このひとときが永遠に続けばいいのに――そう思うくらいには幸せなひとときで、傍で無邪気に笑う彼は本当に素敵で、大工仕事のなんたるかを語る様子はとても微笑ましい。自分の仕事に誇りを持っているのがよく分かった。
時折向けられるこちらを見透かすような透明な視線にどきっとさせられた。何となく、心情を探られているようで、胸の奥になりを潜めている小さくて淡い恋心を悟られたくなくって、その度に身を縮込ませた。どうか、お願い、気付かないで。
私は恋愛が得意ではない。動物相手にはあんなにも優しくなれるのに、人相手となるとどうにも上手くいかなくって、困ったことに最後はいつも捨てられてしまう。正確には、『俺なんかいなくても変らないだろう』って。いつもそうだった。だから、本当に好きになった人とは一歩引いて話すようにしていた。隣を歩くのではなく、離れたところから、ショーケースの中の綺麗な商品を見るように、ただただ焦がれる視線を向けて、決して手に取ってしまうことのないように。最近はずっとそうやって欺し欺しやってきていた。
「名前は? わしは、カクじゃ」
「なまえです」
「よろしくの、なまえ。わしのことはカクと呼んでくれたらいい」
「はい。よろしくお願いします。カクさん」
本当に清々しい人だった。爽やかな好青年で、BARカウンターの席に着くなり、上着を脱いで帽子を置く。上着の下にあったのは薄手のTシャツで、袖の下から出ている太い二の腕には驚いた。
「うわっ、腕凄いですね!」
「ん? あぁ、そりゃぁ大工なんかやってればの、自然とこうなるわ」
確かにそうかもしれないけれど……。カクさんはグッと肘を曲げて力こぶを作ってくれて、「触ってもええぞ」とサービスまでしてくれた。酒の勢いとは怖いもので、躊躇なく握々しちゃう。なんなら頬ずりしそうにまでなって何とか踏みとどまった。
「おぬしばかりずるいの。わしもどこか触ってもええか」
「え……!」
「ん?」
この人には下心というものがないのか……? 曇りなき眼……が私を見ている。いや待って、普通の人はそんなにストレートに『触ってもいいですか』なんか言わないと思うんだけど。でも私恋愛経験少ないから、もしかしたらこれが普通なのかもしれな……「カク、女性にそれは駄目だろう」とまさかのマスターの方から物申しが入ってびっくりした。
「え、そうなんか! 悪いの。わし、あんまり深く考えないからの。すまんすまん」
「…………」
マスターは視線を落とすだけでそれ以上は何も言わない。以前にカクさんがここから出て行くのを見たことがあったし、二人は知り合い程度に話す仲なのかもしれない。……ともあれ、今回はマスターに救われたので、「ありがとうございます」と小さくお礼を返しておいた。
「なまえは普段から往診しておるんか?」
「はい。でも、専門はヤガラで」
「ヤガラ! そうなんか、でも他の動物も見れるんじゃの」
「はい。これでも獣医なので」
「へぇ……じゃあもっと大きな動物や肉食動物とかも……?」
「え? あぁはい。基本は一緒ですから。人間と動物は違うところが多いのですけど、動物は割と似ています。もちろん、種族差はありますけど」
「へぇ……」
何やら感慨深そうに、カクさんが相槌を打っている。
「仕事、好きなんじゃな」
「はいっ。天職だと思ってます。カクさんだって、そうですよね?」
「ん? あー。そうじゃのう。…………わしもそう思うておる」
先ほどよりもお酒を飲んだせいだろうか、とろんとまどろんだカクさんの瞳がほんの少し落ちたように見えた。
「カクさん? 大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫じゃ。なんかすごくちょうど良く酔っておるところじゃ」
「ふふっ、それはそれは良かったですね」
「あぁ……」
カクさんはそう言うと、カウンターに右肘をついて頬を乗せた。視線はこちらを向いたまま、空いた左手が私の髪先を捕まえてくるりくるりと弄ぶ。「触ってしもうた……」独り言のようにカクさんが言った。その瞬間、顔に熱が集まるのを感じて慌てて顔を横に背ける。……だってカクさんの顔があまりに色気付いていて、とろんと落ちた瞳が酷く寂しげで、触れたいな……触れたいな……と私に語りかけてくるように見えたのだ。そんな風に控えめに求められたことが初めてだったので、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。

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