「ミホーク!」
軍艦の船縁から真下に飛び降りると、ちゃぷんと音を立てて棺船が上下に揺れた。そんな状況でも目を閉じたまま眠りこけているミホークの身体を大げさに揺さぶる。
「おーきーてー!」
煩わしそうに薄めを開く彼の目の前に顔を突き出して鼻先が触れるくらいに近付いた。そんな突拍子もない私の行動もミホークにとっては慣れたもの。全く動じることなく、つんとした声で彼は言う。
「話は後だ」
「え~~」
辺り一面を覆っていた氷は、燦々とした太陽の熱でもう殆ど残っていない。これなら問題なく船を通すことができるだろう。
離れていく最中、軍艦を仰ぎ見たけれど、そこにクザンさんの姿はなかった。人払いをしてまで話したということは、対外的には交流は最低限しかなかったということにしておきたいのかもしれない。真意は分からない、……けど。
その意を汲んで、私達は静かにその場から離れていった。
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軍艦の船影が遙か遠くになった頃合いでミホークが徐に口を開く。
「……それで?」
「…………あ、うん」
思い返してみると、クザンさんと話した内容って、わりと曖昧だった……というか、説明が難しいというか。
「…………」
「今から海軍本部に向かいます!」
「突拍子もなさ過ぎて理解が追いつかないが……。それは俺が悪いのか、それとも……」
「皆まで言わなくとも分かってるって。時間を有効活用したいから、まずは船を本部のある方角に合わせてくれる?」
懐から取り出したのはエターナルポース。実は、先ほどのクザンさんとのお話中に手の中に握らされていたものである。その時は「?」と思っていたけれど、最後の話まで行き着いたところで、彼の言いたいことを理解した。
わざわざそんなことしなくても、センゴクさんに会いに行くくらいはするっていうのに。まぁそれに、ミホークのお仕事もあるし。
「…………はぁ、これでいいか。我が儘娘よ」
「娘って言うな、叔父さん」
「……叔父さんはきついな。せめて『叔父様』くらいにしておいてくれ」
「……え、それは普通に素敵だから嫌みにならないじゃない」
……叔父様。確かにミホークは年齢的には叔父様に相当するだろう。立派な髭を蓄えているし、佇まいは海賊の癖になんか品がある。…………なぜなの?
「確かに。俺は素敵な『叔父様』だが、それは置いておけ。奴との話はどうなった」
「自分で言わないでよ」そう言いつつ、うん……まぁ、素敵な叔父様で間違いはないなと笑ってしまった。
「なまえのそういうところが好きだ」
「?」
振り返る――と、ミホークの腕伸びてきて、少し離れたところに立っていた私の腹を抱えてぐっと引き込むように抱き入れられた。腰掛けている彼の上、結構な衝撃でお尻からミホークの太ももの上に着地したけど、そんなことで彼は揺らがない。
「すぐに顔に出る。俺のことを考えていただろう?」
「っ、」
「…………背けずともいいだろう? それとも、このまま……」
「だ……だーめッ!」
耳元の悪魔の囁きを振り切るように首を振る。ふん――と少し残念そうな鼻息が聞こえた後、腹に回されていた腕が緩んだ。
「センゴクさんに会いに行くの」
「センゴクに……?」
……その目的はなんだ?
ミホークが飲み込んだ言葉はだいたい分かる。そして、彼がどうしてそれを飲み込んだのかも。聞くのは簡単だが、聞いてしまったら、言うか言わないか、私がどちらかを選ばなければならなくなる。そのせいで、何か、余計なことがここで選択されてしまうかもしれない。彼はこの一瞬でそれを懸念し、口を閉ざしたのだ。
長い沈黙の間、私は思いを巡らせていた。クザンさんとの話の全貌を彼に伝えてもよいのだろうか……。もし伝えてしまったら、何か大きなことに彼を巻き込んでしまうような気がして、そうなってしまったら……なんだか嫌だなと思った。
ミホークは自由な人だ。自由がよく似合う人だからこそ、縛りたくない。私は彼のことが大好きで、嬉しいことに彼も私のことを大好きだと言ってくれる。彼が望んでくれる限り、私は彼の傍にいたい。
……好きだと言った相手だから、その相手が困っているから、だから助ける。もちろん、それが愛の形だと思うし、そうなればどんなにロマンチックだろうかと惚けもする。……だが、現実はどうだろうか。…………大好きなミホークさんが私のせいで自由を失ってしまうのが嫌だ。彼にはいつだって自分の生きたい道を歩んで欲しい。
……だから、私は言わないことにした。
今は、言わない。この先は分からないけど、今は言う必要がないと思った。
「なんかね、私に会いたいんだって。ほら……前に本部で会ったときは私が怪我をしちゃったでしょう? そのお詫びでもしたいんだろうって」
「…………」
何となく、彼の神経が尖ったような気がしたので少し慌てた。
「……まぁ? ミホークさんが顔を出していないから連れてこいというご命令もありましたけど? それはもう言わなくても……」
「……はぁ、分かった」
「おーすごい。今回は素直じゃん」
「ただし条件がある」
「えー何? もう仮面は被らないよ、……というか、それはもう意味ないか」
「その後は俺の言うことを聞くこと。いいな」
「はーい」
ふふ――目が合うだけで自然と笑みが零れてしまうのは何故だろう。私に釣られたのか、彼も目を細めて口元を緩めてくれて、薄らと笑みを作っている。
あぁ――幸せだな。
ふわりと潮風が吹く。パタパタと真上の帆が揺れる。またこうしてミホークと旅ができる。それがこの上なく嬉しかった。
あ、そうだ。
懐から取り出した一枚の紙。
「それは?」
「ん?」
ミホークが覗き込んだところ、そこに映るのは麦藁帽子がよく似合っている満面の笑みの少年。
「なぜ持っている?」
「会ってみたいなぁって思って持ってきた」
あぁそうか。頷いたミホークが少し首を傾げて言う。
「……どうだろうな。会うのは難しいだろう」
「え、そうなの?」
「この広い海。奴らを追いかけたところですれ違いになるのが落ちだ。探し人にそう簡単に会えるものではない。特に新世界は厳しいところだからな」
「そっか……確かに、そりゃそうだよね。この広い海で何度も会うことができるってすごいことだよね」
そんな当たり前のことを私は忘れていた。
ついさっきのこと。
クザンさんに『友人』と言われたとき、嬉しいという感情よりも先に違和感を覚えた。たった二回。それだけしか会っていないのに、普通それで友人と呼ぶものなのだろうか、と。そう思っていた。
だけど……今のミホークの言葉で考え方が百八十度、変わった。この大海原を旅する者達にとって、誰かとの出会いはいつも新しい。だからこそ、その出会いを大切にする。もう二度と会うことはないかもしれないからだ。大切なことは、互いを想う気持ちだとか、一緒に過ごした時間だとか。形にはならない、できないもの。それが何よりも大切なんだ。
回数は関係ない。互いの思いが繋れば、それはもう友人となる。
クザンさんはああ見えて海軍大将を務めている。彼にとってはそんなことはわざわざ口にする必要もない程に、当たり前のことだったに違いない。少し……ほんの少しだけど、彼を見る目が変わった。やはり海軍大将をしている人なのだと、見直した。感慨深くなりながら、ふと――水平線に目を向ける。
「……どうした?」
「ちょっと思うところがあって……。さっきね、あの大将に一友人として無事を祈っているって言われたものだからさ。へんな感じがして…………」
――うん。なんだか無性に楽しくなってきた。
次は誰に会うのだろうか。何があるだろうか。私はもう守られるだけの存在じゃなくなった。私は強くなった。それが前回までの旅との違うところ。だからどこへだってミホークについていくことができる。今はそれがとても誇らしく感じる。
「ミホーク!」
「?」
「私、友達たくさん作ろうと思う!」
「…………」
なかなか良い目標ではないだろうか、と自画自賛して言ったことだったのに。ミホークにあからさまに嫌そうな顔をされて、頭を横に振られた。「やれやれ」そんな言葉が聞こえてきそうな勢いだった。…………なぜだ。
「やめておけ」
「なんでよ!」
「友人? 相手にとってのそれは本当に自分が考えている友人と同じものなのか。その辺の線引きは曖昧だ。なまえが友と思っていても、案外相手はそうじゃないこともある。特に、男と女の間は難しい」
「えーそんなこと言ってたら何にもできないじゃん! 楽しくないじゃん!」
ふーむ、そうかもな。揶揄い混じりに笑うミホークの横顔を唇を尖らせて睨みつける。それを毛ほども気にする様子もなく、彼は目を閉じて言った。
「少なくとも、俺は今が一番楽しい」
そんな彼の一言で、私の悩み事なんて一気に霧散したのだった。

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