two
:
それに気づいたのは数ヶ月後のこと。クザンはそもそも仕事をしないせいで仕事が溜まっている。ボルサリーノとわしの仕事の進歩具合はそう変わらない。ただ、わしの方が外へ出る回数が多いせいか、本部にいる回数が少ない。普通に考えれば、それは当たり前のことだった。
あの事務官と接する回数が一番少ないのはわしだということは。……が、どうにも納得がいかない。噂はよく流れている。廊下を歩けばその話題だ。3人でセンゴクに呼び出された際に事務員が話すのはその2人が主となっていた。別にそれがダメだと言いたいのではなかった。でも、なぜか。その輪の中に自分が入っていないということが嫌だった。
そう、それに気づいたのが出会ってから数ヶ月後だった。
「サカズキ大将、どうしたんですか?」
「あァ?」
珍しく部屋に入って来たその事務員は書類にペンを走らせるわしの方へ歩いてくる。
「そんな書類は私が代わりにやりますから」
「いい、これぐらいわしでもすぐ終わるけんのう」
「ですが、サカズキ大将には他にもやらないとけない仕事が沢山あるではないですか」
それはそうだが。その言葉を無視してペンを走らせ続けると、事務員が突飛な行動に出た。わしのペンを握る手を握りしめて強制的に止めたのだ。その行動には心底驚いた。この女にそんな度胸があったとは。
あまりの衝撃に体が固まる。完全に油断していた。
「サカズキ大将! ダメです! 言うことを聞いて下さい」
「なんで大将であるわしがただの事務員であるおどれの話を聞かんといけんのじゃ」
「ただの事務員ではありません。3人の大将専任の事務員です!」
ああ言えばこう言う女、苦手なタイプじゃと顔を背ける。
「大将!」
「分かった。分かったから手を離せい」
「……あっすみません!」
今更顔を赤らめられてもこちらは悪くなけんのうと顔を見る。にこりと笑った女は良かったですと呟くように言った。この女はなぜこんなにも一生懸命なのかと思った。
「では、書類をこちらに」
「いや、途中まで書いてしもうたけんのう。これはわしが仕上げる」
「……これだけですよ?」
「分かっておる」
うっとおしいと一喝すると、なぜかふふふと笑う女。何がそんなにおかしいのか。
「終わったら休憩でも……お茶、お入れしましょうか?」
「あぁ、煎餅も頼む」
「煎餅?」
――しまった。口が滑った。ガープとのやりとりの癖でつい言葉が出てしまった。罰が悪くなり口ごもる。
「サカズキ大将は煎餅がお好きなんですね。ガープ中将と一緒です」
この女、ガープと知り合いか。
「煎餅もお持ちしますね」
部屋の隅にある給湯室から聞こえるカチャカチャという音。この部屋にわし以外の誰かがこんなにも長く滞在しているのは初めてではないだろうか。書類そっちのけでそんなことが思い浮かんだ。人がいる。気配がする。というのも案外悪くないなと、らしくないことを思い、すぐに我に返る。あぁ、どうしたというのか、わしはこの女に毒されてしまったというのか。
書き終えた書類を横に置き、湯呑みと煎餅の乗ったお盆を受け取る。ズズズッ、ゆっくりと口に運ぶところまで見届けた女も同じように湯呑みを口に運んだ。
「美味しいですね」
「あぁ」
柄にもなく、口元が緩んでしまったが、それも湯呑みで隠れて見えてはいないだろう。そう思い込むことにした。
ぶるぶるぶる、ぶるぶるぶる――
こんな時に誰じゃと心底嫌な気分になる。せっかくの一時を。受話器を上げればその相手に余計気分が悪くなった。
「あぁ、サカズキ? そっちになまえちゃんいる?」
「何だ?」
「あらららら~、何々? 機嫌悪いの? まぁいつものことだけど。それより、いるなら代わってよ」
相変わらず勘に触る奴だ。受話器を耳から離し、話題の女を見つめる。そうか、この女はなまえと言ったか。ふと、興味が沸いた。
「なまえ、クザンからだ」
「え? あ、はっはい!!」
目がまん丸と開き、驚きに満ちた表情。その原因はクザンからの電話に対してか、名前を呼ばれたことに対してか。どちらかは分かりそうにはなかった。
「はい、なまえです。えぇ~もう、またですか? は~い。分かりました。…………え、それ本当ですか? はい、はい。分かりました。今すぐ向かいます」
始めの方の会話はたわいもないもののように聞こえていたので、また下らないことを言っているのだろうと思っていた。しかし、途中からなまえの顔付きが急に変わった。何かあったのか。
「どうした?」
「えっと……、私クザン大将専任の事務員になるそうです」
あははと笑うなまえはもはやそうなっていたのであんまり変わらないんですけど、正式にそうなるそうです、と続けた。あぁ、そうか。ずっとこのふつふつと沸いてくる感情になんという名を付けるべきかと悩んでいた。……が、今分かった。
「それはもう決まったことか?」
「えぇ、ほぼ。あとは私がサインすれば……」
「じゃあ、こういうのはどうじゃ?」
「え?」
椅子から立ち上がる。何ですか? と首を傾げるなまえを一別し、部屋から出ていこうと扉のノブに手をかけているところへ大股にゆっくりと歩いていく。あくまで余裕を持って。
掴んでいる手をやんわりと握り、ノブから手を離させる。その行動が理解できないとあからさまに不審な顔をする様子に笑いそうになるのをなんとか堪えた。
「サカズキ大将?」
一歩足を引いて距離を取る。ただでさえある身長差ゆえに下から見上げる者からすれば、近づくと怖さは増すばかりで、嫌だろうと思っての判断だった。しかし、その行動がよりなまえの頭を混乱させてしまったらしい。
「えぇっと、もう行ってもいいんでしょうか?」
話が通じないなとひと笑い。ついに笑ってしまったと内心では大笑いだった。再びノブに手をかけるなまえの手を今度は強めに握りしめた。ギュッと握りしめられてどうしたらいいのか分からないと視線を一点、ノブの方向を見つめたままのなまえは決してこちらを見ようとはしなかった。今、頭の中はパニックというわけか。
「なまえ、お前には付きおうておる奴はおるか?」
「……へ?」
自分でも思う。なんてストレートなことを聞いたのかと。おそらくなまえもそう思ったのだろう。きょとんと今自分は何を聞かれたのだろうかと理解しきれていない様子だった。
「どうなんじゃ?」
「え、えぇっと……いませんけど?」
「そうか」
良かった。まずは一安心。
「好いている奴は?」
「え、あの……サカズキさん。さっきからどうしたんですか?」
「いいから答えろ」
「ひっ」
あぁ、しまった。少し声を上げてしまった。それだけでこの怖がりよう。もう少しどうにかしなければなと自身に毒づく。少し怯えたその目をジィッと見つめ続ければ、観念したようにその口が開かれた。
「いません。……けど」
「けど?」
「最近になって言い寄られた人がいます。今はその人が少し気になっていて」
「誰じゃ?」
「え、えぇっ!?」
まさか、そんな! 言いませんよ!? と慌てる様子に眉間に皺が寄った。なまえの顔が少し赤く染まった。おもしろくない。
「わしの知っている奴じゃな?」
「えぇ~っと……」
目が泳いでおる。バレバレじゃろうて。
「では、わしの知人の名を一人一人上げていこうかの」
「ちょ、それは勘弁してもらえないでしょうか?」
「なぜじゃ?」
「私昔から顔に出やすいらしいので……」
「……元帥、ボルサリーノ、クザン、ガープ、ストロベリー、モモンガ……「ちょっとサカズキさん!」」
うぅ~とまるで犬のうなり声のような声。決してこちらを見ようとはしないその耳は赤く染まっていた。なるほど、つまりこの中にいると……
「なるほどな……」
「意地悪!」
「ん?」
「サカズキ大将の意地悪! そんな大将なんて大嫌いです!」
「なっ!?」
しまった。衝撃の言葉につい緩めてしまった手の内からなまえの手がするりと抜けていく。気づいたときにはもう、彼女は扉をくぐり抜け、バタンと空しくしまる音が部屋に響いていた。
急がないと失うと感じた焦燥はいつ以来だろうか。まさかこの年になって感じるとは自分でも驚きだと感慨深くなる。しかし、どうするのが一番いいのか、少し迷うな。取りあえず……
「呼び戻すとするかのう」
受話器を上げて数回コールすればお目当ての人物が出る。伝え忘れたことがあるから呼び戻してくれと言えばそれで用事は事足りた。……さて、彼女はどう出るか、楽しみじゃのう。

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます