第17話 好きな人ができたら

その場の勢いと言うものは怖い。なまえはひとりで飛び出したことを後悔していた。

シャンクスがどんな人でどこにいるのか、全然知りもしないのに「探しに行ってくる!」と言ったついさっきの自分に「よしじゃあどこに行くか言ってみて」と言ってやりたい。

なまえは酒場から数十メートル進んだ先の通りをとぼとぼと歩いていた。一応は酒場の前を通るときに中を覗いて見ているけれど、結局どんな人か分からないのだから、お目当ての人物が見つかるわけがなかった。

それでも歩いていたのは、まだ慣れていない酒を飲んで有り余っている力をどう発散したらいいのか分からないからだった。この妙な高揚感をどう処理したらいいのか、なまえはまだよく分からないでいた。

知り合いのミホークさんに来てもらってさえいればこの状況を打開できたかもしれない。なまえは後先考えていなかった自分の行動を後悔していた。そして、その後すぐに、遅いながらとぼとぼながらも進んでいたなまえの足が完全に止まった。

「……なんかくらくらしてきた」

軽く走ったせいで頭にお酒が回ってきた様子。目眩にも似たそれに、なまえは目を細め、頭を抱えながら、側にある建物に体を寄せた。壁に背中を預けると途端に体から力が抜けていった。そのままずるずると背中が下へ落ちていって、なまえはその場に座り込んでしまった。そして今度は睡魔に見舞われた。

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なまえの中ではほんの数秒。なまえが目を閉じていた時間、実際は数十分が経過していた。なまえの後を追っていたミホークがなまえの気配を辿って見つけたのが、うずくまっているなまえだった。

「……なまえ」

なまえはぴくりとも動かない。ミホークから漏れた長い息はしゃがむという動作をするための気合いを入れるためのものだった。というのも、普段のミホークは町中で屈むなんてことをしない。する必要がなかったこともあるが、どちらかと言えば、あまり綺麗とは言えない道に服の裾をつけるのが好ましくないからだった。だから少し渋っていた。

それでもミホークはなまえのために腰を折り、体を屈めて、もう一度今度はなまえの耳元で名を呼んだ。

「なまえ」

低く重い声が振動してなまえの耳に伝わっていく。すると、苦労の甲斐あってか、ようやくなまえが反応した。音を受け入れたなまえの、ゆっくりと開いていく瞼をミホークは時を忘れて見つめた。現れたなまえの瞳に映る自身の姿を見て、なまえがしっかりと自分の方を見ていると確信する。

あとは意識があるかどうか。

「ミホーク、さん?」

意識はあるようだった。これならば自分の足で歩いて帰ることができるだろう。そう思ってミホークがなまえを立たせようと手を伸ばしかけたとき、なまえが言った。

「怒って、いますか?」
「………………」

ハッと両目を見開いたミホークが首を傾げ、様子を窺っているなまえをただ見つめる。

怒っているか? と。なぜなまえはそんなことを言うのか。ミホークは眉を寄せた。だが、自分はその瞬間、腑に落ちたというか、なまえに確信を突かれた気がしていた。

なんとなく自分の中でもやもやとしていた、納得のいかない感情がなんだったのか、なまえの一言ではっきりと分かったのだ。

「あの、」
「行くぞ」

おどおどとしているなまえの腕をミホークの手が捕らえる。そう、ミホークは怒っている。

「え、でも……シャンクスさんは」

未だ立ち上がろうとせずに中途半端に腰を上げているなまえの腕を支えているミホークの握る手に力が入った。それを感じたなまえが眉を寄せると、ミホークはゆっくりと手を解いた。

なまえは再びその場にしゃがみ込んで、腕を掴んだり離したりするミホークのことを不思議そうに見上げていた。

「……ログが溜まるのに2週間はかかる。明日でも遅くはない。今日すぐに会う必要はないだろう」

先ほどとは打って変わって、大人しく返事を待つミホークになまえは頷く。宙に浮いているミホークの手になまえの手が触れる。ミホークは一瞬躊躇したが、なまえの手を受け入れ、握りしめた。

ミホークの握る手になまえの体重がかかって、ゆっくりと二人は立ち上がる。

「じゃあ酒場に……?」
「いや、もう帰ると行ってある」
「…………帰る?」
「あぁ」
「ミホークさんはどこに帰りますか?」
「………………」

うん? と首を傾げるなまえを目の前にして、ミホークは固まった。今日の宿のことなどすっかり忘れていた。さすがにこの時間から受け付けてくれるところはないだろう。針はもう12時を回っている。

「あれ、もしかして……」

なまえに気付かれたと思った瞬間、自分の体の中をかけ巡ったのはなんだったのか、ミホークは今も胸の内にあり続ける感情と戦っていた。だがその葛藤を周りに見せないポーカーフェイスはさすがだった。なまえは相変わらず首を傾げていた。ミホークの感情を読み取ろうと集中しているのかもしれない。ミホークは慌てて(もちろんなまえには焦っていることなど感じ取られないように)、会話を繋いだ。

「なまえのところに行く予定だ」

それはまた急な話だ。自分で言いながらミホークは思った。なまえが「え!?」と声を上げると、今度はミホークの眉尻が落ちる。するとまたなまえが「いえそういう意味ではなくて!」と声を上げた。

「そういう意味とは?」ミホークがそう言うと、なまえが申し訳なさそうに頭を下げながら、「嫌、とかそういう意味じゃないんです」と答えた。

ほっと息を吐き出すミホーク。思いつきで、逃れるために言ったことだったけれども、どういう理由であれ、なまえに拒否されるということはなんだか、心地の良くないことだった。だから心底ほっとしていた。

「ではなぜ?」
「べ、別に深い意味は……」
「…………」

ミホークの両眼で貫かれながら、無言で見つめられるというのは、される側からしたらなかなかの圧力である。なまえは実際に深く追求されたわけでもないのに、不本意ながら口を開いてしまっていた。

「その……嬉しい驚きだっただけで」

嬉しい驚き。その感情に心当たりがなかったミホークは、一体どういう感情なのか、理解しあぐねていたが、嬉しいと言うのだから、嬉しかったのだろうと判断した。

それを聞いた自身も嬉しくなっていたことにも、まさにそれ自体が嬉しい驚きであったことにも、ミホークは気付いていなかった。

「では行こうか」
「そうですね」

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酒を飲んだのが初めてではなかったためか、なまえは前回ほど酔ってはいなかった。あのとき、ミホークと飲んだときは立っているのもやっとだったけれど、今日はそうでもない。頭だって全回転はしていなかったけれど、まだ思考はできた。

だから、自分で歩けると言ったのに。

手を繋いで歩き始めて数十分、あまりになまえの足取りが重いことが嫌だったのか、ミホークは自分で歩けると言い張るなまえを横抱きに抱きかかえて歩き出したのだった。

なまえはミホークの腕の中に納まりながらむっすりと頬を膨らませる。これじゃまるで子供じゃないか。そう思いつつも、腕に抱かれるということに悪い気はしなかった。包容感は大切にされているとそう感じさせてくれた。

ミホークが足を進める度に体に伝わってくる振動は、なまえにとっては酷く心地のよいものだった。こんな状況で眠るなというのが無理な話。ゆっくりと瞼を閉じながらなまえは深い眠りに落ちていった。

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そんななまえを深い眠りから目覚めさせたのは変わらずミホークだった。

腕の中でぐっすりと眠るなまえを見たミホークの胸中でゆっくりと育つ感情。それを嗜虐心だと感じたミホークが眉を寄せた。なぜかそう感じた自分を嫌だと思った。普段の戦いの最中に感じるならともかく、なぜ、今ここで、なまえを腕の中に抱きながらそんなことを考えるのか、ミホークは足を止めた。頭を上げると、そこにはもうすっかり見慣れた扉があった。なまえの家に着いた。

嗜虐性があるというのは自分でも認めている。ただ、それを向ける相手は選んでいるつもりだった。相手はもっぱら非道な人物である。だから、どうしてなまえに対してそんな感情が出てくるのかが分からない。

海賊でありながら海賊を裁く立場にあるのは、己の法で相手を裁くことができるからでもあった。もちろん、戦いが好きだというのもある。そういう生き方しか知らない人生。だから、わからないこと、知らないことも多かった。世間にはそれを知られないように、いつ何時でも心情を顔に出さないようにし、知識を取り入れるために読み物は続けた。

なまえに対してどうしたらいいのか分からないのは、きっと……普段の読み物にはほとんど出てこなかった事柄なのだろう。考えに考えた結果、そう結論付いた。……つまり、今まで縁のなかった色恋に、この歳になって、急にかかったのだ。かかったという言い方が正しいのかは分からないが、恋の病にかかるなんて言い方もあるぐらいらしいから、そう言うものだろう。ミホークはついに病にかかったのか、と息を吐いた。

すると、この戦いの最中とは少し違っているように感じた嗜虐心は、…………これが、好きになるということか。胸中に芽生えた恋心にようやく気がついたミホークは、ここ最近自分でも不審に感じていた自分の行動を振り返り、すべての事柄に合点がいった。なまえと離れたくなかった。なるだけ、なまえの側にいたかった。そういうことだったのか。

…………そして、今感じる感情はその中でも最も危険な感情――

その感情を、ミホークはどうにか押し止めて、なまえの頬を軽く叩く。家に着いたから起きるようにと、何度か耳元で囁けばなまえの意識がゆっくりと浮上してきてぱっちりと目が開く。そして、ミホークと目が合うと身を固めてしまった。

「あ、あれ? 私どうして……」

その様子からさっきまでの記憶が飛んでいるように見られたが、ミホークが事情を説明する間もなく、なまえの記憶は戻ったらしく、あたふたとミホークの腕の中で慌てふためいた後に、「降ろしてください」と言ったのだった。

ミホークは心の底から可愛いと思った。その瞬間、自身の中にそんな感情があったのかと動揺し、緩んでしまった口元を慌てて引き締めた。これでいい、と一息ついたあとに視線を戻すと、どうもなまえに見られてしまっていたらしい。

あ……と口を開けたなまえが好奇心旺盛な目でミホークを見上げている。これにはミホークも堪らなくなって、ふいっと顔を背けてしまった。あからさまな態度になまえは確信を得たのか、追求をはかろうと、ミホークのシャツの裾を掴んだ。これはまずい……ミホークは必死で話題を探した。

「鍵はあるか?」

話題はすぐに見つかった。そもそもなまえを起こしたのは鍵を開けて家の中に入れてもらうためだった。柄にもなく目的を忘れていた自分自身に悪態をつきながら、ミホークは両腕を組んでなまえが鍵を出すのを待った。

それを聞いたなまえは首から吊るしていた鍵を引っ張り出して鍵穴に入れる。わざとなのか? と思ってしまうぐらい、ゆっくりとした動作にミホークはもどかしさを感じていた。なまえはと言えば、ただ単にまだ抜けきっていない酒のせいでいつもより何もかもの動作がゆっくりになっているだけだった。わざとではない、でもそれも今のミホークには判断することはできず、どうにか押し止めている感情がだんだんと滲み出ていく。

戦いでは”辛い”など、もう何十年も経験していない、忘れてしまった感情だったが、それが今またミホークの中に蘇ってきていた。辛い――何がどう、どうして、なんとなくその理由は分かっていた。だが、分かっていたところでどうこうできる問題でもない。だからこそ、辛かった。

「ミホークさん」

鍵を開けて、扉を開いたなまえが、ふいにミホークの名前を呼んだ。なまえは後ろに立つミホークの方に振り返りながら続けた。

「あんまり人の心理を読むような真似をしちゃいけないって言われているんですけど、なんだかすごく気になるので、聞いてもいいですか?」

なまえの質問は、ミホークにとっては一体の何の話をしているのか分からなかった。だから駄目とも言う気にもならず、取り敢えず話を聞いてみようと思い、彼は了解を示すために頷いて返した。

「急に腕組みをされましたけど、何か考えごとでもされているんですか? それとも……何か、私が怖いと思われたのですか?」

怖い? 俺が? それはどういう――と喉まで出かかったところでミホークは言うのをやめた。ぱちぱちと見つめるなまえの瞳はとても真っ直ぐで、綺麗だった。色だとか、形だとか、そういうものではない。そのなかに邪な感情など一切含まれていないことがありありと読み取れた。ミホークは思わず後ろに足を引きそうになった。わずかに背中を反りかえさせながらも、その場に踏みとどまり、なまえのことを見返した。そして、グッと奥歯を噛み締めた。

この娘は一体俺をどうするつもりだ。どうかさせてしまおうという魂胆なのか、それとも――

黙ったまま、何も答えようとしないミホークになまえは眉を寄せる。そして、振り返り前を向いて足を踏み出した。

「今のは忘れてください。変なことを言いました……」

小さく聞こえたなまえの声は、小さくともはっきりとミホークの耳に届いていた。悲しげな声だった。

「どうして悲しむ?」

玄関の外で足を止めたまま、ミホークはなまえの背中に問う。

「悲しくなんてないですよ」
「……嘘を言え」
「ただ、辛いだけです」
「辛い?」
「明日になればミホークさんは行ってしまうんですよね、きっと」
「…………?」
「それがどうしようもなく、辛いです。ミホークさんとお別れしなきゃいけないのが……」
「なまえ、それを言っては、」
「言っては? なんですか? 言ったらどうなるっていうんですか? 言っても言わなくとも、これって事実ですよね?」
「だが、言わぬ方がよいこともある」
「いいえ。そんなものありません。少なくともここには」

「……なまえ」

我侭を言ってくれるな。そう言うように、ぴしゃりとなまえの名を呼んだミホークが、扉の向こうからなまえのことを見つめる。離れていても、なまえの目にはミホークの金色の瞳がとてもよく見えた。好きで好きでたまらなくて、どうしようもない気持ちで辛くて。そういうとき、いつも彼の瞳が思い浮かんできていた。そして、強かに名を呼んでくれる彼の声が、なまえの脳裏には蘇っていた。

別れの苦手ななまえにとって、ミホークとの別れ、初めて好きになった人との別れを考えることは何よりも怖く、そして、決して避けては通れない問題だった。離れた瞬間、離れた後、よい思い出に変わるまでどれぐらいかかるだろうか。よい思い出に、変えることができるのだろうか。なまえは、ずっと不安だった。

なまえは震える唇をゆっくりと開いた。その間も、ミホークはずっとなまえを制するように見つめた。言ってはいけないと。それでも、なまえは口を開き、声を出した。震える声を絞り出して、ミホークに自分の気持ちを届けようとした。

ミホークさん。私にとって、貴方は――

なまえがそこまで言ったとき、いや……言い終わるのを待つこともなく、扉の外に立っていたミホークは玄関を抜けて、今にも涙を落としてしまいそうななまえのことを強く、とても強く、優しく抱き締めた。

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