逸る気持ちを抑えながら見上げた先には、両開きの大きな扉があった。ここに来るまでにあったどの扉とも違う重厚な装飾。それだけで、この先は別格であるのだと理解できる。
本来なら、固唾を呑んで、恐怖心と対抗すべきところ。だがしかし、私は違う。
コン、コン――
「…………入れ」
一拍の間の後に返された入室の許可を伝える声は当人のものだった。扉の周りには誰もいなかったし、部屋の中にも部屋の主以外の誰もいないのかもしれない。
「失礼します」
頭を伏せて入室したあと、静かに扉を閉じる。
今回は正装を心がけ、服装を変えて来ている。少しでも敬意を見せたかったからだ。軍服までは行かないけれど、フォーマルにシャツを着て、長いコートを羽織り、靴も革靴を履いてきた。スカートにするか、ズボンにするかで、結局ズボンにしたのは、あまりにシャツ姿が似合っていなかったので、どうにか浮かないようにしたかった。…………まぁそれでも、服に着られている感は否めず。ミホークには可愛らしいお嬢さんがいたものだと思いっきり揶揄われた。当然、そんな奴は置いてきてやった。
ひらり――コートの裾を翻す。
部屋の中央にある大きな机には、本やら書類やら、いろいろなものが高く積み上げられていた。辛うじて見えたのは、ぴょこぴょこと揺れているカモメの帽子。カリカリと万年筆が走る音がするので、キリがよいところまで書き切りたいのだろう。少し待とう。
それから一分も経たないうちに、トトンと軽やかな音と共に重厚な椅子が床を擦る音がした。
宙を舞っていた視線を向けると、センゴク元帥がそこに立っていた。
「本当に来るとはの」
元帥が後ろ手に手を組んで、こちらにゆっくりと向き直る。
「大将青雉からの連絡は届いていたようですね」
にっこり、外向きの笑顔を作ると、「あぁ、昨日聞いた」と。
昨日って……。私たちが会ったのは一週間くらい前だったと思うんだけど。あの人、昨日まで一体何をしていたんでしょうかねぇ。
考え込んでいたら、ふと、元帥の隣に気配がして視線が向く。何処からか、とことこと歩いて来た白ヤギが「メェ~~」と鳴いて、元帥にすり寄った。
確かあのヤギは……。前回の会議の場にもいたと思うけど、もしかしてペットなのだろうか……? 不思議に思いながら小首を傾げていると、机上の書類数枚を手に取った元帥が何気ない顔で白ヤギの前に差し出す。
ムシャリ――ヤギが書類を食べた。
「……えぇっ!?」
吃驚仰天。あんぐりと口を開けて一人と一匹を交互に見つめる。その間もむしゃむしゃと当然のように食べていくヤギ。思わず聞いてしまう。
「……いいのですか?」
「ん? こやつの仕事じゃよ」
「仕事?…………あぁ、なるほど!」
そうか! 残して置きたくない書類はヤギが食べるのか。……確かに、手っ取り早いし、誰かを仲介して処分するよりもこの方が確実だ。
「まぁ、たまに大事な書類も食べてしまうが……」
…………食べちゃうんだ。
「まぁそれはそれで愛嬌があってよい」
…………いいんだ。
ふふっ――思わぬ出来事に堪えきれず、零れた苦笑。「失礼を」とこちらが取り繕うよりも早くに、「緊張せずとも」と、今度は元帥が苦笑する。
自分ではそんなつもりはなかったんだけど。……どうやら私は緊張していたらしい。元帥の気遣いのおかげか、すっかり普段の感じに戻ることが出来た。
にっこりと、今度はいつもの笑顔を浮かべる。
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
「あぁ、おかげさまで、胃痛の種がひとつ減ったからの」
「それはそれは……」
「彼奴を連れて来てくれて感謝する」
「えぇ。機嫌はともかく、会議には参加しますので」
「助かるよ」
社交辞令と分かってはいても、海軍トップの元帥から、お褒めの言葉を頂くのはこの上なく嬉しい。「とんでもないです」と深く頭を下げる。
「少しくらい時間はあるか?」
「えぇ、大丈夫です」
「では、かけなさい」
来客用のソファの方に促されて、腰を据える。クザンさんのところのソファもふかふかだったけど、こっちもすんごい座り心地がいい。…………今度どこの職人さんのものか聞こうかな、……いや、本気で。
「王下七武海の招集は数日前にかけたところでの。訪問とタイミングが合ってちょうど良かった」
「そうなんですね。実は手紙は手元になく……。大将青雉から招集の話を聞いたもので。えぇっと……もちろんミホークのところにも出していました……よね?」
「もちろんじゃ」
「あはは……」
…………まったく。私の隙をついて捨てたに違いない。
「会議はいつからですか?」
「明後日じゃ今回は1日を予定しておる」
「分かりました」
会議を含めて三日か……せっかく本部まで来たし、ここでしか出来ないようなことをしたい。
「それで……、お前の方はどんな感じゃ? 二年も音信不通とは……」
「あぁ……それに関しては大変申し訳ありません」
王下七武海の招集会議で初めてセンゴク元帥に会ったあの日以降、実は、私たちは何回か会っている。……といっても、示し合わせたわけではなく、旅をしていた最中に、海上でばったりと出会うことが何度か会ったのだ。その度に、私を船に上げて話をして下さって、いろいろと良くしてくれた。
私からしたら元帥は雲の上の存在というよりも、ミホークの上司という認識の方が勝っている。加えて、ミホークが何かと迷惑をかけているようなのに、それを大らかに笑って諭してくれるものだから、彼はよい相談相手であり、頼りになる存在だった。
「クザンと話をしたなら、…………聞いたということで良かったかの?」
口を引き結んで頷く。一度落とした視線を上げ、センゴクさんの両目をしっかりと見返しながら言った。
「…………命令したのはセンゴクさんですか?」
「誰に向かって言っておる」
きゅ、と細く鋭くなった眼光が私を見ていた。目尻の皺が小刻みに揺れている。……はじめから分かっていたことだったけど……センゴクさんは恐らく、最後まで私をかばってくれたと思う。それでも、駄目だったんだろう。
「…………もっと、上の人でしょう、ね」
「…………」
返事は返ってこなかった。目を閉じて沈黙を貫く元帥を見つめながら、否定されないということはそういうことなのだろうと思う。
「安心して下さい。センゴクさんが心配するようなことはしないと思います」
……絶対、とは言えないけど。
にっこりと笑う。努めて笑うようにしたせいか、いつもより笑顔がぎこちなかったのか、疑り深い視線が私を貫いた。……やはり智将には敵わないですね。ここはあからさまでもいいから視線を逸らして話題を変えた方がいいだろう。
徐に立ち上がる。すぐ傍にある大きな窓が視界に入って視線を向けた。流石は元帥の部屋だ。本部の全体がよく見える。港の様子まで手に取るように分かった。ちょうど港に海軍の船ではない、見慣れない船が入って来ているところだった。
「センゴクさん、あれは誰の船ですか?」
コツコツ――窓を叩くと、額に皺を寄せたままのセンゴクさんが立ち上がってこちらに来る。
「……あれはドフラミンゴの船だ」
「あーピンク色の……?」
「ん? ……まぁ、そうじゃの」
「ふ~ん」
会議のときは全然話が出来なかった人だ。せっかく時間があるし、向こうも会議まで退屈しているようなら少し見学に行ってみようかな。ミホークにも相談して――
「なまえ、あやつには十分気をつけろよ」
「え?」
「奴の考えていることはわしらと次元が違う。なんでも安易に考えないことじゃ」
ドフラミンゴという人がどんな人なのか、私は全然知らない。でも、センゴクさんが忠告してくるってことは……そういうことなのだろう。
……でも、でもさ。
今の私にとっては、むしろ海軍とか政府とか……、そっちの方が手出しができない分、やっかいな気がしてならないんだよね。相手が海賊なら、センゴクさんが動ける。だけど……、そのセンゴクさんやその上にいる天上のお人達に刃向かう力は私にはないんだから。
ドフラミンゴよりも、ずっとずっと怖いものは別にある。
「どうしたなまえ?」
「…………いえ。ご忠告、ありがとうございます。気を付けます」
そんなこと、センゴクさんは承知の上で言っているのかもしれないし、単に上の方々を信頼し、その意見を全面的に支持しているだけかもしれない。そこのところはよく分からない。だから、今ここで私の考えをひけらかしたところで、意味があるとは思えない。……むしろ、ただ弱みを作ってしまうだけのような気がして。
センゴクさんには悪いけれど、相手を信用するかどうかは、己の目で見て判断しようと思う。
喉のすぐそこまで出かかった言葉を何とか飲み込んで、私はにっこりと笑うことで誤魔化した。センゴクさんはそれ以上、その話題を追求することはなかった。
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その後、少しだけ世間話をして、そろそろお暇しようとしたときだった。
「では、そろそろお暇を……」
「あぁそうじゃ、忘れるところじゃった」
「?」
「会議の夜、パーティーが開かれることになっての」
「……パーティー? 海軍と海賊の……?」
何そのハチャメチャになりそうな予感しかしないパーティー。
「そんな目でわしを見るな。わしもどちらかと言えば否定派なんじゃが……。上が決めたことでの。今回は大人しく開催せねばならん」
「パーティーの目的は何ですか?」
「親睦会とでも言ったらよいか」
「親睦会……海兵と海賊の?」
「正しくは、『七武海と海軍』のだそうじゃ」
「相容れない存在なのに……? はぁ、そうですか。上の考えることは本当によく分からないですね」
「……まったくな」
頭を痛そうに抱えているセンゴクさんの姿が不憫すぎる。準備をするだけでも大変だろうに。
っというか、親睦会なんかしたところで、海兵と海賊が仲良くなるわけでもないのに。一体何の意味が……? 他に何か目的があるのでは……? よく分からない。理由がはっきりしないからなんか勘ぐってしまう。
七武海と海軍のなら、ミホークは出ないとダメだろうなぁ。服、どうするんだろう? 明日にでも一緒に買いに行った方がいいのかな? せっかくだし、一緒に買い物に付いていって私が選んじゃってもいいかな。前々からちょっとかしこまった服を着せたいと思っていたんだよねぇ。なんてったって、ミホークは素材がいい。うふふ……この際だ。願ってみよう。
「では、ミホークは出席必須ということ、ですね?」
「当然じゃ」
よし! じゃあ……
「あとはなまえも出席するように」
「…………は、い?」
「拒否権はないぞ」
「……なぜですか?」
「数合わせとでも思っておいてくれたらええ」
「数合わせ? ……そんなものなら、お店で何人か雇った方が、よっぽど気の効く女の人が来ていいと思いますよ?」
いやだ。人の目に晒される舞台に出て良いことなんて一つもない。私はあくまで鷹の目のミホークの付き人であって、表舞台に立つべき人間ではない。そんなのはまっぴらごめんだ。それはセンゴクさんも重々承知しているはずなのに、……今更どうして。
「……悪いがなまえ。ここは折れてくれ」
気まずそうな言動。伏せられた視線。重い空気。
……あぁ、そうか。
「…………」
鈍い私でも分かった。またしても、上からの命令ということ、ですね。……忌々しい。どうして政府はそんなに管理をしたがるのか。私は政府に楯突くつもりなんて微塵もないって幾度となくいっているというのに。あの人達はどうしてこう毎度毎度……。
「……わしに最後まで言わせるでない」
「ハァ…………」
えぇ、はい。分かっていますとも。
「…………分かりました」
こくり、こくり――飲み込みきれない現実を無理矢理に嚥下しながら、言うことを聞かない自分の気持ちを振り切るように強引にゆっくりと頷いて返す。
なんとか顔を上げると、大変申し訳なさそうに眉を八の字に落としているセンゴクさんの姿があった。なんであなたがそんな顔をするのですか。
「すまない……」
「いえ、いいんですよ。センゴクさんはいつも良くして下さっていますから」
手の届く範囲のことなら、センゴクさんは便宜を図ってくれている。それだけでも大変有り難いことなのだ。欲深くなってはいけない。人の好意にはきちんと向き合わないと。今回は今までのセンゴクさんの好意に対して、お返しをする時なのだ。
「では、さっそく着る服を買いにいかないと」
「手間をかけるの」
「せっかくですから、買い物を楽しむことにしますよ」
精一杯の気遣いを込めて返事を返す。ではまた――そう言って、部屋を後にした。
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扉を閉めて深いため息を吐き出す。……疲れた。「えぇっと、この後は……」とぶつぶつ独り言を言いながら、何気なく振り返ったところで驚いて立ち尽くす。
そこには置いてきぼりにしてきたミホークがたいそう殺気立った様子で待っていた。
「ずいぶん遅かったな」
「あはは……」

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