第3話 「王子」は大抵幻想

愛煙家である俺の会社には喫煙スペースがある。室内はもちろん中庭の一角にもそれなりの広さのスペースがあった。株主等は眉間に皺を寄せて狭めろ狭めろと言ってくるが俺が社長である限りは絶対にここだけは死守すると誓っている。……特に誰に、というわけではないが。

ついさっきだって株主総会だのなんだのって、朝から昼までぶっ続けで会議だった。その会議も終わってようやく一息つくことができる。会議後、真っ先に喫煙スペースへ。最上階からエレベーターに乗って下へ降りていく。あぁ今日はいつもより早い出勤だったからなまえに会えていなかったなとそんなことを思いながらエレベーターを降りた。

カツカツと靴を鳴らしながら廊下を歩いていく。大抵の社員は昼飯だと嬉しそうに席を離れていく。女はランチに行くと会社の外へ向かい、男は社内にある食堂へと足を運ぶ。その流れに逆らうようにして中庭へ向かった。

中庭のガラスの扉を開く。そこには俺の他に何人か来ていた。ここにいる奴らは飯よりも煙草。そんな重度の愛煙家の野郎達だろう。喫煙スペースの一角にあるベンチへ足を運んだ。そこはラベルも何も張られてはいなかったが俺の専用のスペースになっていた。ちょうど木陰になっていてこの時間帯は風も吹いて心地がよい。ベンチまで辿りつく間もなく胸ポケットからライターを取り出して煙草に火をつける。肺を満たしていく煙を感じながらゆっくりと目を閉じた。

「そういやお前どうなったんだあの子とは」
「え、あぁ。どうって……別に」

耳に入ったのは数メートル離れたところに立っていた二人組の男の会話だった。

「え、なに? まさかお前本気になったりはしてないだろうな?」
「はっ? この俺がそんなことあるわけないだろう」

「だよな」と言って返した声の太い男と「変なことを言うなよ」と笑うもうひとりの男。やけに細い声をしてやがる。二人の方を流し目に見た後ゆっくりと腰を下ろした。ベンチに座ってもなお聞こえていく会話をぼんやりと耳に入れながら煙を吸った。

「それにしてもあの子、相当お前のこと好きだろ」
「ん~、どうだろうね」
「はっ、お前も罪な男だなぁ」
「なんだよそれ」
「だっていっつもそうやって気のある振りして最後は振るだろ?」
「…………別に振りってわけじゃあ」
「はぁん? まったく。あの”なまえ“って子も見る目がないな。こんな悪い男を好きになるんだから」
「それは俺に言っても仕方ないだろ。そういう性分なんだから」
「性分って、振るのが好きとかもはや変態だって」
「だってさ。楽しいだろ、その方が」

ははは!――――

カラカラカラと閉まっていく扉の音と薄れていく笑い声。それからどれぐらい経ったのか。

「社長! またこんなところで!」

探しに来た秘書に見つかるまで俺の意識はどこかへいっていた。

「え……あの、社長! 手、手が!」
「…………あ?」

「手、やけどしてるんじゃないですか!? 大丈夫ですか!?」
「…………」

言われるがまま目を落として、開いて見た手の平の中には握りつぶされた煙草が一本あった。手の平は真っ赤になっていた。不思議なことに熱さを感じなかった。今はそんなことよりもあんなにも吸いたくて堪らなかった煙草を握りつぶしたまま呆然としていた自分自身に驚いていた。

「今お手拭き持ってきますから!」
「……いや、いい。これぐらい大したことない」

「でも……」と言葉を濁す秘書を「すぐに戻る」と言って追い払った。そしてまた煙草を手に取る。煙草を一本取り出して口にくわえる。ライターの火をつけたその時に蘇ってきたのはあの会話だった。

あの”なまえ“って子も見る目がないな。こんな悪い男を好きになるんだから――

だってさ。楽しいだろ、その方が――

視線の先にある炎が揺れてなまえのことが浮かぶ。彼女のあのはにかんだ笑顔が頭から離れなかった。

“ずっと片想いをしている人が居て、その人が最近同じ部署に異動してきたものですから”
“心配ごとというか。まぁ……その、恋わずらいってやつですよ”

なまえはただ恋をしただけだ。それがどうしてこう拗れてしまう。どうして、彼女が傷つかないとならない。

ライターの火を消してくわえていた煙草を口からはずす。その瞬間俺は決めていた。あの野郎になまえを傷つけさせはしない、と。それは文字通りで、そのためになまえの気持ちを変えてみせると決めたのだ。ひとつ残る心配は俺自身の気持ちだ。俺がどこまで本気になれるのか、それは俺自身も分からない。だったら試してみるしかない。

「俺は片想いでいいとそう思っていたんだがな」

なまえが幸せそうに笑っているならそれでかまわない、と。

「このまま放っておくわけにはいかねェな」

ここから攻めていく。
そう決めた。

「王子」は大抵幻想
本当に想ってくれる奴は舞台裏にいるんだよ大抵。

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