菜種梅雨

気まぐれでいつもとは違う道を通ってみた。いつもとは違う駅で降りて、いつもとは違う空を見上げて、いつもとは違う風景を前にして足を止める。

交差点の赤信号。行き交う人々の会話が途切れ途切れに聞こえてくる。

「もう少しで雨降るってさ」
「え、雨?」
「明日も雨」
「昨日も雨だったんじゃ……?」
「降ったりやんだりしてるね」
「だるいね~」

今日から4月――まだ寒さの残るこの季節に降るちょっとした長雨のことを『菜種梅雨』というらしい先日のニュースでそう言っていた。長雨と言っても続くのは数日程度で、明日には終わる見込みだとも言っていた。雨量も少ないということなので折り畳み傘で十分……

「…………あ」

しまった。会社に忘れてきてしまった。今朝、小雨が降っていたから使って干したままだ。こういう時に限って遠回りをして帰ってしまっている。あぁ、もう……。

交差点の信号が青になる。人々の波がゆっくりと動き出した。向こうに渡ってしまったら、コンビニがもうないかもしれない。来る途中にあったコンビニに戻って傘を買ってこようかな。

――と、そうこうしているうちに、青色信号は点滅し出してぱらぱらと雨まで降ってきた。なんたるタイミング。このくらいの雨ならきっと大丈夫。アーケードの下を通って凌いで……あ、信号が変わってしまう!

:

「お嬢さん」

サッと差し込んだ黒い影。頬に落ちていた雫が止まって、ボタ――、ボタ――と重い音が聞こえた。

え? と顔を煽り気味に見上げたらそこには黒い傘を持った上司が立っていた。私の上に濡れない様にと重ねられた傘にザァーと雨が当たる。どうやら危機一髪だったようだ。

「俺にあれ程『雨降るそうなので傘は絶対に持って行ってくださいね』と言っていた癖に自分は忘れたのかい?」
「え、あっ……あの、そんな! いいですから……!」
「いいや。ダメだよ。大事な部下が風邪をひいたら困るだろう?」
「っ、」

赤い髪をさらりと揺らしながら、真上から見下ろされて思わず心臓が飛び跳ねる。何これこのシチュエーションっ!! ち、近いっ……!!

「でっ、では……あの……傘を買うところまで……」
「え? 俺の車、そこに止まってるから。送るよ」
「…………え?」

傘から出ないようにね、と。まるで傘から出たらルール違反になるよ、という勢いのままに歩き出されて、いっぱいいっぱいになっていた私はなされるがまま、ほいほいついて行く。

真っ黒い車。セダンだ。ボディの縁は綺麗なシルバーできらきらとしている。車体には衣服が映り込んでいて綺麗に反射して見えた。

「わっ! 綺麗な車ですね!」
「分かるか!? 俺、車が好きで」
「あ〜分かります。そんな気がしてました。ふふっ」
「車は好き?」
「え? あ〜。車というよりは……何も考えずに過ぎていく景色を眺めるのが、好き……ですかね」

それは車好きからしたら邪道というやつに当てはまるかもしれない。そんなことを考えながらも思ったままに伝えた。そしたら……

「ドライブか! 俺も好きだ。何も考えずにずーっと運転するのは気持ちがいい……」

な! と向けられた綺麗な笑顔。先程までの緊張はすっかり吹き飛んで、私もつられて笑った。

「仕事はもう上がりなのか?」
「はい。今日は定時で上がりです」
「ははっ! それはよかったな。実はな、俺もそうなんだよ」
「それは良かったですね」
「あぁ、そこでだ」
「……?」
「このあと、ドライブにいかないか?」
「……え、私とですか?」

あぁ、もちろん――

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長雨が連れてきたのは……

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(さぁ乗って!)
(……これって乗ると持ち帰りされるパターンでは? さすがにそれは困……)
(はいはい、乗って乗って!)
(ちょっ! あのっ)

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20230927 End.

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