いつの間にか彼女との会話が日常になっている。降りていくなまえの背中を見ながらぼんやりと当たり前になった彼女とのやりとりを考えた。
それも、このエレベーターの中でだけ。廊下ですれ違おうが目も合わせない。少なくとも、なまえはそうだった。俺もなんとなくなまえの方を見てはいけないような気がして、なまえの姿を見つけるやいなやなぜかそっちの方を見ないようにしていた。何か悪いことをしているような気分だった。
なまえの方はと言えば実にすました顔をしている。俺の存在はなまえにとって空気のようだった。それがわざとなのか、それともただ単に彼女が鈍いだけなのか、分からないのがまたなんだか歯の間に詰まった骨がなかなか抜けないように後に残る何かを俺に植え付けていった。
ある日のことだ。
「それで?」
「……はい?」
いつも通り挨拶を交わして乗り合わせた彼女が隣に立つ。扉が閉まり流れるのはいつも通りの沈黙だったが、今日は隣の空気がいつもと違う。…………なんとなく、本当になんとなくだが、そわそわとしているように思えた。と、同時に何か良いことがあったのか、喜びに満たされているようにも感じられた。
だから気になった。
だから声をかけた。
それがこのエレベーターの中の数分で聞けることかは分からなかったが、それでも。
「何か良いことでも?」
「……あぁ。えぇ、はい。そうなんです」
左隣に立つ彼女の方を見下ろす。そうしたら彼女の横顔が上から見えた。にっこりととても幸せそうに口元を緩ませた彼女が続けて言う。
「実はお食事に行くことになったんです」
こそこそこそと急に小さくなったその声に目を細める。二人しか乗っていないエレベーターの中でどうして声を潜めるのか。…………こいつ馬鹿なのか、と本気でそう思った。
「そうか。良かったな」
返した返事はそんなありきたりなものだったと思う。そのすぐ後に彼女が降りるフロアに着いて、そこで会話は終わった。今日は金曜日だ。ということは、明日か明後日にでも行くということなのだろう。月曜日、どうなるか見物だな。エレベーターに乗ったなまえはどんな表情を見せてくれるのか、楽しみだ。
……いや、待て。楽しみ、だと? なんだそれじゃあまるで少女漫画によくある主人公とヒロインを支える脇役じゃないか。は、この俺が? なんて馬鹿馬鹿しい。どうかしている。そう思いながらも、月曜日を待ち遠しく感じてしまう俺はやはりどうかしてしまったらしい。
どうやら自分の気持ちに気づいてしまったようだ。
少女漫画の読み過ぎには注意しろ
意外と洗脳されるぞ、あれは。

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