船体が大きく揺らいだ。両足を踏ん張ってなんとか耐える。それでも壁に頭をぶつけた。
「っ、てて……」
扉の向こう側が騒がしい。甲板の上を大勢が走る音。顔を上げ……「あれ?」ぶつかったのは壁じゃなかった。白い制服が視界の端に映る。ほんのり暖かい。
「…………ありがとうございます」
「ん」
頭上から声がして体を捻りつつ後ろを見上げる。背後に立つクザンさんの腕が私を囲っていた。咄嗟に守ってくれたらしい。覚えのあるの香りが鼻をかすめた。誰かと同じ煙草の香りだった。直後、立て続けに鳴り響く砲撃音。大砲が放たれたのだ。再び船体が揺れる。クザンさんの腕にしがみついた。
「一体何が……?」
――――バタンッ、勢いよく扉が開くと共に捲し立てる海軍兵。
「大将! 二時の方向から海賊船が五隻。七時にも五隻。囲まれています。ご対応を……!」
「…………」
沈黙の後。背後の気配が揺れた。
「めんどくせぇなァ~」
……うわァ。ほんとうに面倒そう。気怠げにため息を吐き出したクザンさんが「ねぇこのまま抱き締めてもいい?」と現実逃避を始めた。律儀に待っている部下が可哀想である。
「だめです。だいたい私は保護対象なんですから、手を出さないでください。どうせ、『能力がはっきりしない内は余計なことはしないように』とか言われているんでしょう?」
彼が私を見る目にはいつだって下心があった。それはもう、隠す気がないんだろうなって分かるくらいに、露骨に。……それなのに、彼は不必要な接触を避けていた。私のことを振り払いはしないけれど、彼の指先は触れる寸前で止まる……ということは、そういうことなのだろう。
「あらららら~バレてたか。まぁ……知ってたけどね。君、露骨に意地悪してくるから」
「ふふっ。バレてましたか。すごくじれったそうに我慢する姿がいじらしくって。すみません」
大の大人が、「あ~触りてェ……」って顔をしながら我慢している様子は見ていて飽きない。
「駄目ですよ。触ったら」
強かに笑む。肩に置かれた手を払った。
「これは不可抗力でしょ」
そう言いながら、肩に手が戻って来る。
「えーなんですか、それ」
くすくすと笑いながら、私は彼の方に向きを変えた。正面を見据えながら、見下ろしているクザンさんに言う。
「ちゃんと守って下さいね?」
肩の手の平に触れながら、にっこりと笑った。すんなり触らせてくれた手を両手で握る。……大きな手。分厚い皮。男の人の手だ。レイさんよりも大きい。この手で蹂躙されたらどんな感じだろう。そのまま掴んだ彼の手の平を自分の頬に添える。顎からこめかみまで、余裕で覆われた。
「……大きい」
なんとなしに出た一言に、手の平が揺れる。顔を上げると、ぐっ、と奥歯を噛みしめたクザンさんが眉根を寄せて私を見ていた。「この性悪女……」吐き出す言葉は聞こえないふりでやり過ごす。今度は柔らかく笑んだ。うん、間違っていないと思うし。
「…………行ってくる」
するりと抜けていく彼を見送る。……なにそれ。まるで帰ってくるのが当然みたいな言い方。別に、帰って来なくたっていいのに。
「良い子で待っていて」
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戦闘が始まると監視の手は緩みやすい。変わらず扉の前に立ったままでいるのは気配で分かったけれど、砲撃の応戦になっているので、そちらに気が向いているらしかった。部屋には窓はなく正面の扉以外から抜け出すことはできない。諦めるしかない……と思いがちだが、気が逸れているなら話は別だ。こちとらレイさんの修行のおかげで、ただの女から動ける女にのなったのだ。あ、いや……訂正。ただの能力者から、チカラを使いこなせる能力者になったのだ。
ほんのわずか、気付かれない程度に開いた扉の隙間から外を見る。指示が飛び交い、海兵が走り回っている。……どこなら身を隠せるのか。しばらくの間、戦況を見守る。あの一角、あそこの木箱は食料かな。そこなら今は隠れても問題なさそう。
このままここにいたって、本部に連れて行かれて、軟禁されてしまう。それなら……、一旦離れて体勢を立て直し、別のところでミホークさんと会った方がいいに決まっている。――善は急げ、今が絶好のチャンス。脱出だ……!
真っ白なもふもふ帽子を被っていた彼の姿を真似る。左手を前に出して、手の平は上に、指を軽く曲げた。そして、言う。
――――シャンブルズ。
…………えぇ。お気づきの通り、私はローのチカラの一端を使えるようになっていた。彼はちゃんと愛してくれていたらしい。このチカラが、その証拠だ。
瞬時に私は入れ替わる。食料がまとめて置かれている一角。木箱のすぐ傍に落ちていた一粒のりんごと。かけられていた雨よけの布が役に立った。しばらく、ここで身を隠そう。
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しばらくして、「あーもう、面倒くせぇなァ」と声がした。ゆっくりと甲板を歩く音が近づいてくる。その音は、私の目の前を通って、船頭へ向かって行った。パキパキパキ――小さな何かが弾ける音が聞こえた。小さくとも、耳の奥に響いてくる、綺麗な音だった。
白い靄がひやりと足元から伝わってくる。――冷気だ。思わず手で肩を覆う。全身に寒気が走った。それは私だけじゃない。周りにいる海兵達の顔色も真っ青だった。彼らの視線はただ一点に集中している。その先にいる、海軍大将青雉を彼らは見ていた。
流石、肩書きは伊達じゃない。
細かな氷がまるで砂嵐のように彼の周りでうねっている。これがこの人の、覇気。覇気は人によって少し違う。より強くなれば、赤黒く稲妻が落ちるように見えるが、その一歩手前、貌造るまでは人それぞれだ。
「…………綺麗」
まるで絶大なる自然を前にしたような恐ろしさを感じる。……だけど、それと同時に、言い知れる美しさを感じた。氷が生まれ、溶けて、消えていく。一瞬一瞬が瞬く度に変わっていく。儚いのに、まったく勝てる気がしない。……なんなんだ、このチカラは。
クザンさんが船頭の板を蹴った。彼の体が宙を走るように進む。足下には凍った海があった。能力者は海に嫌われる……のに。
「ははっ」
隠れるのも忘れて、船縁に走り寄る。きらきらと太陽の光を反射させながら、クザンさんはひとつ、またひとつ。海賊船を沈めていった。ワァ――と盛り上がる海兵達が口々に言うのは彼への賛美。――と、時折聞こえる「恐ろしい」という言葉。何故だか、胸が痛んだ。
ハッ――と、次に我に返ったとき、私の目の前にはクザンさんが立っていた。
「あらららら~? どうして部屋から出ているのかなァ?」
竦み上がる周囲の海兵達は、そこでようやく自分たちが失態を犯したことに気付いたらしい。あーあ、やっちゃった。私も逃げる機会を失った。
「どうしてでしょうね」
にっこりと笑ったら、「この性悪女」と彼が言った。

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