執務室。目の前には大きな椅子に深く腰掛けた男がいた。その男――サカズキという者はとても近寄り難い人間だ。身に纏う空気は重々しく、すれ違うだけで首筋を汗が伝う程にその存在は身の回りにいる者を威圧する。そして、私は今まさにその状況に陥っていた。
「報告せい」
「ハッ!!!」
敬礼。足踏みを一つ。斜め上を見上げたまま現在の状況をはきはきと述べていく。細心の注意を払い、額に頬に首筋にじわりと汗をにじませながら、一言一句間違いがないように。
「そうか。奴に伝えろ。合図は3と」
「ハッ!! 直ちに!!!」
敬礼。足踏みを一つ。くるりと体を回転させ、振り返る。そのまま扉に向かって駆けだした。
「ところで、なまえ」
ドアノブに手をかけたところでお声がかかった。名前を呼ばれるなど珍しい。……が、今までなかったわけではなかった。サカズキ大将が名前を呼ばれるときは大抵、
「この後空いておるか?」
業務外のことについての話だった。慌てて振り返って、また敬礼する。サカズキ大将の方を見ると視線が合ってしまった。慌てて視線を上に上げて返事を返す。
「ハッ! 本日はこの後クザン大将の元で仕事を……」
「その後の話をしておる」
「ハッ! 今日一日は本部に残って仕事をします!」
はぁ――と深いため息が聞こえてくる。サカズキ大将がため息をついておられる。いったいどうしたというのだ。私は何かやらかしてしまったのだろうか。どうしたらいいのだ。頭の中は今の状況をどう打開するかでいっぱいいっぱいだった。
「あのな、わしゃ化けもんじゃねぇけ」
もちろんそんなことは百も承知。私はサカズキ大将のことを化け物だと思ったことなど一度もない。ただその身に纏っている迫力に圧倒されているだけなのだ。自分の遙か上にある存在。今までしてきた経験も実力も何もかもが違い過ぎる故のこと。私からすれば大将は雲の上の存在で、そんな人を目の前にして緊張するなというのが無理な話だと思う。
「存じております」
息を吸い込んで、喉を詰まらせながら言葉を絞り出すようにして言った。こんなことを言ったら馬鹿にしているのか、と怒鳴りちらされるやもしれない。
「そう何かれ構わず叱りつけもせん」
いったい何が言いたいのだろう。
「なまえ」
「ハッ!!!」
「わしがそんなに怖いんか?」
その言葉を聞いて、ハッとした。ハッとした自分に気づいて、ようやくサカズキ大将が自分は化け物ではないとそう言った意味が分かった。私は恐れていたのだ。サカズキという男がいつ自分のことを怒鳴りちらし、叱りつけるのか、と。でも、未だかつてそんなことをされたことはなく。むしろサカズキ大将はいつも淡々として冷静で、とても落ち着いていた。
返す言葉に困った。正直なところ、私はサカズキ大将のことが怖い。……だって、一緒にいるだけで威圧感で胸が押しつぶされそうになるのだ。息苦しくて、目も合わせられない。
「わしが側近としてなまえを選んだのは、そうやって恐れながらも率直な意見を言う奴だからじゃ」
「…………それは当然であります。仕事ですから」
「あぁ、当然じゃて。だが、そんな当然のことができる奴は多くはないけんのう」
なんだか今この場にいるのが場違いな気がしてきてしまった。できるならこの場から逃げ去ってしまいたい。……できるわけないけど。視線を泳がせながら盗み見るようにしてサカズキ大将を見た。こちらを見ている眼差しは真剣そのもので、何をそんなに熱くなっているのだろうか、と少し気になった。
「かまわん。本音で言ってくれ」
「…………正直なところ言いますと、怖いです」
「何が怖いんじゃ?」
「何って……すべてですよ。だからどこがとか、そういう具体的なことはお話できません」
「……ではの、わしはどうすればいい?」
「どうすればって……え? それはどういうお話なのでしょうか?」
いまいちサカズキ大将の話していることが何のことなのか分からない。眉間に皺を寄せながら俯きかけていた顔を上げて大将の目を見た。そうしたら、大将は深く腰掛けていた椅子から立ち上がって、ゆっくりと前へ前へ足を踏み出しだした。ゆっくりと近づいてくる巨体。あまりに急なことだったのでどうすることもできず、その場でただ呆然と近寄ってくる大将を目で追った。すぐ目の前まで来た巨体を首を反らして見上げる。
サカズキ大将と目が合うとその目が細く鋭くなった。それだけで私の体は余計に強ばってしまって、息もし辛くて。奥歯をグッと噛みしめて、ただひたすら見つめ続けることしかできなかった。
サカズキ大将は何も言うことなく、小さく、本当に小さな息をひとつ吐き出して、右手を動かした。徐々にこちらに向かって伸びてくる手。まさかその右手で私を殴るんじゃ……? とそう思った途端、反射的に両目をぎゅと閉じた。顔を伏せて、衝撃に備えて体をグッと堪えるようにしてその手を待った。……でも、やってきた衝撃はまた別のものだった。
やんわりと頬を触ったのはなんだろう。
じんわりと頬に広がっていく暖かな感覚。頬を隠していた横髪が耳にかけられていく。まん丸と目を見開いて、俯いていた顔を上げて、首を反らしてまだ目の前に立っているであろうその人を見上げた。
「サカズキ……大将?」
見上げたその人の表情はいつもよりもほんの少し優しげで。再び頬を触ったのは大将の手で、私は訳が分からなくて、優しげな顔をする大将を怪訝な顔で見つめ返すことしかできなかった。
「……わしゃ化けもんじゃないけんのう」
頬に触れている大将の手はとても大きくて。微かに香ってくる薔薇の香りはきっと大将の香りだ。頬を撫でた手は遠慮することもなくそのまま首筋へと降りてくる。首にかかる髪を手で梳いて、首筋を柔らかく撫でられれば緊張しきっていた体からだんだんと力が抜けていく。その手つきがあまりに心地よくて目を閉じていたらサカズキ大将が言った。
「敬礼などいらん。もう少し普通に話してはくれんかのう?」
「でもそれは……」
「それは……?」
「……いえ、はい。善処致します」
それが私が尊敬する大将の願いというなら。
「そうか」
ゆっくりと離れていく手。目を開くと、どこか物欲しそうな顔をしていたサカズキ大将の顔が目に入った。
「今日はいつもよりおしゃべりなのですね」
そう言ったら、ぱちりとひとつ瞬いたサカズキさんが小さく笑っていた。
そのとき初めて知りました。あなたの手が温かいということを。そのとき初めて知りました。あなたがとても優しく、不器用な人間であるということを。
1day1novel title by いえども あなたの手が温かいということ

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