70:召使いの誤解

「まさか本当に……?」

そう言ったのはクザンだった。

「取り込まれたらしい」
「………………あいつが?」

深い長息の後、現実を飲み込み切れていないクザンがゆっくりと言う。同じく溜めに溜めて頷いたセンゴクが重い唸り声を吐き出しながら目を閉じた。――重い。二人の空気はここ最近で一番重かった。

「おいおい……どうすんだよ、センゴクさん」
「……はぁ。困ったのぅ…………」

センゴクは頭を抱えていた。政府からの要請があったとして、あんな若い娘の命に手をかけるようなことはしたくない。……が、それはエゴであり、現実的に考えて、適当な言い訳で交わしながら娘の命を繋いでいくことは難しいだろう。

今はちょうどサカズキもボルサリーノも任務で本部にいない。――が、彼らが本部に戻り、この事実を知ってしまったら……即日処刑が決まってもおかしくない。……止める理由も浮かばず、手立てを立てようにも今すぐには無理じゃ。

「はぁ…………」

ため息しか出ない。

「あららら~。あいつで大丈夫なら、と思っていたんだけど。まさか、駄目押しになってしまうとはねぇ……」

クザンが言った通りじゃ――センゴクは、スモーカーという男の真面目さを理解していた。女に対しても平等で分け隔てがなく、色欲に興味がない。そういうところを評価していたからこそ、今回も任せたのだ。もちろん、ちょうどいいところにいたというのもあったのだが。

そんな男ですら手玉に取るのか、あの娘は。軽い冗談だったとしても、あの場でサカズキやボルサリーノを相手としなくて本当に良かった。クザンはすでに能力を取られたらしいが、この男は手慣れている分、耐性があった。それが功を奏し、呑まれるまではいっていない。――――もしもサカズキやボルサリーノなら…………、クザンよりも大真面目な連中じゃ。危なかったじゃろうな。

「スモーカーの様子はどうじゃ」
「どうって……まぁ。…………完全に番犬になっちゃってるよ、あいつ」
「………………」

あぁ、胃が痛い――

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性交渉の最中、スモーカーがなまえに提示した条件。それに関しては、二人とももうすっかり忘れてしまっているのだが――、なまえが状況をひっくり返せなければ、今後はスモーカー引いては海軍に逆らわずに言う通りに生きること。逆に、状況をひっくり返せたのであれば、スモーカーがなまえの言うことを聞く。それがスモーカーの提示した条件であり、図らずも見ての通り――

「あのう……スモーカーさん? 仕事はいいんですか?」
「これが仕事だ」

そう言って、スモーカーはなまえを膝に乗せたまま、器用に新聞を読んでいる。

「鬱陶しいのですが」
「仕事だっつぅてんだろ。俺はてめぇの護衛をする役なんだよ」
「……え、でも。さっきクザンさんが電伝虫でこっちに来いって」
「知らねぇ。俺の上司はあいつじゃねぇ」
「……いいんですか、それで」
「…………あぁ」

すりぃ……♡ と、大型犬がすり寄るように顔を近づけて甘えてくる姿に、駄目だと分かってはいても、きゅんとしてしまう。…………これは駄目だ。可愛すぎる。何この人、言っていることとやっていることが全然違う。なまえは困惑しつつも、その顔は緩みまくっていた。………………可愛い。

:
:

しばらくして、センゴク元帥に呼び出された。もちろんスモーカーも一緒に向かう。入室した部屋には元帥しかおらず、今回はクザンが同席していなかった。

「ご苦労だった。下がっておれ」

流石のスモーカーも海軍トップにそう言われたら引き下がるしかないらしい。シオンが隣を見上げると分かりやすく眉尻を落としていた。あからさまにしょぼくれているのでシオンは苦笑しつつ「(そんな姿にしちゃって)ごめんね」と手を振りながら、スモーカーの背中を見送った。

パタン――

「「はぁ~~」」

ため息が二つ、タイミングよく重なった。自然と視線がかち合う。元帥が不思議そうに私を見ていた。

「まんまと嵌められたと思っておったが、……違うのか?」
「は、はめ…………? …………あ、あっ、まさか!」

そこでようやく悟る。元帥がしかめっ面でいる意味を。私に騙されたと思っているのだ。それは断じて違うので、全力で誤解を解きにかかる。

「……違うんです! 私だって別にやりたくてやったわけじゃなくってですね……そのう。不可抗力っていうか。正当防衛というか……って言っても、言い訳……になりますよね。本当にすみません」

あの厳ついスモーカーさんが見た目はそのままで若い娘について離れないんだから。ここに来るまでも周りの目が刺さって痛かったです……ハイ。

「……そうか」

そう言ったきり、元帥は黙り込んでしまう。重い空気が流れて、ひりひりと喉が痛んだ。……この後はどうなってしまうんだろう。スモーカーさんの状態は深刻だ。どう見たってツキツキの実が影響している。分かってはいても、目の前に影響を受けた人がいると実感せざるを得なくなる。これでもう言い逃れは出来なくなったし、元帥も今までのように甘い対応で済ませなくなっただろう。もしもそれで悩んでいるのなら、……悪いことをしてしまった。いずれ海兵になれと言われてはいるが、私はまだ海兵ではないし、……それにこんな危ない能力を持った女を海兵にしてしまっては、軍の規律を大きく乱しかねない、と考えられておかしくない。……私ならそう考える。で、行きつく先、悩みの種を手早く処理するとしたら、

私、死んだかも…………。

がっくり項垂れて両手で顔を覆って、打ちひしがれていたら「うんんっ」と元帥が咳ばらいをした。一人の時間に籠り過ぎていたらしい。ハッと顔を上げると、困ったような、申し訳なさそうな、……いろんな感情が入り混じった顔の元帥が私を見ていた。

「……悪いが。今後の身の振り方については予定とは違うことになりそうじゃ。決定するには今しばらく時間がかかる。それまでは部屋で待機してもらうことになる」
「あ…………はい」
「スモーカーとの接触は禁止じゃ。あいつには一時的に本部を離れてもらう。……確認するが、チカラは受け取ったのか」
「……いいえ」
「……本当じゃの?」
「はい。神に誓って」

神様なんて信じていない。……けど、口から滑り出た。あぁ――神様なんて信じるわけがない。だって、どんなに助けてって願っても、神様が私たちを助けてくれることは絶対にないんだから。

神……? そんなものに縋るくらいなら、俺に縋れ――

ふと、脳裏に浮かんだ漆黒のシルエットに私はふるり、と震える。私以外にそういう失礼なこと言う人を私は知っている。ふ――と少し気が緩む。きっと彼なら、同じ状況に置かれても澄ました顔をしているんだろうな。

「……どうかしたか?」
「いえ。……なんでもありません」

話し合いはそこで終了した。退出して辺りを見回すと、そこにスモーカーさんはいなかった。別の海兵が進み出て部屋まで案内してくれる。その後ろをついて歩きながら、ぼーっと考える。

流れに任せていたところで、運命は変わらない――ここまで来てようやく気付いた。自分で動かないと望む通りに変わることはない。そんな当然のことに。

望まれるままに動いたのに、事態はどんどん悪い方向へと流れていく。もともと悪い方向にいっているのだから、これ以上悪くなってもいいじゃないか。少しでも良くなることがあれば上々、そう思うだけで怖さが和らぐんだから、私って単純だ。

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