部屋に戻って来て開口一番。私を横抱きにしたまま、室内を見渡したミホークさんが言った。
「荷物は?」
「え? ……あぁ。船に運ぶようにお願いしています。もう積み込まれているかと」
「そうか」
「…………?」
「いや、その気をもっと別のところに回すべきだと思ったのでな」
「――っ、悪かったですね!」
「いっそ、あの場に置いてきてもよかったかもな」
「いやですよ! あんなところに居たら玩具にされるに決まっています」
「……ふん。そうすれば、少しは理解するのでは?」
「…………っ、」
そりゃあ迂闊だった私が悪いけれどさ。色々あったんだから仕方がないじゃないの……! とそこまで思ったところで、違和感に気付く。私はこんなにももやもやしているのに、ミホークさんの方からは全く、熱意……? といったらいいのか、そういう本腰を入れて話している感じが伝わってこないのだ。恐る恐る顔を上げた。
下から見上げたミホークさんの口元はにんまりと三日月を描いていた。
「っ、ちょっと! まさか冗談だ、とか言いませんよねっ!?」
「暴れるな」
ふふふ~ん――と鼻歌でも聞こえてきそうなくらいにミホークさんがご機嫌だ。冗談がうまく決まったと思っているらしい。こんなのは断じて冗談ではない! 揶揄いに等しいものです! っと言ってみたけれど右耳から左耳へと華麗に流れていったようだ。……くそう。悔しいっ! なんだか負けた気分。
「荷がないのなら、ここにはもう用はない。港に向かう」
「……はーい」
「なんだ、不服か?」
「いえ」
窺うように向けられた視線から逃れるようにふいっと顔を背ける。フッと軽い笑い声がしたので、喰ってかかってやると顔を上げる前に「舌を噛まぬよう口を閉じておけ」とこちらの返事を待つ間もなく、ミホークさんが走り出した。ちょっ……急に超加速されるのではないかと戦慄いたけれど、ミホークさんは自身の速さが常人のそれではないのだと理解しているらしく、かなり手加減して走ってくれた。おかげでそれほど揺れなかった。でもそうは言っても、空気抵抗はあるので落ちないように必死でミホークさんの首にしがみつく。心なしか背中に回る腕の力が強くなったような気がした。
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前髪の一部が立ち上がったまま、ふわふわと揺れている感じがする。気になるので適当に手のひらで撫でつけて整えた。目の前に広がるのは大海原だ。
横やりが入ることもなく、無事に棺船に乗った私たちは、海軍本部の港をすぐに出港した。テキパキと一人で出港準備をして船を出すミホークさんの隣で、私は座り込んだまま、ぼんやりと海を見ていた。
「…………疲れた」
「それはこちらの台詞だ」
どうやら一仕事を終えたらしく、ミホークさんがいつもの椅子に座る。それを横目に見ながら、ぐぐぐっと腕を伸ばして大きく深呼吸を繰り返した。そのままバタンと後ろに倒れて、今度は大空を仰ぎ見た。
「…………いい天気」
「会議に行かなければこんな苦労はしなかった」
……という、癒しの時間を容赦なく叩き割ってぶち壊したミホークさんが淡々と言った。どうやら、少しご立腹のようだ。本部にいたときはあれ程、冷静な様子を見せていたというのに、二人きりになった途端にこれだ。……まぁ正直? 嬉しいけどね? むふふ、と口元が緩みかけて慌てて引き結ぶ。
「でもその会議は、ミホークさんの仕事なんですよー。責任感持って下さーい」
「責任感? ……なんだそれは」
「えぇ…………」
どうやら本気で言っているらしい。思わず体を起こして確認したミホークさんの表情は、至って真面目だ。本気と書いて、マジと読む――っていうやつだ、これ。
こういう時は何を言っても無駄だろう。潔く諦める。
「いやいいです。責任感は忘れてください」
「……ふん」
「でも、会議への「なまえ、こっちに来い」……なんでですか。まだ話してるのにぃ!」」
そう言いつつ、呼ばれるのは結構嬉しい。例えそれが呼びつけられた、としても…………嬉しかったりします。寝転んで中途半端に上体を起こしたままの体勢だったので、取り敢えずその場に座り込む。背中に無言の圧力を受けて、渋々立ち上がった。
振り返ると、ミホークさんが真っ直ぐにこちらを見ていた。なんだか照れくさいな。気恥ずかしくなって視線を逸らしながら足を進めた。
「…………来ました」
ミホークさんの目前に立つ。座ってもなお、視線は私よりも上にあるのが気に食わない。たまには見下ろしてみたいものだ。いつだったか、階段の上から見下ろしたときはすぐに背中を向けられてしまったから、見上げてもらえなかった。思い返せばベッドの上でも伏し目が基本で、ミホークさんに見上げられる機会はなかったかも……。そんなことを真剣に考えていたら座るように命じられた。くるりと回って、指示通りにミホークさんの足の間に座る。――と、肩を触られた。
「っ、…………」
「…………痛いか?」
「…………ちょっとだけ、です」
嘘だ。結構痛い。腕が上がらないくらいなのだから、軽症ではないだろう。視線を泳がせながら答えたせいか、声が震えてしまった。左側の腹に手を添えられて、首と体をねじるようにして、足の間から上へと移動させられる。「重いよ!?」と慌てた言葉は聞き流されて、互いの顔が向かい合った。
思っていたよりも至近距離で、じょり、とミホークさんのお髭が頬に当たって、くすぐったくて目を細めた。左手の指の腹を使って、じょりじょりと遊ぶように触る。お髭の横のお肌はつるぴかで、見事に整えられた様子に感嘆の声が漏れるほどだ。まぁでも、夕方になるとまた生えてくるんだろうな。男の人も大変だ。
「……なまえ」
そのすぐ上から鋭い眼光が注がれる。視線を送るとミホークさんの目が細まった。私が意地を張っていると思ったのか、それとも嘘をついていると見抜いたのか、どちらかは定かではないが、困ったように笑い返すとミホークさんの眉間に皺が寄った。ご立腹だ。
「……皺。老け顔になっちゃいますよ。綺麗なお顔が台無しです」
額の深い皺に左の親指の腹をぐぐっと押し当てた。皺よ、なくなれ~! そんな思いを込めて指を退けると、……あら不思議。堪らず声を漏らしたミホークさんが優しい笑みを浮かべていた。
「……まったく。相変わらずだな」
「……ふふ。相変わらずですみません」
ミホークさんが優しく包み込むように抱き締めてくれる。暖かい。頭をミホークさんの体に傾けて身も心も委ねていく。
「痛いのだろう? 無理はするな」
「…………はい」
右肩に添えられたミホークさんの手の甲に手のひらを重ねる。
「でもこれは自業自得で負った傷なんです。だから、少しくらいは我慢させてください。痛みが続く間は失敗したことを思い出したいですし……」
己の見通しの甘さに関してはもっとよく考えていかなければならないとこの件で身に染みた。
「変わった考え方だな」
「ミホークさんだって、若い頃はそういう時がありませんでしたか?」
「……随分と昔のことだからな」
「少しだけ、見守って下さい。私だって、ずっとお荷物のままじゃ嫌ですから」
「…………余計な心配だろう。俺がいる……と言いたいところだが、まぁ確かに。今回のようなことが、今後ないとは言い切れない。一番は、なまえが自制心を持つことだろうが……」
「……う。…………耳が痛いですね」
それに関しては苦笑するしかない。
「難しいのだろうな」
「ミホークさんだって、人のことは言えないですけどね!」
「…………似た者同士と言えば聞こえはよいが、言い換えれば協調性がないとも「み、ミホークさんの口から協調性なんて言葉が出てくるだなんてっ!!」」
「少し黙って聞け」
「……はーい」
「自分の尻拭いは自分でする。その姿勢に関してはよいだろう。だが、別に痛みを我慢する必要は無い。体は資本だ。早く治すのはいついかなる時であっても優先事項になる」
……反論の余地もない、真っ当な意見に震えます。普段は煩わしさから逃げているミホークさんは、時折ここぞとばかりに本気を出して来られる。……うん。この人は大変出来たお方だ。
「だから、まずは傷を癒せ。なまえ個人の振る舞いに関する話はそれからだ。……いいな」
「……はい」
ふん、やけに素直だな――と言いたげな表情。撫でるように顎を触られて、ふいっと顔を背けた。久々の真面目な説教だったので、なんだか居心地が悪い。説教を垂れた側は普段と変わらず。様子を窺うようにして覗き込んでくる。それを手のひらで軽く制すると、その手を払いのけられた。
「傷心中の女性の顔を見つめる趣味でもあるんですか」
「傷心中なら、尚のこと、見つめるべきであろう……?」
「……え、それはなんっ、」
親鳥が雛鳥に餌を与えるように、上から口付けが降ってくる。瞬く間のことで何度か息継ぎをしたのちにようやく、あぁ……慰めてくれているのだと気が付いた。
「……っ、怪我しているんですからっ」
「肩は動かさないようにしている。俺を誰だと思っている」
「…………」
くそう。なんでこの人はこんなに唯我独尊なのか。なんでこんなにも格好がいいのか。あぁ……もう、腹立たしい。…………でも確かに譲歩してくれているらしく、いつもよりも控えめなような気がする……気が?
「あの獣のような男から聞いたが」
「……え、獣? 獣って……誰のことですか?」
「決まっている。この肩の原因を作った男だ」
「あ…………。それはまた何とも……」
「なまえは、悪魔の実の能力者だったのか……?」
それは――いつかは知られることだった。だから負傷をして病室で横になっていたときに考えていた。もしもミホークさんに知られてしまったときは――頭の中では『こう言われたときは、こう返す』『もしもこうだったときは……』と散々予行練習を繰り返していた。でも、そうそう上手くいかないもので、いざ聞かれてみれば、返す言葉は見つからず。頭の中は真っ白になっていた。
「……責めているのではない」
ふ、と声がして、軽く抱きしめられた。そこでようやく自分が震えていることに気付いた。
「わ、たし……その……」
「……不安か?」
「……ミホークさんは、私が何者だからと言って、何かを変えることはない、と分かってはいるんです」
「なんだ、分かっているではないか」
「そこは大丈夫だと思っています……私はミホークさんのことを信頼しています」
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そういう癖に、なまえは視線を落としたままだった。先ほどはゆったりとしていたのに、体は強張り、震えている。一体何がお前をそうさせているのか。ますます、きちんと話し合っておかなければならないと感じる。なまえには悪いが、はっきりとさせておかねば、身を守ってやれないことになりなねん。
……こんなこと、俺だってしたくないが。
「……続きを、聞こう」
言葉を切って黙り込んでしまったなまえにその先を話すようにと、促す。
「恐らく、能力者なんだと思います」
「恐らく……?」
「この件で、盛大に能力を使ったんですが……。思い返してみると、今までもその感覚を感じたことがありまして。……恐らく、ときどき能力を使っていたんだと思います」
「……なるほど。使い方までは分からないと?」
「はい。どうやって使っていて、何が起こっているのか、まではよく分かりません。感覚は……ぼんやりとしか覚えていなくって。……すみません。ただ、この力のせいでミホークさんを傷つけてしまうかもしれませんし、今までと違う関係になってしまうかもしれません。この力は……周りを巻き込むような気がします」
なまえはそう言うと、左手で右腕を擦っていた。落ちた視線はまるで思い当たることがあるようで、もしかしたら過去に何か能力による事件なり事故なりがあって、それがトラウマになっているのかもしれない。
「どんな力であろうとも、多少なりとも周囲を巻き込む。それは避けられないことだ。それはなまえのせいではない……といってやりたいところではあるが……そう言うと嘘になる。力のあるものには必ずその代償が付き纏うものだ。それは避けられん」
「えぇ……はい」
「そんなに深く考えるな。傷が癒えたら、この先のことを考えよう」
「っ、……はいっ」
一人だと不安なことでも、二人であれば乗り越えられる。三人いれば、それはもう敵なしだろう。俺だけで支え切れることなればよいが、残念ながら、情報には疎い。脳裏に赤髪を思い浮かべながら、癪ではあるが、頼る他はないだろう。
「実は、どんなものだったか、覚えているのか?」
「……それが。よく、覚えていないんです」
「覚えていない? ……食べたのであろう? そんなことがあるのか」
「ええと……そのう。そこは、聞かないでいただけると助かります」
「……そうはいかん」
段々と雲行きが怪しくなってきた。話を終わらせようとするなまえをじとりと睨む。話すまではこのままでいるしかない。そう腹をくくったのが伝わったのか、しばらくすると観念したらしいなまえが訥々と話しだした。
「えぇ……と、ですね……」
「それで……?」
「あの、笑わないで下さいよ」
「……約束はできないが、俺が腹を抱えて笑うのならば余計に気になる話だな。……いいから、言ってみろ」
「お、美味しそうだなーって思って……食べました」
「どんな実かは知らないが、そうか。それで、……実、そのものはどうやって手に入れた?」
「み、道端に……あったので……」
「…………本当か?」
「えぇ、本当です」
「…………本当に?」
「しつこいです! だから言いたくなかったんですよ!」
道端に落ちていた実を拾って食べたらそれが悪魔の実であったと、そういうことか。その実が悪魔の実であることを知らずに、なまえは生きてきた。
そんな話があるのか、あっていいのか。……まぁ、今目の前に生き証人がいるのだから、あるのだろう。世には願い探し求め追いかけてもなお、手に入れられない者が五万といるというのに。この娘は……本当に……。
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笑わないでと言ったのに、ミホークさんが笑い出した。それもわざわざ「悪い」と一言、詫びを入れた後に。そんなことがありますか! 詫びを入れたら笑ってもいいと思っているのでしょうか。そんなミホークさんは現在、腹を抱えて笑っている。おかげでその上に座っている私も一緒に小刻みに振動しています。……なんだか屈辱です。
「ミホークさんにはもう何も話しません」
「――――!?!?」

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