なまえが拗ねるようになった。なまえが揶揄い混じりに笑うようになった。それがこの上なく嬉しい。いつだったか、気持ちの赴くままになまえを抱き締めて「幸せだな……」と言ったとき、なまえは両目をまん丸に見開いて驚いていた。……呆れられるだろうか、と視線を落としたそのとき――幸せですね、なまえがふふっと笑った。
それが、本当に嬉しかった。
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